
『がんユニバーシティ』で特に惹かれる内容は......
病理医・市原真氏が、仲野徹氏をはじめとした第一線の医師、研究者、当事者ら、がんをまなざす17名との対話を通じ、その本質を探求した『がんユニバーシティ』。診断・治療の現場から創薬研究、心理的ケア、当事者の経験まで、多彩な視点が交錯することで「がん」の真実を立体的に描き出している(下記、Amazonリンク内の紹介文を引用)。
下記投稿に書いたように、素人乳がんサバイバーの私でも理解することができ、大変興味深い内容で多くを学べた。専門的な箇所は読み飛ばしても問題なく多くを学べた。「そう!患者としてはそこなのよ!」という臨床の心得・「そう!まさに私のがん闘病時の心の動きはそうだった!」といったことから、私が知らない興味深い世界までが広がっている。
その中でも、特に惹かれ印象に残ったのは、冒頭の学長・仲野先生と最後の萩野先生のお話、そして、訪問看護の草分け的存在の秋山さんのお話だ。なぜ、3人のお話に引き込まれたのか。下記投稿で少し触れているが、ここではその辺りを少し詳しく書いてみたい。
がんの当事者感は薄れつつあるが、医療介護とは長年関わっている
まずは、私の置かれている状況は、
◆40代半ばで乳がん闘病となり、当時目標とした「還暦までは生きるぞ!」は達成。
◆乳がんサバイバー14年生。今のところ再発はなく、「がん」は少し遠くにある存在だ。ただ、2年半前に膠原病を発症し免疫抑制剤を服用しているので、「免疫抑制はがんの発症リスクを高めるよね….」という私のかなりざっくりした理解から、以前に比べて「乳がん再発・がん」を意識するようになっている。
◆がんの当事者感が薄れるも、今年に入り同級生の急逝が続き、時間は有限と痛感させられている。
◆最近、母・友人・知人などの旅立ちを通じて、最期について考えることが増えている。
◆介護についてはこの20年、医療についてはこの14年、断続的にがっつり関わり、素人なりにも当事者として危機感を含めて感じるものが多々ある。「現実はかなり厳しい。本質の議論が必要では?」とずっと思っている。
医学薬学の進歩に複雑な想いがある
下記引用は、7月上旬に、モヤモヤしていることを言語化した記事「最期」の締めくくり部分だ。今でもこの想いは私の中に強くある。医療薬学の進歩を歓迎しつつも、人生の閉じ方について考える機会が少ないことに不安を覚える。
高齢になれば理性の働きは衰え、認知症が少しでも入ってくると、理性より本能の働きが強くなる中で、高齢者本人の延命に関する意思をどう捉えるのか。医療との関わりがあまりない家族や大病の経験がない家族が、人生会議を開いて、どこまで最期をイメージできるのか。信仰や死生観が根付いていない日本社会でイメージできるのか。
科学や医療は日進月歩。高額な新薬が開発され保険適用になる。そのニュースを肯定的に捉える一方、高額な費用が伴う治療選択肢が増え、自分自身で線引きをしたり、経済的理由で諦めざるを得ないことが増えたりして、患者本人や家族の苦悩が増すのでは?と思ってしまうことがある。
医療でも介護でも、当事者になって初めて知ること、見える世界がある。「このままでは医療も介護も持たない。厳しい現実を直視し、医療介護の全体像や、本質・根本的な議論が必要では?」と常に感じている。
がん治療薬・治療の選択肢が増えることは喜ばしい。特に、子供や若い世代の未来の時間が長くなることは大歓迎だ。その反面、超高齢化社会で、高額な新しい治療薬を「対象希望者全員に使い」「今後ずっと」社会全体で負担できるのか、と思ってしまう。加えて、現時点でも患者個人の負担もそれなりに重い。そうなると、やはり「個々人が人生の閉じ方について考えたり、議論したりすることが必要なのでは?」という想いに至る。
そういう年齢なのだと思う
下記は、私世代の方々は誰でも知っている柔道家・山下さんへのインタビュー動画だ(報道ステーション、8月22日)。「現実を受け入れる」「自分にできることを一つずつ」など多くの言葉が私には響いた。
「現実を受け入れられたのは、この年齢だからかもしれない」というお言葉は共感し納得もできた。事故に遭われたのが3年ほど前なので、今の私と5歳ほどしか変わらない。なので、分かる気がした。同じ状況に置かれても、捉え方や感じ方が、年齢など様々な要素で変わる。同じ人でも変わる。このことは、乳がんや膠原病闘病で強く感じていることだ。
