「何とかならなくても、生きていればいい」─自分の存在を許せるようになるまで
私は、仕事のストレスで適応障害になり休職し、都会の会社員生活に疲れて退職・転職して、今は何の縁もない地方で暮らしている。
適応障害で休職するまで、4年ほどメンタル不調を抱えながら仕事を続けていた。その間、不安で何も手につかず、ただ時間だけが過ぎていって焦りがどんどん大きくなっていくことが何度もあった。
そのたびに「このままでいいのか」と思いながら、それでも動けなかった。そうした時間は、何か行動を起こして失敗するよりも苦しいものだった。
休職期間も同じだった。早く復帰しないと、という焦りはあるけれど体は動かない。何かしなければと思うのに、何もできない。そんな自分を責めて、ただ不安だけが大きくなっていった。
そうして長年抱えていた不安とどうにか折り合おうと、メンタル不調になり始めた頃から、気持ちを楽にしてくれる言葉を探してはノートに書く、という習慣をずっと続けてきた。
過去のノートを読み返して、次のような言葉が記されているのが目に留まった。
「人として底辺でもいいじゃねえか。どん底でも、ボロボロになって生きれば、生きていること自体がお前の輝きだ」
これは、お笑いタレントの江頭2:50氏の言葉だとされる。
この言葉をノートに書いた当時はメンタル不調になり始めて数年が経過した頃で、上記の通り、やらなければならないことを多数抱えながらも不安で何もできない状況だった。
そんな自分にとって、この言葉は、どんな状況になっても生きてさえいればいい。そう腹をくくれば何でもできる。だから恐れずに行動しよう。そんな後押しをしてくれる言葉だった。
今読み返すと、当時の自分がいかに追い詰められていたかが伝わってくると同時に、それでも何かを掴もうと足掻いていたことも垣間見える。
「生きてさえいればいい」という言葉は、一見すると慰めの言葉に聞こえる。でも当時の私にとっては、そうではなかった。
何もできずに周りに貢献できない時期が続き、先が見えない。「自分はもうダメかもしれない」という恐れが、ずっとそこにあった。その恐れが、行動にブレーキをかけていた。
「底辺でも、ボロボロでも、生きていること自体が輝きだ」
この言葉は、その恐れに直接触れてきた。どんな状態であっても、生きていることそのものに価値がある。だから、なにか行動を起こすことが怖くて、足が震えながらでも何らかの動きをする。それで何かを失うことを恐れなくてもいい、そう言われた気がした。
それは「何とかなる」という楽観ではなく、「何とかならなくても、生きていればいい」という地点まで降りていくこと。その地点に立てたとき、心身が不調の中でも何か動こうとする自分を、少しだけ許せるように思う。
「生きてさえいればいい」と腹を括っても、すぐに何かが変わるわけではない。翌日から元気になるわけでも、速やかに行動できるようになったわけでもない。
ただ、この言葉を心の中に置いておくことで、自分を責める声が小さくなる気がしている。休んでいる自分、動けない自分、何もできない自分を「ダメだ」と断罪する声が、以前より遠くなった。生きていること自体に輝きはあるのだから。
私は、人の性格は本質的には変わらないものだと考えている。地方移住をした今も、つい自分を責めてしまう瞬間が無くなったわけではない。これからも、それはたぶん同じだろう。
そんな自分が底辺だと感じた時も、そういう時期が続いてボロボロになったとしても、生きていること自体が輝きだ、という言葉を、これからも心に秘めていたいし、同じような悩みを抱えている人にも届けたい。
まずは、生きていることを許すこと。それだけで十分。
その先のことは、その後に着いてくる。
それでいい。
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