メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【Episode11】ひとくちのメロンパンがつなぎ止めた日常│続・看護を再著述する

    連載『看護を再著述する』の続編として書き上げました。
    定年退職を迎えたエリート会社員・修二さんの物語です。

    ★連載『看護を再著述する』はこちら


    ここで紡いでいる物語は、個人情報保護の観点から、年齢・家族構成・疾患などの詳細を、本質を損なわない範囲で再構成したコンポジット・ケースであることを明記しておきたいと思います。

    Episode11:不信

    画像
     


    修二さん

    修二さんは、エリート会社員として定年まで大企業で勤めあげた。たくさんの部下を抱え、会社の期待を一身に背負い、大きな仕事を先頭を切って担当してきた企業戦士だった。

    修二さんの人生の歯車が狂い出したのは定年退職後だった。現役時代は仕事一筋だった修二さんは、いつしか家にいると大きな不安に襲われるようになった。自分を責める声や視線に怯えるようになり、部屋から出ることができなくなった。

    異変を感じた妻は、「病院に行こう」と説得するが、元々頑固な面がある修二さんを受診させることは難しかった。妻はあらゆる相談窓口を訪ねたが、「本人を連れてきてほしい」と言われてしまい話にならない。そんな日々を繰り返しているうちに、妻の留守中に修二さんが大声を出しながら大通りへ飛び出すという事件が起き、精神科へ搬送されることになった。

    入院加療をすることになったものの、修二さんは「自分は病気ではない」と一貫して主張した。薬はどんどん強いものに変わっていった。視線は虚で、食事ができず痩せ細り、自分で歩くこともできなくなった。

    病院に不信感を抱いた妻は、退院を希望した。訪問看護を勧められ、退院できるならととりあえず導入した。修二さんはなんとか退院したものの、寝たきりの生活となった。不信感があったため、精神科薬の服用はすぐにやめた。食事はほとんど摂れないままだったが、視線が合うようになり、簡単な会話はできるようになった。自宅のトイレには、這うようにしてなんとか行けるようにもなった。

    妻は、1日のほとんどを修二さんのベッドサイドで過ごした。何をするわけでもなく、ただ一緒の時間を共有した。修二さんの好物であるメロンパンを毎日のように買ってきては、一口だけでも食べさせた。修二さんは美味しそうに一口だけ頬張り、「もういい」とよく言っていた。

    退院から1年がたつ頃、修二さんの身体は静かにその限界を迎えようとしていた。元々少なかった食事量がさらに低下したのだ。修二さんは少しずつ訪問看護に慣れ、調子のいいときには冗談を言って笑う姿も見せてくれていた。しかし、最後まで、何がそこまで修二さんを追い詰めていたのかを話すことはなかった。

    修二さんの命が消えかかっているとわかったとき、今後の過ごし方についての意向を確認するため、話をする場を設けた。桜の季節の明るい午後だった。修二さんが寝ている部屋のカーテンの隙間に、風に吹かれた桜が惜しげもなく散っていた。

    修二さんは、こちらを見ずに「何もしない」と一言だけ答えた。妻は、ここまでの道のりを話し始めた。誰も助けてくれなかったこと、どんな薬も点滴も効かなかったこと、どこで道を間違えこうなってしまったのかわからないこと。そして、「もう私たちは限界」「夫の意向に添いたい」とはっきり言った。数回にわたって場を設けたが、夫妻の意向は揺るがなかった。

    1ヶ月後、修二さんは息を引き取った。妻は最後まで、メロンパンを持ってベッドサイドにいた。そして、「寂しくなったわ」とつぶやいた。

      


    思いどおりにならないドライブ

    修二さんは仕事一筋で生きてきて、確かな功績を残した人でした。修二さんはどんな人かと尋ねたら、修二さん本人も家族も周囲の人々も、迷わず「立派に仕事をする人」と答えたでしょう。

    そういう世界で生きてきた人が、定年を迎えたときに見ることになる風景は、どんなものなのでしょうか。仕事という社会とのつながりを失ったとき、修二さんの目の前にはどんな光景が広がっていたのでしょう。

