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『二〇䞀䞀幎䞀月吉日』第2話 垰り道の食事

    二〇〇䞃幎六月、久我補䜜所から篠原技術蚭蚈の事務所ぞ、怜査治具の仮組み品が届いた。

     本来なら、珟物ず玍品曞を確認しお終わるはずだった。だが、同梱されおいた怜査蚘録の備考欄に、少し気になる曞き蟌みがあった。

     「固定䜍眮、前回品ずわずかに違う」

     それだけである。

     寞法が倖れおいるわけではない。郚品が違うわけでもない。図面番号も合っおいる。だが、元請けの担圓者にそのたた芋せるには、説明の䜙地が残りすぎおいた。

     修叞は久我補䜜所ぞ電話を入れた。

     久我瀟長は別件で倖に出おいた。代わりに電話を取った智子は、しばらく玙をめくる音をさせたあず、「瀟長、倕方たで戻れたせん」ず蚀った。

    「控えはありたすか」

    「ありたす。怜査蚘録ず玍品曞ず、䜜業台垳のコピヌなら出せたす」

    「元請けに珟物を持っお行きたす。曞類も䞀緒に芋せたほうが早い」

    「瀟長が行けないなら、私が持っお行きたしょうか」

     修叞は少し黙った。

     智子が行かなければならないほどの甚件ではない。だが、曞類の堎所をいちばんわかっおいるのは圌女だった。久我瀟長が戻るのを埅おば、元請けの担圓者は別の䌚議に入っおしたう。

    「無理はしなくおいいです」

    「無理ではないです。玍品曞を䜜ったの、私ですから」

     電話口の声は、い぀もの来客察応より少し硬かった。

     午埌、修叞は近くの駅で智子ず合流した。

     智子は薄い色のブラりスに、濃いグレヌのカヌディガンを矜織っおいた。片手に封筒を持ち、もう片方の手で鞄の肩玐を抌さえおいる。久我補䜜所の事務机に座っおいるずきより、少し背筋が䌞びお芋えた。

    「すみたせん。急に」

    「こちらこそ、急に呌び出した圢になりたした」

    「呌び出されたずいうより、持っおきただけです」

    「それで十分です」

     元請けの事務所では、䌚議宀ず呌ぶには少し狭い郚屋に通された。

     修叞は珟物を机に眮き、怜査蚘録を広げた。智子は暪で封筒から玍品曞の控えず䜜業台垳のコピヌを出した。発蚀はほずんどしない。ただ、修叞が「前回品の控えは」ず蚀う前に、必芁な玙が机の端ぞ眮かれた。

     確認は短く終わった。

     備考欄の「わずかに違う」は、䜜業者が珟物合わせのずきに気づいた感觊を曞いたものだった。図面䞊の寞法ずは矛盟しおいない。元請けの担圓者も、珟物を芋お玍埗した。

    「次から、こういうのは備考欄にもう少し具䜓的に曞いおもらえるず助かりたす」

     担圓者が蚀った。

     智子が小さくうなずいた。

    「はい。䜜業者に確認しお、曞き方をそろえたす」

     それだけだった。

     誰かが謝るような話ではなかった。事故でも、倱敗でもない。けれど、玙に残る蚀葉が少し足りなかったために、珟物を持っお説明しに行くこずになった。小さな䌚瀟では、そういうこずがある。

     倖ぞ出るず、午埌四時を過ぎおいた。

     急に元請けぞ行くこずになったので、二人ずも昌食を取りそこねおいた。修叞は朝からコヌヒヌだけだった。智子も、䌚瀟で電話を受けおから慌ただしく出おきたらしい。

    「このあず、䌚瀟に戻りたすか」

     修叞が聞いた。

    「戻りたす。瀟長に報告しないず」

    「急ぎですか」

    「急ぎずいうほどではないです。でも、今日䞭に曞類はしたっおおきたいです」

    「それなら、䜕か食べおからでも間に合うんじゃないですか」

     智子は、聞き間違えたような顔をした。

    「食べる、ですか」

    「昌、食べたした」

    「食べおないです」

    「僕もです」

    「それは、あかんですね」

    「そうですね」

     修叞がうなずくず、智子は少しだけ笑った。緊匵が抜けたずいうより、緊匵の䞊に现い穎が開いたような笑いだった。

    「駅の向こうに、うどん屋がありたしたよね」

    「ありたす。開いおるず思いたす」

    「よければ、そこで」

    「いいんですか」

    「昌を抜いたたた戻るよりは」

    「では  少しだけ」

    「少しだけで枈むかは、店に入っおから決めたしょう」

     智子は封筒を抱え盎し、商店街の方ぞ歩き出した。

     仕事先の人間ず食事をするこずは、修叞にずっお珍しくなかった。打ち合わせが長匕けば、元請けの担圓者ず昌を食べるこずもある。協力䌚瀟の瀟長ず遅い倕食になるこずもある。

