
昭和、渋谷で、恋をしたり 2-12|まだまだこれからよ
前回のあらすじ(2-11)
東京に来るまでの半生を打ち明けた泰輔に、夏奈恵は「私とは違うんだね」と零すにとどまった。泰輔が「何が違うか教えて欲しい」と懇願すると、夏奈恵がいよいよ口を開こうとしていた。
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まだまだこれからよ
夏奈恵は、東京の下町で母と二人で暮らしていた。
トラック運転手だった父親は、夏奈恵が生まれて間もなく女をつくって家を出たまま、音信不通になった。そして、母親は夏奈恵が8歳のとき、ガンで亡くなった。
群馬県にいた母方の祖母は、夏奈恵を引き取ると言い張った。
しかし、体の弱い祖母は、母の兄夫婦と同居する話が進んでいた。母の兄夫婦にはすでに三人の子供がいて、母親と兄の仲もあまりよくなかった。
そうした事情から、夏奈恵は児童養護施設に預けられることになった。
学校には普通に通えたが、施設には厳しい門限があった。学校帰りに友だちと遊ぶことはできず、まっすぐ施設に戻って、施設の仲間と過ごすしかなかった。
中学生になると、同じ施設にいたませた年上の子たちと隠れてタバコや酒に手を出すようになった。施設員に見つかれば、こっぴどく叱られ、一日中反省文を書かされた。
「友だちと放課後に遊んだり、出掛けたり、テレビを見るだけで良かったんだけどね」
中学生になっても、夜9時以降のテレビやラジオは週に一度、一時間だけと決められていた。それでは、学校での会話についていけない。
休日に友だち同士で買い物に行こうとすれば、必ず施設員が引率者としてついてくる。夏奈恵は友だちの誘いを断った。「施設員が来ちゃうから……」と、本当の理由を話すこともしなかった。
月曜日になれば、週末のテレビ番組や出掛けた話で盛り上がる同級生の輪の外で、聞いて聞かぬふりをしていた。
施設にいることを恨んだ。
でも、好きだった母を恨む気持ちは、どうしても湧かなかった。
どうして、自分の母だけが若くして病気にならなくてはいけなかったのか。どうして、自分だけがクラスメイトと同じように過ごせないのか。
行き場のない嘆きは、周囲の大人たちに向かった。学校の先生にも施設員にも、反抗という態度でしか接することができなくなっていた。
施設員も夏奈恵を疎ましく思ったのか、手を上げることがあった。厳しく接すれば接するほど、悪循環は加速していった
「施設に入るような子供って、なにかしら事情があるじゃない? そのジレンマの中にいると、どこか素直になれないのよね」
出会った頃の夏奈恵は、思ったことをオブラートに包むことなく、すべて口にする人だった。それが心地よく感じられることさえあった。
そんな夏奈恵が、素直になれずに過ごしてきた。私は何もわかっていなかった。だから何も言えず、聞き入ることしかできなかった。
吹っ切れたように語る夏奈恵は、「まだまだこれからよ」と言わんばかりだった。
*この物語は、昭和期に児童施設に入所された方の実体験を参考に、フィクションとして描いています。現在の児童施設の規則などを描いたものではありません。
