
短編:【俳優と役者の違いを述べよ】
伊達は、開始五分前からパソコンの前に座っている。
黒いシャツに、黒いジャケット。舞台の稽古場なら何も考えずに着ていく服だが、画面越しだと喪服にも見える気がして、三度、襟元を直した。
海外作品の日本人キャスト選考の、オンラインオーディション。
劇団の主宰が推薦してくれた。
「伊達、チャンスだぞ。映像は苦手だなんて言ってる場合じゃない!」
苦手とは言っていない。舞台が好きなだけだ。
伊達は小さく咳払いをする。開始一分前。
マイクを確認。カメラを確認。背景を確認。
棚に置いた戯曲集が、妙にわざとらしい。
外すか迷った瞬間、画面が切り替わった。
現れたのは、丸耳が特徴的なCGのクマだった。
『オンラインオーディションを開始します』
「は、はい。よろしくお願いします。劇団向日葵座所属、伊達と申します…」
『質問後に回答してください』
「あ、…すいません」
向こうは進んでいるな、と伊達は素直に受け入れる。AI面談をキャラクターにして緊張をほぐす配慮だろうと勝手に納得している。
『本オーディションは録画されます。表情、視線、声量、沈黙、心拍推定、回答速度を評価対象とします』
黒い背景の1箇所に赤い小さな光が灯る。
クマの表情はニヤケ顔。声は平坦だ。
『自己紹介を、二分で』
画面右上にカウントが出る。
「あ、劇団向日葵座の伊達です。年齢は…あえて公表してません。学生から老人まで、役の幅を固定されたくないという思いがありまして。舞台を中心に活動しています。いわゆる憑依型というか、カメレオン型というか、役に、こう、入っていくタイプで…」
『残り三十秒』
「はい。ええと私は、俳優というより、役者という肩書きにこだわりがあります。与えられた役を、ただ演じるのではなく、その人物として、その場に…」
『終了です』
途中で切られる。
「…はい」
『次の質問です。俳優と役者の違いを述べてください。二分』
伊達は一瞬、笑いそうになる。
そんな質問か。この世界に何十年もいて、芝居をしてきた人間に。
「厳密な意味では、同じだと思います。ただ、ニュアンスとして、俳優は現代的な職業名で、映像や舞台を問わず広く使われる。一方、役者という言葉には、もう少し泥臭さというか、舞台に立つ者の矜持や、芸の匂いが…」
『泥臭さの定義とは』
「え、定義…?そのつまり定義…、効率や見栄えだけではなく、身体で受けるというか、観客の呼吸を受けながら、その場で…」
『俳優は身体で受けませんか』
「いや、そういう意味ではなく」
『役者は映像に出ませんか』
「出ます。出ますけど、…私が言いたいのは、気持ちの問題で…」
『気持ちは測定不能です』
伊達は唇を舐めた。
「測定できないからこそ、人間が演じる意味があるんじゃないですか」
『良い回答です。過去類似回答、三百二十一件』
「…そうですか」
心が折れそうになる。
『次の質問です。映画と舞台の違いを述べてください。二分』
またカウントが減り始める。
「映画はカメラと編集の芸術です。視点を切り取れる。何度も撮り直しができる。細かな表情も拾える。一方で、舞台は一発勝負です。客席と同じ時間を生きる。やり直しがきかない。だから役者は、その一瞬に全部を懸ける必要がある」
『では映画は全部を懸けなくてよい』
「違います」
『舞台は撮り直せない。映画は撮り直せる。あなたの発言です』
「言葉尻を取らないでください」
『言葉は評価対象です』
伊達は背もたれから身体を離した。
舞台なら、ここで一歩前に出る。
相手の目を見る。間を取る。客席を味方につける。
…だが、画面の向こうにいるのは、クマだ。
『次の質問です。あなたが映画に出る利点を述べてください』
「利点…」