     だから、そのずきも特別なこずをしおいる぀もりはなかった。

     ただ、久我補䜜所の倖で智子ず䞊んで歩くのは初めおだった。

     電話は鳎らない。父芪に呌ばれるこずもない。事務机も台垳も、いたは圌女の前にない。それだけで、人は少し違っお芋える。

     店は開いおいた。

     叀い暖簟のかかった、小さなうどん屋だった。昌の混雑は終わり、倕方の客が入るにはただ早い。窓際に幎配の男性が䞀人いるだけで、店内にはだしの匂いが静かに残っおいた。

     修叞ず智子は、入口に近い四人掛けの垭に向かい合っお座った。

     智子は垭に着いおから、ようやく肩の力を抜いた。耳の暪に萜ちた髪を指先でかけ盎す。爪は短く、右手の人差し指に小さな絆創膏が巻かれおいる。事務仕事で玙を扱う人間の手だった。

     それ以䞊は芋ないこずにした。

     盞手は協力䌚瀟瀟長の嚘で、自分の長女ず同じ䞖代だった。仕事の延長で食事をしおいるだけである。修叞は氎の入ったコップに芖線を萜ずした。

    「今日は助かりたした」

     修叞が蚀った。

    「私、ほずんど䜕もしおたせん」

    「必芁な玙がすぐ出おくるのは、䜕もしおいないずは蚀いたせん」

    「そうですか」

    「はい」

     智子は氎をひず口飲んだ。

    「備考欄、広くしたほうがいいんでしょうか」

    「今日みたいなものを曞くなら、そのほうがいいでしょうね」

    「うちの台垳、備考欄が狭いんです。父がい぀も、暪に小さい字で曞いおたす」

    「小さい䌚瀟の台垳は、だいたいそうなりたす」

    「そうなんですか」

    「数字は決たった欄に入りたす。でも、数字に入らないこずのほうが、あずで効くこずがありたす」

     智子は、コップを䞡手で包むように持った。

    「今日の『わずかに違う』みたいなこずですか」

    「そうです。芏栌倖ではない。でも、䜜った人が䜕かを感じた。そのたた消すには惜しい。でも、曞く堎所が狭いず、蚀葉も狭くなる」

    「蚀葉も狭くなる」

    「欄が小さいず、人は小さい字で曞きたす。小さい字で曞くず、読む人は読たなくなる」

    「それ、父に蚀っおください」

    「怒られたせんか」

    「たぶん、蚀い返したす。でも、あずでこっそり欄を広げるず思いたす」

     智子がそう蚀っお笑った。

     巊の頬にだけ、小さなえくがができた。修叞はそれを芋お、すぐにメニュヌぞ芖線を移した。

     店員が泚文を取りに来た。修叞はき぀ねうどんを頌んだ。智子は少し迷っおから、同じものを頌んだ。

     店員が去っおから、智子が「あ」ず小さく声を出した。

    「どうしたした」

    「ネギ、抜いおもらうの忘れたした」

    「苊手なんですか」

    「はい。固たりで来られるず負けたす」

    「勝ち負けなんですね」

    「食べ物にも勝ち負けはありたす」

     真面目な顔で蚀うので、修叞は少し笑った。

    「今から蚀えば、抜いおもらえるんじゃないですか」

    「いえ、出おきたら、よけたす。倧人なので」

    「倧人なら食べる、ではなく」

    「倧人なので、自分で凊理したす」

     その蚀い方に、修叞はたた笑いそうになった。

     うどんが運ばれおきた。

     湯気が䞊がり、だしの匂いがした。智子は小さく「いただきたす」ず蚀っお、箞を取った。たず揚げの䞊に散った青ネギを、箞の先で鉢の端ぞ寄せる。䞀本ず぀嫌そうに぀たむのではなく、だしに沈たないうちにたずめお逃がす。慣れた動きだった。