    画像
     


    人生は車の運転に似ています。見える風景は刻一刻と変わり、運転席に座ってハンドルを握っているのは確かに自分なのに、ときに思った方向に車を走らせられない事態に見舞われます。

    通行しようと思った道が通行止めで通れず迂回することになったり、目的地まで一直線と高速道路を飛ばしていたら、一瞬の判断を間違えて出口を誤ることもあるのです。

    いつもの目的地へ、いつも通る道を、いつもの速度で走る。それは、幾分の退屈さはありつつも、好きな音楽をかけたりドリンクを楽しむ余裕もあり、快適なドライブになることが多いでしょう。

    一方、目的地がわからない中、知らない道を、危険がないかと周囲をキョロキョロ確認しながら進むのは、非常に精神的な負担の大きいドライブになります。修二さんの退職後の人生は、後者のドライブであったのかもしれません。

    画像
     


    しかし、修二さんが退職後の人生を悲観的に捉えていたのかと言えば、きっとそうではないのだろうとも思います。修二さんほどのキャリアがあれば、いくらでも再雇用の話や今後の活動への誘いもあったでしょう。しかし、修二さんは全く予定を組んでいませんでした。

    そこからは、今まで仕事一筋だった分、退職後にできる人生の余白を楽しもうとしていた思いも聞こえてくるような気がしています。

    頭に描いていたのは、これまで取り組んだことがない趣味だったり、ただ昼寝する時間だったり、妻と旅行や食事に行く余暇かもしれません。退職を機に、これまでとは違う自分として生きる。そこにはワクワクする気持ちもあったに違いないのです。

    画像
     


    思いどおりにならないドライブの中、急ハンドルを切り続けたら、いつの間にか元の道から遠く離れてしまった。見慣れない景色にワクワクする気持ちの中に、知らない場所を走り続ける恐怖が入り込んできた。修二さんが見ていたのはそんな景色だったのかもしれません。 



    奪われた声

    修二さんは、「自分は病気ではない」と繰り返し主張しました。しかし、そんな修二さんの声は、大切なものとして聴かれることなく、「病識のない患者」「治療に抵抗する患者」という意味づけがなされ、どんどん薬で抑え込む形になっていきました。

    貶められた誰かが正義を求めて声を上げたとき否応なく突きつけられるのは、自分がどれほど信用されていないか、どれだけ些末なものとして扱われているかである。

    ジュディス・ハーマン『真実と修復』


    修二さんにしてみれば、普段どおりのドライブのつもりが、ちょっと道を外れてしまい、ハンドルを切り損ねて、電柱に車を擦ったような感覚だったのではないでしょうか。今ちょっと戸惑って混乱しているけれど、そのうち落ち着く。混乱しているのだから、精神的に動揺しているのは自然なことなのだ。そう言いたかったのではないかと思うのです。

    画像
     


    私が出会った修二さんは、ウィットに富んだ知的な人でした。あまりにも高尚な冗談を言うので、意味がわかるのに時間がかかることもあるくらいでした。

    長く会社でトップを走ってきたこともあって、状況を客観的に把握する力もずば抜けていました。「こういうときは、こう言葉を返しておくのがいいんだよ」「上の言いなりになったらあかんよ」と、長い会社員生活からアドバイスをもらうことも多く、私は修二さんからたくさんのことを教わりました。

    そのような知的で、客観的に物事を捉えられる人でも、人生においては予測不可能な出来事に見舞われ、精神的な動揺を経験することがある。はたして、それは病気なのでしょうか。 

    精神を患っていない人間でさえ、同様の事象が起きれば、落ち着きを失うだろうという視点

    田邊友也『精神疾患からの回復を導く方法・思考のいしずえ』


    人間のなかには「生来の」病理が存在するなどと私は述べていません。私が言っているのは、狂気とは何かがわからないということです。あらゆるものが狂気かもしれないし、そうではないかもしれません。狂気は人間の条件の一つです。私たちの中には狂気が存在しています。理性が存在するのと同じように、狂気も存在しています。

