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昭和、渋谷で、恋をしたり 1-14 |初めてのロマンスカー

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初めてのロマンスカー

日差しはまだ強かったが、日陰に入ればひんやりとした空気が肌に馴染む日曜だった。10時に新宿駅で待ち合わせたので、10分前を目指し、狙い通り到着した。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

「気づかなかった? あそこで待ってたのに」

夏奈恵は、私がいまさっき通り過ぎた売店を指差した。

細身のジーンズにパーカー。キャップをかぶった夏奈恵は初めてだったので、見過ごしてしまった。でも、悪くなかった。キャップのつばの奥にある夏奈恵の瞳を覗くと、なぜだかいつもより近く感じられたからだ。

ロマンスカーの「えのしま号」に、夏奈恵と並んで座るだけで高揚した。
車窓からの景色なんかほとんど見ず、夏奈恵ばかりを見つめていた。新宿を出発すると、江ノ島は近かった。

その車中のことだが、カメラの入ったバッグが想像以上に大きかったのだろう。夏奈恵がカメラを見せて欲しいと言ってきた。

ここぞとばかりに自慢げに披露した。

「え? そんなすごいカメラ持ってるの? 大根みたいだね」

夏奈恵は褒めるどころか笑うばかり。この日のために奮発した買い物を大根に例えられたのは、いささかショックだったことを覚えている。

片瀬江ノ島駅を降りると、変わらずに日差しは強かったが、潮の香りと海風が適度に清涼感を与えてくれた。

私はこのとき初めて江ノ島に行ったからか、見ず知らずの土地を並んで歩くだけで、2人の距離がまた近づいている気がしていた。

駅から歩いて江の島水族館に着くと、さっそく隣接するマリンランドに向かった。

私は新しいレンズを装着したカメラを肩から下げ、戦闘体制に入った。イルカの全身からアップまで、シャッターを次々に押した。気合いを入れて持参したフィルムは、36枚撮りを5本。

日曜だったので水族館は混み合っていたが、シャッターチャンスを逃さないことだけに神経を集中させていた。


私のための笑顔

マリンランドでの撮影にも満足すると、江島神社を目指した。

夏と秋が入り混ざる高い日差しが、江ノ島の海を乱反射させていた。その海にかかる弁天橋を、ゆっくり渡っていた。

「イルカって近くで見るとあんなにカワイイんだね」

夏奈恵の言葉は独り言のようにも聞こえたが「そうだね」と頷いた。

返事が届いていなかったのだろうか。夏奈恵の次の言葉は、海風に歯向かうように空に向かって放たれた。

「アリオンって幸せだよね。私なんかどこに帰っていくのかもわかんないし」

それから夏奈恵はキャップをとって、額に海風を当てた。あごを少し空に向けながら頭を左右に振り、短い後ろ髪に手ぐしを通してから振り返った。

「溝口さんは九州に帰るんだよね」

「うん、そうなるのかなぁ」

「私は実家がないからなぁ」

虚をつかれた私の表情に察しがついたのか、夏奈恵は風に乱れる髪を揃えながらキャップを被りなおし、風に負けないように声を張り上げた。

「知らなかった? 私、親がいないの。だから施設で育ったの」

振り返った夏奈恵は、微笑んでいた。

「家族がいないから家族ってよくわからないの。でも、死んだら誰が私をお墓に入れるんだろうって、たまに思っちゃう。それがわからないうちは死ねないなぁって」

夏奈恵の部屋に行ったとき、自殺をしようとしたことがあるか聞かれた。そして夏奈恵は「ある」と答えた。そして「でも、できなかった」とも。

自殺なんて、本気だったのだろうか。

それはわからなかった。

いや、正確には、自分にはまったくリアリティのない話だったから、自殺なんて、そんなことを本気で考えられるわけがないと、自分の尺度で言葉の深みを計っていたのだろう。

「お腹空かない? なんか食べよう」

夏奈恵はそう言って、私のカメラに軽く触れた。

だが、新宿駅で出会った朝とは違い、その笑顔にはずいぶんと寂しい気持ちにさせられた。

それは、私のために笑ってくれていたからだ。


1-15へつづく

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