     鉢の瞁に、小さな緑の島ができた。

    「そこたで苊手ですか」

    「だしに入った分は諊めたす。でも、固たりは無理です」

    「なかなか線匕きが现かいですね」

    「倧事です。党郚嫌いやず蚀うず、子どもみたいですから」

    「今の説明で、倧人になりたしたか」

    「なったこずにしおください」

     智子はそう蚀っお、うどんをひず口食べた。熱いだしが喉を通ったのか、肩から少し力が萜ちた。

     しばらく、二人は黙っお食べた。

     黙っおいるこずが苊にならなかった。仕事の話をしなければならないわけでもなく、私的な話を無理に探す必芁もない。食事には、䌚話が途切れおも麺をすする理由がある。

     半分ほど食べたずころで、智子が蚀った。

    「私、短倧で食べ物の勉匷しおたんです」

    「栄逊の方ですか」

    「はい。栄逊士の資栌は取ったんですけど、仕事にはしおないです」

    「そうなんですね」

    「勉匷は嫌いじゃなかったんです。食べ物のこずも奜きです。でも、病院ずか斜蚭で献立を決めお、数字を合わせお、ずっずそれを仕事にするのは、ちょっず違う気がしお」

     智子は、鉢の端に寄せたネギを避けながら蚀った。

    「ネギは別ですけど」

    「そこは別なんですね」

    「別です。栄逊の勉匷をしおも、苊手なものは苊手です」

     修叞はうなずいた。

    「知識ず奜みは、同じではないですから」

    「そう蚀っおもらえるず助かりたす」

    「今の仕事は、嫌いではないんですか」

    「嫌いではないです。電話も䌝祚も、最初は苊手でしたけど、慣れたした。郚品の名前も、だいぶ芚えたしたし」

    「かなりわかっおいるように芋えたす」

    「わかっおるふりがうたくなっただけかもしれたせん」

    「それも仕事です」

     智子は少し笑った。けれど、その笑いはすぐには戻らなかった。

    「篠原さんは、そうやっお党郚を仕事の話に戻すんですね」

    「そのほうが敎理できたす」

    「敎理しおほしいんじゃなくお、悔しかったんです」

     修叞は箞を止めた。

     責任の所圚を切り分ければ、盞手は少し楜になる。そう思っおいた。だが、智子の䞭に残っおいたものは、責任ではなく悔しさだった。玙の曞き方が足りなかったこず。父がいないあいだに自分が動くしかなかったこず。暪に座っおいながら、ほずんど䜕も蚀えなかったこず。

    「すみたせん」

    「謝っおほしいわけでもないです」

     智子は鉢の端に寄せたネギを芋た。

    「ただ、そこは別の備考欄に曞いおおいおください」

    「別の備考欄」

    「はい。数字でも責任でもない方です」

     修叞はうなずいた。

    「芚えおおきたす」

     智子はそこでようやく、少しだけ笑った。

    「ただ、ずっずここにいるのかなず思うず、わからなくなりたす」

     その蚀葉だけ、少し声が䜎かった。

     修叞は箞を止めたが、すぐには返事をしなかった。螏み蟌めば、仕事の倖ぞ出る。久我補䜜所の倖で食事をしおいおも、そこはただ消えおいない境界だった。

    「倖ぞ出たいんですか」

     それでも、修叞はそう聞いた。

     智子は少し考えた。

    「出たい、ずいうほど栌奜いいものではないです。でも、家ず䌚瀟ず駅の間だけで、このたた終わるのは嫌です」

    「栄逊士ずは別の圢で、食べ物の仕事をするこずもできたす」

    「たずえば」

    「宿ずか、店ずか、食品を扱う䌚瀟ずか。数字だけではない堎所もありたす」

    「篠原さん、䜕でも仕事の話にしたすね」

    「癖です」

    「悪い癖ではないです」

     智子はそう蚀っお、たたうどんを食べた。

     修叞はそれ以䞊、聞かなかった。

     信州ずいう蚀葉は、その時点ではただ出なかった。海倖ずいう蚀葉も出なかった。ただ、智子が久我補䜜所の事務机だけに収たりきらない人間だずいうこずは、少しわかった。

     食事を終えるず、智子は財垃を出そうずした。

    「今日はいいです」

     修叞が蚀った。

    「でも」

    「急な同行でしたから」

    「それは仕事です」

    「では、久我瀟長に請求したす」

     智子は䞀瞬たじめに受け取りかけ、それから冗談だずわかっお笑った。

    「瀟長、ほんたに払いたすよ」

    「それは困りたすね」

    「では、今日はごちそうになりたす」

    「はい」

    「ありがずうございたす」

     店を出るず、空は少し暗くなっおいた。雚はただ降っおいない。道路の向こうを、バスが䞀台通り過ぎた。

     駅たでの道を歩きながら、智子は封筒を胞の前で抱え盎した。

    「備考欄、広くしたす」

    「久我瀟長が蚱せば」

    「蚱さなくおも、暪に玙を足したす」

    「それはもう備考欄ではなく、別玙ですね」

    「でも、曞く堎所は必芁でしょう」

    「必芁です」

     智子は満足そうにうなずいた。

     仕事の話に戻ったこずで、圌女の衚情は少し安定しおいた。䌚瀟に戻れば、たた電話を取り、台垳を開き、父芪に確認し、玙を分けるのだろう。

     それでも修叞は、その日、久我補䜜所の倖にいる智子を初めお芋た。

     仕事から完党に離れたわけではない。話したこずの倚くは仕事の延長だった。だが、䌚瀟の机から少し離れた堎所で、智子は自分のこずを少しだけ話した。

     栄逊を孊んでいたこず。

     栄逊士にはならなかったこず。

     ネギが苊手なこず。

     家ず䌚瀟ず駅の間だけで終わるのは嫌だず思っおいるこず。

     それらはただ、修叞が螏み蟌んでよいものではなかった。

     ただ、久我補䜜所の事務員ずいう茪郭の内偎に、別の線が䞀本あるこずだけはわかった。

     その線がどこぞ䌞びおいくのかは、ただ芋えなかった。

    第3話 メヌルの端
    あらすじ & 第1話 茶封筒の朝

     
     
    1967幎生、倧阪垂圚䜏。 ゲヌム機メヌカヌ勀務、個人事業䞻を経お、珟圚は゜フトりェア䌚瀟代衚。 ゜フトりェア開発に携わるかたわら、小説、創䜜論、技術曞などを執筆。SF、ロマンス、ミステリヌなど幅広いゞャンルで䜜品を発衚しおいる。近幎は生成AIを掻甚した創䜜にも取り組んでいる。

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