    フランコ・バザーリア『自由こそ治療だ!』 


    今でも、「俺が落ち込んだのは、自然なことだろ?」「だって、打ち込んできた仕事とサヨナラして、新しい自分になろうとしたんだからさ」という修二さんの声が聞こえてくるような気がするのです。

    本質的なことは、私たちは狂気と共存しなければならないということであり、病人が助けを求めているときに、病院という施設の原則に基づいた返答をするわけにはいかないということです。

    フランコ・バザーリア『自由こそ治療だ!』


    修二さんは、会社のポジションから言っても、声に力のある人だったと思います。他の人ではダメでも、修二さんがひと言添えれば事態が動く。そんな経験も数多くされたのではないかと推測します。

    画像
     


    当たり前に力を持って人に届けられていた自分の声が、精神科病院に搬送され「患者」となった瞬間に聴く価値のないものとして扱われたとき、修二さんの絶望はいかほどだったでしょうか。



    病気か否かの境界線

    精神科医療では、「食事や睡眠などの生活に影響を及ぼしているかどうか」というところに病気か否かの境界線を設定することがあります。しかし、たとえば、理不尽に上司に怒鳴られた夜。思春期の子どもと言い合いをした朝。ぐっすり眠れるか、食事が喉を通るか、と聞かれたら、少なくとも私はNOなのです。

    多くの場合、これらの体験は強度のストレスに晒されたときに起こったり、強い感情や気分変化に関連している。たとえば、心配や不安、恐怖、うつ、または何かの出来事に打ちのめされたときなどである。実際のところ、不安症、またはうつ病の診断が下されるかもしれない情緒的な問題と「精神病的な体験」を区別する明確な線は存在しない。

    英国心理学会・臨床心理学部門監修 A.クック編『精神病と統合失調症の新しい理解』


    人は、精神的な動揺を経験すると、自然な反応として、眠れなくなったり、食事が摂れなくなったりします。では、どこからを治療対象とするか。それはやはり、精神的動揺の真っ只中にあるその人自身から、丁寧に話を聴くことでしか判断できないように思うのです。

    心理的セラピーの場合と同様に、薬を服用することが絶大な効果を上げる人もいる反面、まったく効果のない人もいるのである。このどちらの治療法に関しても、専門家は、どのような治療法が利用できるかについての情報と、他の人々が何を効果的と感じたかに関する研究の情報を提供すべきだろう。その上で、人々が何が役に立つかを試し、見つけることを支援する必要があるのだ。(中略)
    支援者は、薬が数多くある助けの中の1つであると見なし、その考えを伝えることが重要となる。(中略)

    英国心理学会・臨床心理学部門監修 A.クック編『精神病と統合失調症の新しい理解』


    私たちは誠実に、実用的で(「試して様子をみましょう」)、協働的なアプローチを取る必要があり、選択について話し合い、何が効果的かを見つけるために異なった薬を人々が試すことを可能にする必要がある。(中略)
    過去において、人々が薬の服用を止めると言い出すときには、それは「見識のなさ」や猜疑心、妄想が理由であると考えられたことがあった。しかし、先に挙げた英国精神医学学会ジャーナルは、多くの人々にとって、それはリスクと効果を天秤にかけた結果の、分別のある選択であるかもしれない、と述べている。さらに、精神疾患の診断を受けた人々に対して、「抗精神病薬」が第一優先される治療手段であるという前提を再評価する時期ではないか、と提案している。

    英国心理学会・臨床心理学部門監修 A.クック編『精神病と統合失調症の新しい理解』


    どこからを病気とするのか、この先どんな状態になれば医療の力を借りるのか。薬の力を借りて和らげたい症状はあるのか。薬や点滴など医療以外で、助けになるものはあるのか。

    その人自身と、医療従事者との間で、丁寧な対話とすり合わせが必要な局面だと思います。その対話は決して1回で終わらせず、いつも何度でも、話し合っていくことこそが治療的なのではないかと思っています。

