昭和、渋谷で、恋をしたり 1-15 |2人のさみしん坊
表情筋に力を込める
昼食を済ませ、江ノ島の頂上付近まで登りきると、高台から相模湾が一望できた。
夏奈恵は何も言わず、有料の双眼鏡に歩み寄って覗き込んだが、すぐに背を伸ばし、肉眼で景色を見つめていた。
その背中に「キレイだね」と声をかけようとしたときだった。
「ねえ、彼女とこういうところ来るの?」
突然だったので戸惑った。でも、この日一番伝えたかったことを言うチャンスが、突然訪れていた。
「実は、別れたんだよね」
夏奈恵は興味津々に理由を尋ねてきた。
もちろん本当の理由なんか言えず、適当にはぐらかした。
「じゃあ、どっちから別れ話を切り出したの?」
「オレから……」
「溝口さんって、意外とモテるの?」
「そんなんじゃないよ」
「大学で『溝口先輩、素敵です〜』とか言われちゃう?」
「言われたことないよ……。それより、そっちは?」
期待していた反応ではなかったので、私は口を尖らせた。
「別れた。振られた……」
夏奈恵は風を受けながら笑った。
私は口元が緩みそうになり、表情筋に力を込めていた。
顔を歪めて、頷く

「不倫って……やっぱり、そう続くもんじゃないんじゃないかな」
「どうして?」
「だって……佐藤さんにとっては、そういう付き合いなのかなって。家族もいるし……」
都合の良いことを言ったつもりはなかった。
でも、そうは受け止めてもらえなかった。
「なんで? どうしてそんなことを溝口さんに言われなきゃいけないの?」
声こそ大きくなるのを抑えていたが、その瞳は大きく張っていた。
「いや、そうじゃなくって……」
「うちらの何を知ってるの?」
「そういうんじゃなくて……」
「何でも知ったような口きかれるの、腹がたつ。だからエリートって嫌い」
夏奈恵は言いたいことを言い終えると、背を向けた。
悔し涙なのか、それとも寂しくて浮かんだのか。
いずれにしても、さっきまで大きく張っていた瞳を隠していた。
そして沈黙。
相模湾上空を優雅に羽ばたく鳥たちを追うだけでは間が持たず、タバコに火をつけた。
ため息まじりに大きく吐き出した煙が風に流され、夏奈恵の後ろ髪に直撃した。
「タバコくさい」
「あ、ごめん……」
「誰かを好きになるって、面倒くさいよね。溝口さんの言う通り、いつまでも続かないってわかっていたし。でも、そういうことをそのまま言われると、頭にくる時ってない?」
夏奈恵の視線の先に舞う海鳥に向けられたその言葉は、ずいぶんと素直な響きを伴っていた。
「私たち同じだね。失恋したばかりでしょ? さみしん坊同士」
振り返った夏奈恵が、視線を少し下から投げてきた。
睫毛が僅かに濡れていた。
「そういう括り方、嫌だな」
「でも同じでしょ?」
夏奈恵は白い歯を見せた。
その笑顔には、佐藤さんへの想いが隅々まで詰め込まれていた。

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