様々な場面で感じる運
「がんユニバーシティを読んで」の中で、私は、冒頭の学長・仲野先生のお話で、『転移のメカニズムは分からない、解明できない可能性が高い、by chanceの要素があり、患者は運と捉えた方が楽だと思う』が特に印象に残ったと書いたが、仲野先生は、『ドライバー遺伝子の蓄積から、どんな医師にかかるかまで、がんは運やと思います』とも述べていて、そこにも納得した。なぜなら、乳がん闘病で、転移を含めて「あ~運だな…..」と様々な場面で感じているからだ。
1例をあげると……
私は「14年前」に乳頭から異常分泌液/血性分泌液で地元乳腺外科クリニックを受診し、乳がん疑いとなった。「精密検査をしないと分からないが、私の場合はXXの可能性が高く、その場合はXX病院のXX医師がいいと思う。どこの病院でも紹介できるが」というクリニック医師の助言を私は信じ、その病院/がん専門病院を紹介してもらった。その紹介先で乳管内視鏡検査を受けたが、その検査は出来る施設がかなり限られていたことを後に知った。
乳管内視鏡検査は、血性分泌液が出ている乳頭の穴から極細ファイバースコープを入れるが、私の場合はファイバースコープがなかなか入らず(当該穴/乳管の入り口近くに大き目のがん細胞があったと後に判明)。最初に担当してくれた医師はそこそこの時間、頑張ってくれたものの手に負えず、ベテラン医師(後の主治医)に交替。そのベテラン医師は、私の疲労を感じ取ったのか「この段階で見つけたのだから頑張って!ちょっと技を使ってみるから」と言い、その言葉の直後に無事に入った。
モニターに写し出された映像を私も見ていたが、乳管は乳白色でツルツルで美しかった。が、ある場所から表面がボコボコしたり、動くオレンジ色の変なモノが出現したりして、私は思わず「あ〜がん細胞だ」と呟いてしまった。素人でも一目瞭然だった。一番怪しげなモノを採取していた。
その後の主治医の診察で、「受診したクリニックがXXで良かった。ベテランのXX医師だから非浸潤性乳管がん/DCISを疑った。DCISを知らない医師が多い(参考:私は石灰化はなかったので、当時のマンモ画像・診断では異常なし)」と主治医から言われた。
確かに、他の乳がん患者さんとの交流で医師の間でもDCISの認知度が低いと感じたことがあったし、当時14年前は、DCISに関するネット情報は皆無に近かった。今はDCIS診断が進化しているらしい。DCISの診断は一般化している。DCISに関する情報もかなり増えた。
乳がん闘病がひと段落ついた頃に、「あ~私はラッキーだったんだ….」としみじみと思ったことがあった。まさに運だ。この体験だけでなく、アンラッキーな体験を含めて、様々な場面で運の要素は感じている。
運と捉える意味は
「がん」だけでなく、他の疾患でも「疾病になる・ならない」からその後の治療を含めて運の要素はあると思う。ただ、がんは転移のメカニズムが解明されていないうえ、遠隔転移すると最期がかなり現実味を帯びてくるので、「がんは運」という捉え方の意義は私には大きいように感じている。
最後の章で萩野先生が「疾病が人生に占める割合を下げる」について述べているが、私は「がんは運」はこの考え方に通じるものを感じている。つまり、「『がん・疾患は運』といったように捉え、標準治療をベースに治療をすすめ、疾病になった原因や疾病に拘り過ぎず、受け入れ、もともとある人生や生活の軸を保つことが大事」ということだと理解している。
医療介護全体の中で「がん」をどう考えるのか
日本人の2人に1人ががんに罹患する時代。そして、がんで人生の幕を閉じる人も多い。がん患者当事者感が薄れ、60年生きることができ、社会的定義の高齢者まであと4年、医療や介護現場の現実も当事者としてある程度は知っている私には、「がんはどう生きたいかが問われる疾患、がんは医療介護全体枠組みの中で議論して欲しい」という想いがある。なので、この記事の冒頭で挙げた3人の先生方のお話に特に惹かれたのだと思う。
参考:フランスでの「死ぬ権利」に関する議論
たまたま先日、下記投稿を見たので貼っておく。引用もしておく。フランスでは議論がなされている。
🇫🇷⚰️【フランスで「死ぬ権利」がついに法制化しました!】
