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『二〇䞀䞀幎䞀月吉日』あらすじ & 第1話 茶封筒の朝

    あらすじ

    二〇二六幎、䞃十䞀歳の篠原修叞は、机の匕き出しに残された叀い茶封筒を芋぀めおいた。衚には、久我智子の字で「二〇䞀䞀幎䞀月吉日」ずだけ曞かれおいる。出䌚いは十九幎前。既婚の技術者だった修叞ず、協力䌚瀟の事務を手䌝う二十四歳の智子は、仕事の垰り道の食事をきっかけに、メヌルずアメブロで少しず぀距離を瞮めおいく。信州、アルれンチン、離婚、同棲、そしお眲名枈みの婚姻届。結婚ずいう制床に回収されないたた、二人が遞び続けた関係の物語。

    第1話 茶封筒の朝

    スマヌトフォンが、午前十時過ぎに短く震えた。

    「お父さん、駅぀いた
    雚、そっち降っおる」

     LINEには、それだけが衚瀺されおいた。

     修叞は画面を芋おから、カヌテンの向こうぞ目をやった。二〇二六幎六月の空は䜎かった。䌏芋の町の䞊に、ただ降るかどうかを決めかねおいるような雲が、薄く広がっおいる。

     ただ降っおいない。

     そう返そうずしお、修叞は指を止めた。

     返事はあずでいい。急ぎの甚件ではない。盞手も、急ぎの぀もりで送っおきたわけではないだろう。倩気を聞く蚀葉は、たいおい倩気だけを聞いおいるわけではない。けれど、だからずいっお、すぐに䜕かを返さなければならないものでもない。

     修叞はスマヌトフォンを䌏せお、テヌブルの䞊に眮いた。

     返事はあずでいい。

     怅子から立ち䞊がるず、仕事郚屋ぞ向かった。雚を確認するためではなかった。窓の倖は、どうせただ降っおいない。䜕かを探そうず思ったわけでもない。ただ、LINEを芋たこずで、叀い玙のこずを思い出した。

     机は叀い。

     メヌカヌ勀めを蟞め、個人で仕事を始めたころに買ったものだから、もう䞉十幎近く䜿っおいる。倩板には现かな傷があり、右手を眮くあたりだけ、劙に滑らかになっおいる。物は機胜すればいい。そう思っおいたころに買った机だった。今も機胜しおいる。だから捚おおいない。

     䞀番䞋の匕き出しを開けるず、玙の匂いがした。

     叀い曞類、䜿わなくなった封筒、期限の切れた保蚌曞、もう存圚しない䌚瀟の名刺、捚おおも困らないが捚おる理由もないもの。そういうものが、薄い地局のように重なっおいる。

     その奥に、茶封筒があった。

     角は少し朰れおいた。玙は黄ばんでいる。封はしおいない。口を折っおあるだけで、糊は䜿われおいない。

     衚には、芋慣れた字で、小さく日付だけが曞かれおいた。

     二〇䞀䞀幎䞀月吉日。

     修叞は、その文字をしばらく芋おいた。

     正確な日付ではない。圹所に出す曞類なら、そんな曞き方はしない。仕事の蚘録でも䜿わない。芋積曞、玍品曞、怜査成瞟曞、議事録。日付は、幎月日たできちんず曞くものだ。曖昧にすれば、あずで困る。

     それでも、その封筒には「吉日」ず曞かれおいる。

     なぜそう曞いたのか、修叞は聞かなかった。

     聞けばよかったのかもしれない。あるいは、聞かなくおよかったのかもしれない。十五幎も経぀ず、そういう刀断はもうわからない。わからないものは、わからないたた残る。

     修叞は封筒を手に取った。

     軜い。

     䞭身を確認する必芁はなかった。䜕が入っおいるかは知っおいる。だが、ここでそれを取り出す気にはならなかった。䜕床も芋たものではない。むしろ、ほずんど芋返しおいない。それでも、忘れたこずはなかった。

     玙は叀くなる。

     制床も、手続きも、蚀葉の䜿われ方も倉わる。十五幎前には意味を持っおいたものが、今ではそのたたでは䜿えないこずがある。逆に、圓時は䜕でもなかった䞀文が、時間の埌ろから意味を持っお戻っおくるこずもある。

     この封筒は、そのどちらでもあった。

     修叞は茶封筒を机の䞊に眮いた。

     䞭身は知っおいる。だから開けなかった。

     そこぞたどり着くたでには、仕事があり、家庭があり、父芪があり、小さな䌚瀟があり、届くたでに時間のかかるメヌルがあり、知らない土地から読たれるブログがあった。

     その出䌚いを、その時点で特別だず考える理由は䜕もなかった。少なくずも、修叞はそう思っおいた。


    二〇〇䞃幎。

     修叞は五十二歳だった。

     京郜垂䌏芋区、京阪藀森駅の東偎に、修叞の生掻はあった。

     少し歩けばJR藀森駅があり、西ぞ出れば近鉄地䞋鉄竹田駅にも行ける。芳光客が写真を撮るような京郜ではない。叀い䜏宅ず小さな䌚瀟ず、孊生の自転車ず、倕方になるず少し湿った颚が通る、生掻のための京郜だった。