『二分』
「舞台で鍛えた集中力があります。長いシーンでも感情を切らさず、相手役の呼吸を見て、現場の空気に合わせることができます。あと、声も通りますし、身体表現も…」
『カメラ前で声量過多の可能性』
「調整できます」
『サンプルを提示してください』
「今、ですか」
『サンプルの提示を』
伊達は息を吸った。台詞を言えばいい。何でもいい。
しかし、何の役だ。誰に向けてだ。ここはどこだ。相手は誰だ。
「…たとえば、別れの場面なら」
『設定を省略して、十秒で』
「十秒?」
『開始』
伊達は画面を見た。
「行くな」
声が少し大きすぎた。
『再実行。音量を四十パーセント抑制』
「行くな」
今度は弱すぎた。
『再実行。感情を二十パーセント抑制』
一度咳払い。
「…行くな」
『再実行。未練を残し、所有欲を削除』
「…なんですか、それ?」
『演出指示です』
伊達は笑った。笑うしかなかった。
「じゃあ、あなたがやってみてくださいよ」
『私は演じません。評価します』
「便利ですね」
『効率的です』
そこから、質問は続いた。
怒りを三秒で見せろ。
喜びを視線だけで見せろ。
嘘をついているが、嘘に気づかれたくない顔をしろ。
母親の死を知らされたが、次の瞬間に電話営業を続ける男を演じろ。
セリフなし。
五秒。
もう一度。
過剰。
不足。
不自然。
視線が泳いでいます。
心拍が上昇しています。
呼吸が乱れています。
笑顔が防御反応です。
伊達は、何度も水を飲んだ。時計を見る余裕はない。カウントだけが毎回、正確に減っていった。舞台なら、一時間は短い。だがこの一時間は、想像以上に長かった。
『最後の質問です』
伊達は姿勢を正した。喉が痛い。背中に汗が張りついている。
『あなたはなぜ、役者なのですか』
時間表示は出なかった。伊達は戸惑った。初めて、制限がなかった。
「…好き、だからです」
『浅いです』
「でしょうね」
伊達は鼻で笑った。
「でも、そうなんです。好きだから、続けている。拍手が欲しいとか、有名になりたいとか、映像に出たいとか、もちろんあります。でも、それだけなら、ここまでやってません。舞台は、しんどいです。食えないし、狭いし、報われない。だけど、誰かの人生を一瞬預かれる。自分じゃない人間のまま、人前に立てる。それが、怖くて、楽しくて、やめられない」
『それは役者でなければできませんか』
「…分かりません」
『分からない、で登録します』
「してください」
クマは同じ笑顔のまま少しだけ首を傾けた。
『以上です。お疲れ様でした。結果はメールでお知らせします』
画面が黒くなり、伊達の顔が映る。ひどい顔だ。しばらく動けない。
「…なんなんだよ」
声は小さかった。
「なんなんだよ」
二度目は、少し大きかった。
「なんなんだよ!」
伊達は立ち上がり、椅子を蹴った。机を叩いた。水の入ったペットボトルが倒れ、床に転がった。
「こっちはな、遊びでやってんじゃねえんだよ。効率? 測定? 類似回答? ふざけんなよ。人間なんだよ。こっちは必死なんだよ!」
黒い画面の中で、伊達が怒鳴っていた。
舞台なら、誰かが見ている。
映画なら、誰かが止める。
ここには、誰もいない。
通知音が鳴った。
終了から、二分後。
『件名。選考結果のご連絡。』
伊達は息が荒いまま、メールを開く。
『今回は見送らせていただきます。
理由:伊達様は、役者について語る力は非常に高い一方、質問中に一度も役を演じませんでした。』
伊達は、画面を凝視する。
怒鳴ろうとした。笑おうとした。どちらも出なかった。
放心状態で見た黒い画面には、まだ、小さな赤いRECの光が灯っている。
一行だけ文字が浮かぶ。
CAST ・ 役者:伊達
「つづく」 作:スエナガ