— ulala🇫🇷エンジニア視点の時事解説:日仏の思考の違いを解く (@ulala_go) August 19, 2026
📌数年にわたる議論を経て、末期患者が医師の立ち会いのもと自らの手で致死薬を服用できる制度が誕生#フランス #終末期医療
📅2026年8月19日(水)、官報(Journal Officiel)に法律を掲載、マクロン大統領による公布を受けて正式発効… pic.twitter.com/aeuoCEecBM
【フランスで「死ぬ権利」がついに法制化しました!】
数年にわたる議論を経て、末期患者が医師の立ち会いのもと自らの手で致死薬を服用できる制度が誕生
2026年8月19日(水)、官報(Journal Officiel)に法律を掲載、マクロン大統領による公布を受けて正式発効
7月中旬に議会で最終可決、先週憲法院が「いくつかの留保付き」で合憲と判断
制度の核心は「アルド・ムーリール(死への支援)」の権利創設、条件を満たす患者が医療従事者立ち会いのもとで致死薬を自ら服用できる
患者が身体的に自ら服用する動作ができない場合に限り、医療従事者が代わって投与することも認められる
対象となるための条件(すべて満たす必要あり):
・成人であること
・フランス国籍または長期居住者であること
・「重篤かつ治癒不能」な疾患で、終末期または「進行した」状態にあること
・耐え難い身体的苦痛があること
・最後の瞬間まで自らの意思を明確に表明できる判断能力があること
適格性の判断手続きは1人の医師が主導するが、他の関係者への意見聴取も必要
法律は成立したが、実際に医療現場で運用されるには、政府による政令(実施細則)の公布が今後必要
支持派は「非常に大きな前進」と評価
【背景】
フランスでは終末期医療を巡る議論が長年続いており、これまでは「レオネッティ法」等により、苦痛緩和を目的とした鎮静や治療中止は認められていたが、致死薬による積極的な死への関与は認められていなかった。
今回の法律は、スイスやベルギー、オランダなど近隣国で先行してきた「死ぬ権利」の議論に、フランスがようやく法的な答えを出した形 。
憲法院が「留保付き」で合憲としている点から、今後の運用細則(政令)を巡ってさらに議論が続く可能性がある
【Ulalaの注目ポイント】
この法律の設計で特に重要なのは、「自己投与が原則、他者投与は例外」という構造です。患者本人が身体的に薬を服用できる限りは自分の手で行い、それができない場合に限って医療従事者が代行する 。これは「安楽死(医師が主体的に致死行為を行う)」と「自殺幇助(本人の意思と行為が主体)」の中間に位置する、フランス独自の慎重な制度設計だと言えます。
もう一つ注目したいのは、条件の中に「治癒不能」だけでなく「終末期または進行した状態」という2段階の基準がある点です 。これは末期がん患者のような明確な余命宣告のケースだけでなく、進行性の神経難病など「いつ終末期に入るか」の判断が難しい疾患も対象に含める余地を残した設計だと考えられます。この曖昧さこそが、憲法院が「留保付き」とした理由の一つである可能性があります。
そして忘れてはならないのが、法律が成立しても政令が出るまでは実際には運用できないという点です 。制度ができた」というニュースと「実際に利用できるようになった」という現実の間には、まだ時間差がある この段階の違いを正確に伝えることが、こうした医療制度のニュースを扱う上で欠かせない視点だと思います。
【日本との比較】
日本には「死ぬ権利」を法的に保障する制度は存在せず、積極的安楽死・自殺幇助はいずれも刑法上の問題として扱われます。尊厳死(治療の差し控え・中止)についても法制化はされておらず、現場の医療慣行やガイドラインに委ねられているのが現状です。
フランスが「本人の意思表明能力」「耐え難い苦痛」「治癒不能」という具体的な条件を法律に明記した点は、日本で将来この議論が本格化する際の制度設計の参考になり得ます。この法律を「フランスは進んでいる」という単純な評価で終わらせず、「本人の意思をどう最後まで確認し続けるか」という制度の核心部分に注目してほしいです。
高齢化が進む日本にとって、終末期医療のあり方はいずれ避けて通れないテーマであり、フランスがどのような手続き・条件でこの権利を運用していくのか、今後の政令の内容も含めて追いかける価値があるトピックです。