
短編:【もしものはなし】
「ねぇ、もしも僕が死んだら…再婚する?」
旦那が口元に軽い微笑みをとどめ優しい眼差しで妻を見ている。
「もしも死んだら?」
「そう」
「死んじゃう予定があるの?」
妻は真顔とも、冗談ともつかない表情で聞き返す。
「そんな予定はないよ、病気でもない。ただ今の世の中、明日は…いや今日、これからだって何が起こるか…」
妻は旦那の話を遮るように言う。
「するよ、再婚」
「するんだ…」
「イヤだもん、ひとり!」
「そっか」
日常の何気ない会話。
旦那は演出の仕事をしていた。段取りやセリフ周り、キュー出しのタイミングなど、広く全体を見回すことが得意だった。若い頃、妻は同じ劇団にいた。
舞台はほとんどが、もしもの話だ。
夕方。ふたりは夕食で外に出た。行こうとした駅向こうの居酒屋は満杯で入れなかった。
「少し待ってみる?すぐ出るお客がいるかも…」
妻は言う。
「いや、皆夕飯の楽しい時間を過ごしているから、急かせるのは可哀想だ」
旦那にはそう言う所がある。自分のことだけではなく、他人に向ける優しさ。
「向こうに行ってみよう」
旦那が大通り先にある店を指差す。
傾いた夕陽を背にシルエットとなって、旦那の表情は見えなかった。
「ねぇ」
「ん?」
「さっきの…」
妻がそこまで言うタイミングで、旦那の姿が見えなくなる。
「事故!?」
「車が突っ込んだ!」
「え誰か轢かれたよ…」
舞台上のエキストラがセリフを言うように、周りにいた人垣が順番に言葉を発する。妻はその様子を、最前列の観客みたいな気持ちで眺めていた。
「ブレーキ痕も無かったんだって」
「アルコールや薬物反応は出なかったって」
「長距離トラックのドライバーで70歳近かったんでしょ?」
葬儀場。喪服を着た親族が口々に囁いている。これも妻は、舞台袖で聞いているように、客観視している。
「もしも私が声をかけなければ…」
妻は何度も胸の奥で悔やんでいた。
「無事三回忌も終わった。どぉ?落ち着いた?」
義母は喪服姿のまま訪れた蕎麦屋の小上がりで聞いた。
「はい、ありがとうございます…」
両手で湯呑みを包み、ゆっくり語る。
「で、どう。あなたもまだ若いし、幸い…と言うか…子供もいない…」
妻は義母を見る。
「ひと区切り着いたのだから、その…もしも良い人がいたら…再婚…」
「はい、天麩羅盛り蕎麦ね!」
何を言おうとしたかはわかった。その言葉は蕎麦屋店員によって遮られた。
「…再婚、するの?」
すぐ肩の後ろから、旦那の声がする。
「するよ、再婚。いやだもん、ひとり」
蕎麦を音を立て啜り、あの日の会話を繰り返す。
「でも…」
義母が顔をあげる。
「ありがとうございます。でも、まだすぐ近くにあの人がいるような気がして」
妻は自分の右肩に手を乗せる。旦那は肩に置いた妻の手を両手で包み込む。
「もういないことはわかっているんですけど…」
「ごめんなさいね、もしも…」
「はい、蕎麦湯ココ置きますね」
蕎麦屋店員のタイミングに驚かされる。絶妙な間の良さ。見られている。これが近くに旦那がいる錯覚になっている。
しばらくして、話の合う相手が現れた。
相手も再婚組で、すんなり話が進んで行った。
墓参りに行き報告をする。
目を閉じ手を合わせる。
「再婚、するんだ…」
「するよ、再婚」
「そっか。ひとりはイヤなんだもんね」
ゆっくり目を開ける。
「そうだよ。もしも、あのままあなたが隣にいてくれたら…」
頬に涙が伝う。
「人生はもしもの連続で、もしもなんて希望的現実は起こらない。君の人生の幸せを見守っているよ」
「もしも僕と出逢わなければ、再婚しなかった?」
新しいパートナーが聞く。
「もしも、じゃなく、事実あなたと出会って再婚した。真実はそれだけ。人生はもしもの連続で、もしもなんて希望的現実は起こらない。
もしもなんて起きちゃった現実の前では何の意味もないから…」
そんなセリフのような言葉がスッと出る。
パートナーが優しく微笑む。旦那の姿がダブって見えて、スッと消えた気がした。
「つづく」 作:スエナガ