「あなたのしたことは、モラハラです」と言われてしまったあなたへ
(とうふ人びと 〜ゆらぎながら みつけた 私の物語〜 その③)
1. ある午後の呼び出し
「翔琉くんのお母さんから、担当講師を変えてほしいって言われたの」
塾長の声は、いつもより低かった。
「あなたと話していると、いつも自分の子育てに点数をつけられて、いつも不合格を言い渡されているみたいで辛いって。それと・・・」
僕は、一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「それと、翔琉くん、しばらく来てないでしょ」
……来ていない。確かに、来ていない。
「翔琉くんが宿題をやらなかったとき、あなたに言われたことですごく傷ついた、って」
塾長が、少し間を置いた。
「『大事なところで粘れないようじゃ、無責任に家を出て行った君のお父さんとおんなじだな』——なんて言ったの?」
部屋の空気が、ひやりとした。
「それ、どれだけ子どもが傷つく言葉かわかる?
あなたのしたことは、モラハラです」
2. 僕の言い分
僕は、すぐに言葉を返した。
「確かに、少し語気を強めた言い方になったのは反省します。でも、僕は翔琉にもっと頑張ってほしかったんですよ。あいつ、ほら、実力はあるのに努力しないっていうか。そういうところダメじゃないですか。だから、逃げるな、っていう意味で。」
言いながら、自分でも少しだけ塾長の顔色を窺っていた。
「そんなにまずかったですか?」
塾長は、すぐには答えなかった。
僕は翔琉のことを、ずっと気にかけていた。
ポテンシャルは高いのに、なぜか自信がない。ここぞという場面で踏ん張れない、諦めがちな子。見ていて、もどかしかった。
数学は特によくできた。僕が翔琉の年齢なら足元にも及ばないだろう。
だから翔琉はもっとできるはずだと信じている。
半年前、翔琉の両親は離婚したそうだ。父親は高校教師で、教え子と不倫したらしい。 翔琉のことを思うと、僕はその父親が許せなかった。
きっと翔琉も、父親を恨んでいるはずだ。 父親を見返したい気持ちで、勉強を頑張っているに違いない。 だから、ちょっとハッパをかけるつもりで。
励ましたつもりだった。
3. 塾長の返事
「とにかく、翔琉くんの担当は別の先生に変わってもらいます」
塾長の声は、静かだった。怒っているわけでも、責めているわけでもない。ただ、揺るがなかった。
「何がいけなかったかわからない大人から謝られても、翔琉くんもお母さんもご納得はできないと思うので、形式上の謝罪も今はしないでちょうだい。なんとか担当変更で塾を続けられるように、二人と話しますから」
僕は、口を開きかけて、閉じた。
「それと、あなたにはカウンセリングに通うことをお勧めします。前から気になってハラハラしていたの。いつかこういうトラブルを起こすんじゃないかって」
——前から、気になっていた。
その言葉が、どこか遠くで反響した。
「私が懇意にしているカウンセラーさんの連絡先を教えるから、一度、行ってみなさい。そうね、3回は通ってほしいわね。研修だと思って。初回の費用は私が払うわ。職員の研修費ですからね」
4. 途方に暮れる
塾長室を出た。
廊下には、誰もいなかった。 授業の声が、どこかの教室から漏れてきた。
励ましたつもりだった。 翔琉のためを思っていた。
父親を憎んでいる翔琉が、その怒りをエネルギーに変えられるように。
でも——
翔琉は来なくなった。 お母さんには担当を変えてほしいと言われた。 塾長は、前から僕の言動が気になっていたと言われた。
「何がいけなかったかわからない大人から謝られても納得しない」
僕には、まだ、わからない。
何が、いけなかったのか。
ただ、自分が正しいとも、言い切れなくなっていた。
あの時の翔琉の表情を思い出していた。
わずかに微笑んでいるように見えたけど
目の奥は笑っていなかったようにも思えてきた。
廊下の窓から、夕暮れが見えた。 翔琉は今ごろ、どんな思いで誰と勉強をしているのだろう。
答えの出ないまま、僕はそこに立っていた。
※この物語は「とうふ人びと 〜ゆらぎながら みつけた 私の物語〜」の一編です。 フィクションですが、似たような場所に立っている誰かの、小さな手がかりになりますように。
もし、誰かに話してみたくなったら。 「とうふめんたりすと・マリコの小部屋」で、そっとお待ちしております。