    しかしながら、マニコミオには権力関係しか存在しないので、治療など存在しえません。それに代わって私たちが始めるべきなのは、心病む人に向けて、そして心病む人とともに複雑性と相互性の研究を進めることです。病人とのあいだの協働関係と相互関係の研究です。私たちが治療について語れるのはこうした場合だけです。これと反対の場合には、私たちに話せるのは従属と奴隷状態だけになってしまいます。

    フランコ・バザーリア『自由こそ治療だ!』



    医療という刃

    修二さんの物語の中で置き去りにしてはならないのは、医療をはじめとする支援への不信です。何度も助けは求めた、でも欲しい助けは得られなかった。それどころか、入院を機に状況は悪化し、死に向かうことになった。

    修二さん夫妻が生きていたのは、そのような冷たい世界でした。

    ささいにも思われる事象の複合が複雑性のトラウマ体験となり、短期的にも中長期的にも回復を遅らせるどころか、むしろ状況を悪化させていくことになります。

    田邊友也『精神疾患からの回復を導く方法・思考のいしずえ』


    画像
     


    退院後、私が訪問看護師として関わり出したとき、修二さん夫妻は明らかに心を閉ざしていました。

    不信感を滲ませながらも直接ぶつけるようなことはせず、私の仕事が成り立つように最低限の話をし、最低限の訪問回数で、最低限のケアを受けてくれている状態でした。他者に気遣いのできる人たちであり、私は、夫妻との関わりの中で一度も嫌な思いをしたことがありません。

    修二さんに残された時間は限られていました。その限られた時間の中で、医療への不信感を抱いたマイナスの状態から始めなければならなかったことが悔やまれます。

    もしそれが、医療への信頼が微かにでも残された状態でのスタートだったなら。
    せめて、マイナスではなく、ゼロからのスタートであったなら。

    修二さんに届けられたケアは変わったでしょうか。
    修二さんの予後は変わったのでしょうか。


    画像
     


    そんなふうに思いを馳せたところで、修二さん夫妻にとっての私は、自分たちを苦しめた「医療従事者」であることに変わりはありません。「自分は違う」とか「その場にいて手を下したのは私ではない」という話ではないのです。

    修二さん夫妻と過ごすことで炙り出されるのは、「医療従事者」というアイデンティティを背負うことで、自らが内包することになる加害性でした。

    暴力を振るう人間、搾取する人間によってだけ被害者は傷つけられるのではなく、「まわりのひと」のやったこと/やらなかったことによって傷は深くされる。つまり共謀した人たち、知らないふりをする人たち、被害者を責める人たちのやったこと、やらなかったことによって。社会のあり方から心的外傷が生じている以上、そこからの回復も、個人の問題ではありえない。

    ジュディス・ハーマン『真実と修復』



    画像
     


    関係を丁寧に紡ぎ、少しだけ話ができるようになったときには、もう修二さんの命は消えかかっていました。「何もしない」とこちらを見ずに答えた修二さんの目線の先には、何が見えていたのでしょう。

    修二さんの「何もしない」は、能動的に選び取ったのではなく、「万策尽き果てた」という響きをもっていました。「死にたいわけではない、でも、この世界で生きていく方法はない」

    それは妻も同様で、「この苦しい世界に夫を引き留めるわけにはいかない」と聞こえてくるようでした。夫妻の「何もしない」選択は、それを選ばざるを得ないところに追いやられた人たちの、「医療は人を救えない」という強烈な異議申し立てであったのだという気がしてなりません。


    画像
     


    専門職として誰かの人生に関わるとき、自分がその人の人生を変えてしまうほどの歪みを与えうるということを、自覚しておかなければならないと思います。

    こうした状況下でセラピストは、人々の問題に対する立場を奪い、「専門家の知識」とさまざまな介入を行使して、この立場に基づいて一方的に行為する誘惑に駆られやすい。そうなると、人々の問題の意味づけにおいてセラピストの声が特権を与えられ、問題の結果に関するセラピスト独自の理解が押し付けられ、セラピストは相談を求める人々の代わりにその結果に関する何らかの立場を取るよう駆り立てられ、セラピストが相手にとって重要だと考える物事に対するセラピストの立場が正当化される。