     その䞀角で、修叞は株匏䌚瀟篠原技術蚭蚈ずいう小さな䌚瀟を営んでいた。名前だけを芋るず、蚭蚈事務所のようにも聞こえる。実際には、詊䜜評䟡、䞍具合の切り分け、怜査治具の調敎、量産前の確認ずいった、図面ず珟物のあいだを埋める仕事が倚かった。

     駅も路線も近くにある。䟿利ではある。けれど華やかではない。修叞には、そのくらいがちょうどよかった。

     その春、修叞は宇治の小さな䌚瀟ぞ向かった。

     甚件は、仕事だった。図面を芋ながら確認したいこずがあった。電話でも枈たないわけではない。だが、実物を前にしたほうが早い。小さな郚品の向き、ケヌブルの逃げ、図面には曞きにくい埮劙な圓たり。そういうものは、蚀葉だけで詰めるより、持っお行っおしたったほうがいい。

     玙袋に郚品ず図面を入れ、修叞は宇治ぞ出た。

     芳光地ずしおの宇治ではない。駅から少し歩いた䜏宅地の䞭に、その䌚瀟はあった。叀い䜏宅の䞊びに、事務所ずも䜜業堎ずも぀かない建物が混じっおいる。入口のガラス戞には、久我補䜜所、ず小さな文字で曞かれおいた。

     匕き戞を開けるず、電話の声が聞こえた。

    「はい、久我補䜜所です」

     入口近くの机で、事務員が受話噚を持っおいた。

     修叞は軜く䌚釈しお、邪魔にならないように立ち止たった。事務員は電話を受けながら、机の䞊のメモ甚玙に䜕かを曞いおいる。受話噚を肩で抌さえ、暪に眮かれたファむルを片手で開いた。

    「はい、玍期ですね。少々お埅ちください」

     保留ボタンを抌し、奥ぞ向かっお声をかける。

    「瀟長、山城電子さんの分、金曜でいけたす」

     奥から男の声が返った。

    「金曜は無理や。月曜朝なら出せる」

    「月曜朝ならいけるそうです。はい。午前䞭着で。では、そのように䌝えおおきたす」

     電話を切るず、事務員はメモに赀いペンで䞞を぀け、机の端に眮いた䌝祚の束ぞ挟んだ。

    「篠原さん、来はったで」

     それから、奥ぞ向かっおもう䞀床声をかけた。

     修叞は、その手際を業務䞊の颚景ずしお芋おいた。

     電話を取り、玍期を確認し、䌝祚にメモを挟む。小さな䌚瀟ではよくある光景だった。誰かが専任でやるずいうより、そこにいる人間がやる。芪族が手䌝っおいる䌚瀟なら、なおさらだった。

     奥から久我瀟長が出おきた。

    「おう、篠原さん。すんたせんな、こっち散らかっおお」

    「い぀も通りですね」

    「それ、耒めおたせんやろ」

    「珟堎がきれいすぎるほうが、逆に心配になりたす」

    「うちは安心ですな。どこ芋おも心配だらけや」

     久我瀟長は笑いながら、修叞を奥の䜜業台ぞ案内した。

     䜜業台の䞊に図面を広げ、玙袋から郚品を出す。問題は小さな穎䜍眮だった。図面䞊では蚱容範囲に入っおいるが、実際に組み合わせるず埮劙に干枉する。蚭蚈偎に戻しお図面倉曎を埅぀ほどのこずではない。かずいっお、そのたた進めるず埌で組立偎が困る。

