【ひなた幼少期編】第1話 壊れた世界のすみっこで、巡りあう愛
前回のお話
海が見える丘の上に立つ、小さな木造の建物。
かつてそこは、潮風に乗ってコーヒーの香ばしい匂いと客たちの穏やかな笑い声が漂う、温かなカフェだった。
けれど、今のその場所は、窓ガラスが割り渡され、壁をツタが覆う寂しげな廃墟に過ぎない。
ひなたが、その場所が自分の「本当の家」だったと知ったのは、養護施設に入ってしばらく経った頃だった。
ひなたが幼い頃、大好きだった父と母は突然の交通事故で帰らぬ人となった。
幼くして身寄りをつぶされたひなたを引き取ってくれる温かい手はなく、冷ややかな視線と身勝手な事情の中で、親戚の家をたらい回しにされる日々。
どこへ行っても「余計者」として扱われたひなたが行き着いた場所が、丘の麓にある養護施設だった。
心に深い傷を負い、自分の居場所を見失ったひなたは、いつしか言葉を失い、一人で丘を登るようになった。
そして辿り着いたのが、崩れかけた看板にうっすらと「ひなた」の文字が残る、父と母の残骸のようなカフェだった。
埃っぽい床に膝を抱えて座り込むことだけが、ひなたにとって許された唯一の息抜きだった。
そんな、ある雨の日のこと。
冷たい雨が丘を濡らす午後、ひなたはカフェの壊れた軒下で、小さな黒い塊が横たわっているのを見つけた。
近づいてみると、それは一匹の痩せこけた黒猫だった。
後ろ脚は不自然な方向に曲がり、痛々しい傷口からは血が滲んでいる。
身体のあちこちには、人間に殴られ、痛めつけられた痕跡が残っていた。
「……あ」
ひなたは着ていた薄手のカーディガンを脱ぐと、震える手で黒猫を優しく包み込み、冷え切ったカフェの中に抱きかかえた。
ひなたの手の中で、黒猫は「シャーッ!」と激しい威嚇の声を上げた。
恐怖に満ちたその瞳は、人間にひどい仕打ちを受けてきた絶望を物語っていた。
ひなたの手を全力で引っ掻き、噛みつこうと必死に抵抗する。
けれど、ひなたは手を離さなかった。
痛みに耐えながら、ぽろぽろと涙をこぼし、静かに黒猫を抱きしめ続けた。
「痛かったよね……怖かったよね……。ごめんね、大丈夫だよ……ここには、誰もいじわるする人はいないから……」
血と泥で汚れるのも構わず、ひなたは持っていたハンカチを雨水で濡らし、丁寧に傷口を拭った。
施設から持ち出していたわずかなパンくずと水を口元へ運ぶ。
最初、黒猫は身を縮こまらせてひなたを強く警戒していた。
しかし、ひなたの瞳の中に宿る自分と同じ「深くて暗い孤独」を感じ取ったのか、数日経つ頃には威嚇をやめ、ゆっくりと差し出された手に鼻先を寄せるようになった。
傷が少しずつ癒えていくにつれ、黒猫はひなたの膝の上から離れなくなった。
ひなたが優しく撫でると、壊れたオルゴールの低音のように、喉をゴロゴロと鳴らす。
「あなたの名前……『クロ』にするね。私と一緒に、ここにいてくれる?」
クロは「ニャー」と短く鳴き、ひなたの首元に温かい額を擦り寄せた。
身寄りを失い、世界から置き去りにされた少女。
人間に傷つけられ、帰る場所を失った黒猫。
廃墟となった小さなカフェの窓辺で、二つの小さな命は寄り添い合い、互いの体温を分け合った。
外は冷たい潮風が吹き抜けている。
けれど、埃っぽいフロアの片隅に差し込む一筋の陽射しの中で、ひなたとクロは静かに、けれど確かに、二人だけの温かな生きる場所を見出していた。
忍び寄る黒い足跡に気づかずに…。

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次回公開は10/3(土)⏱21時です。