    マイケル・ホワイト『ナラティヴ実践地図』


    私は、修二さんが入院加療した病院の職員を責めるつもりはありません。救急で運ばれてきた精神的な動揺を抱える人に対し、できる限りの治療をしようとしたのだという文脈においては、理解できるからです。

    それは、そのとき関わった職員個人の判断や考えではなく、精神科医療において、投薬治療こそが改善の鍵だと信じられていること、すべての症状を取り去るべきものとして扱う風潮があることに起因しているのだと思います。

    支援はリレーになっています。誰かが提供した支援の続きを、自分が走ることになります。そして、自分が提供した支援の続きを、また誰かが走ってくれるのです。自分の支援は常に中間走者であることを意識して、「害にならない」「この先も支援を受けられる状況を維持する」ことを、何よりも大切にしなくてはなりません。

    画像
     


    私は、修二さん夫妻に関わる中で何度か、「医療がこんな思いをさせて申し訳なかった」と謝罪してしまいたい衝動に駆られたときがありました。

    謝罪をするのは簡単です。私がそう切り出せば、修二さん夫妻は「気にしないで」「あなたのせいじゃない」「もう済んだことだから」などと、私を気遣う声をかけてくれたでしょう。このような圧倒的な非対称性の下で謝罪されたら、相手には受け入れる以外の選択肢はありません。

    しかし、それではただの傷口に塩を塗る行為になってしまいます。傷つけられ、拭いきれない不信感を抱えている人に対し、同じ立場の者が安易に謝罪をし、受け入れさせる。それは紛れもない二次加害です。

    被害者には決して許すことへの期待とか圧力がかかってはいけないと強調する。例え加害者が真摯な謝罪をしたとしても、である。

    ジュディス・ハーマン『真実と修復』


    私が居心地の悪さを抱えながらも、最後まで丁寧に関わること。修二さん夫妻の尊厳を守る関わりは、それしか方法がありませんでした。



    修二さんのエージェンシー

    修二さんは、医療が自らの人生に触れることにNOを突きつけました。最後まで大好きなメロンパンを頬張りながら、妻と2人で静かな時間を共にして、旅立っていきました。夫妻は同じ思いを胸に、自分たちの日常を守るため、闘い抜いた戦友のように見えました。

    妻が買い続けたメロンパンは、夫妻が手元に置きたいと願い続けた、何でもない穏やかな日常への架け橋でした。一口でもそれを一緒に食べることで、かつての穏やかな日常がそこに立ち上がり、夫妻をあたたかく包んでくれたのではないかと思うのです。

    一口しか食べられないメロンパンを買うことが、妻のエージェンシーであり、現状への精一杯の抵抗でした。

    自分の人生を、何者にも乗っ取らせない。最後まで人生の運転席に座り、自分でハンドルを切り続けた修二さんのNO。そこに潜在するエージェンシーに耳を澄ませたくなるのは、私の独りよがりでしょうか。

    画像
     




    このnoteでは、日々の臨床や日常の風景、映画や文学の中で出会う人生の物語を、ナラティヴ・セラピーを触媒にして再考するエッセイを発信しています。

    ​慣れ親しんだものを、見知らぬ異国のものにする ── exoticise the domestic

    Bourdieu, 1988

    ​
    見慣れた日常のストーリーを少し違う角度から眺めてみる。そんな時間を、ご一緒できたら嬉しいです。

    画像
     

    ★自己紹介note

    ★おすすめマガジン







    この記事が参加している募集

     
     
    訪問看護師11年目(主に精神科)。 スクールカウンセラー経験も。 現在地は在宅看護とナラティヴ・セラピーの交差点。「心身の語りに耳を澄ませる」を羅針盤に、日常の文脈でケアを続けています。 日々出会う人生の物語に、ナラティヴ・セラピーという光を当てるエッセイを発信中。

    あなたへのおすすめ