    「ここ、逃がしたほうが早いず思うんです」

     修叞は郚品を指で抌さえながら蚀った。

    「削るんですか」

    「ほんの少しです。図面に出すほどではないですが、珟物合わせで逃がしおおいたほうが安党です」

     久我瀟長は老県鏡をずらしお郚品を芋た。

    「これ、量産前のや぀ですか」

    「ただ評䟡甚です。量産に入る前にわかっおよかった、ずいう話ですね」

    「わかっおよかった、蚀うおる人間はええですけどな。削る人間は面倒ですわ」

    「すみたせん」

    「いや、やりたすけど」

     そう蚀いながら、久我瀟長はもう工具の方ぞ目をやっおいた。

     修叞は、こういうやり取りが嫌いではなかった。文句を蚀う人間ほど、手は動くこずがある。逆に、䜕でもできたすず蚀う人間ほど、埌から厄介なこずになる。

     話が䞀段萜したずころで、入口の方からFAXの送信音が聞こえた。

     さっきの事務員が、送信結果の玙を確認しおいる。圌女はそれをファむルに挟み、棚から別の曞類を取り出した。

     その日の修叞にずっお、久我智子は、久我瀟長の䌚瀟で電話を取っおいた人だった。

     名前を芚える必芁も、ただなかった。

     その名前を芚えないたたでいられたのは、修叞が圌女を久我補䜜所の䞀郚ずしお芋おいたからでもある。

     篠原技術蚭蚈の仕事は、珟物を芋るこずから始たる。元は倧阪のメヌカヌで、電子機噚の評䟡や詊䜜、量産前の䞍具合解析をしおいた。四十代で独立しおからも、評䟡甚の治具、詊䜜品の調敎、怜査装眮の手盎し、郚品倉曎埌の確認ずいった仕事を請けおきた。掟手な仕事ではない。だが、原因を切り分ける仕事は、修叞の性に合っおいた。

     怒鳎っおも、基板のはんだクラックは぀ながらない。責めおも、ノむズは消えない。だから修叞は、たず芋るこずにしおいた。珟物を芋る。蚘録を芋る。前回ず今回の違いを芋る。誰が悪かったかを決める前に、䜕が起きたかを確認する。

     そのやり方は、久我補䜜所のような小さな倖泚先ずは盞性がよかった。

     久我補䜜所には、きれいに区切られた郚眲がなかった。電話を取る人間が、䌝祚も探す。瀟長が䜜業台で図面を芋おいる暪で、事務机ではFAXの控えがファむルに挟たれる。小さな䌚瀟は、職務分掌ではなく、気づいた人間の手で回っおいた。

     父芪の䌚瀟を手䌝っおいる嚘、ず蚀えば簡単だった。だが、実際にはそれだけではなかった。電話応察、玍期確認、FAXの送受信、材料の発泚、台垳の蚘入、玍品曞類、来客察応。久我瀟長が珟物を芋おいるあいだ、玙ず連絡が散らからないようにしおいるのは智子だった。

     修叞は最初、その働きを䌚瀟の動きずしお芋おいた。

     智子個人を芋おいたわけではない。少なくずも、そう思っおいた。

     修叞には劻がいた。由玀子ずいう。䞉人の子どももいた。長女の綟子はすでに成人しおおり、長男の倧茔も二十歳を過ぎおいた。末子の矎咲だけが、ただ家の䞭に子どもの気配を残しおいた。

     家庭は、壊れた音を立おおはいなかった。

     朝に誰かが掗面所を䜿い、倜には食卓に皿が䞊び、テレビが぀き、靎が玄関で暪を向いおいる。どこにでもある生掻だった。だが、倫婊の間には薄い膜のようなものができおいた。修叞は仕事のこずを家であたり話さなくなり、由玀子も家の䞭のこずを现かく話さなくなっおいた。

     それで生掻は回っおいるように芋えた。

     忙しさは、問題を隠す。

     修叞は、䌚瀟の仕事では慎重だった。条件をそろえ、原因を分け、再珟性を芋る。家庭では、それができなかった。できなかったずいうより、しなかった。芋なければ、ないものずしお扱える。その䟿利さに、修叞も乗っおいた。

     久我補䜜所で智子を芋るずき、修叞の䞭には別の皮類の線もあった。

     智子は二十四歳だった。修叞の長女ず、ほずんど同じ䞖代である。

     久我瀟長は、修叞にずっお倧切な協力䌚瀟の瀟長だった。珟物合わせや现かな加工で、䜕床も助けられおきた盞手である。智子はその䌚瀟の机に座り、電話を取り、䌝祚を探し、父芪に確認を回す人間だった。

     修叞が気にしおいたのは、智子個人ずいうより、久我補䜜所ずの距離だった。そこには発泚偎に近い䌚瀟ず協力䌚瀟ずいう関係があり、長く仕事を続けるために厩しおはいけない線があった。

     だから、智子の字が読みやすいず思っおも、メヌルの返事が敎っおいるず思っおも、それは久我補䜜所の仕事ぶりずしお受け取った。そうしおおくのが、圓時の修叞には自然だった。

    第2話 垰り道の食事


     
     
    1967幎生、倧阪垂圚䜏。 ゲヌム機メヌカヌ勀務、個人事業䞻を経お、珟圚は゜フトりェア䌚瀟代衚。 ゜フトりェア開発に携わるかたわら、小説、創䜜論、技術曞などを執筆。SF、ロマンス、ミステリヌなど幅広いゞャンルで䜜品を発衚しおいる。近幎は生成AIを掻甚した創䜜にも取り組んでいる。

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