
倭人を狙う唐のヤクザ——しかし相手が悪かった/漫画『巡礼の印』第7話 蘇州(巻末歴史解説付)
唐の蘇州の港についた遣唐使一行。
しかし唐側の手続きがすすまず待機がつづく。
業を煮やした広成たちは規則をやぶって蘇州の町へ繰り出すのだが…。


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⭐︎巻末歴史解説シリーズ「唐の食事」

唐の食事――蘇州の魚と米、都のシルクロード料理
海を渡った遣唐使を待っていたのは、新しい言葉や大きな街だけではありません。毎日の食卓も、異国を知る入口でした。広成たちが訪れた蘇州と、その先にある洛陽・長安では、どんな味に出会えたのでしょう。
蘇州――水の都で、米と魚を味わう
太湖や川、水路に恵まれた蘇州一帯は、米作りと水産物に支えられた土地です。遣唐使がこの街で口にしたものを考えるなら、米の飯や粥、川や湖の魚、季節の青菜を使った汁物などが候補になります。
ただし、広成たちの具体的な献立を記した史料は、今回の調査では確認できません。これは土地の食文化から考えた復元案です。
蘇州市地方志の解説
江南らしい料理として挙げられるのが、じゅんさいの汁物「蓴羹(じゅんこう)」と、魚を生のまま細く切る「膾(かい)」です。唐代に編まれた『晋書』には、晋の張翰が故郷・呉の蓴羹や鱸魚の膾を懐かしみ、官職を去ったという逸話があります。
唐より前の話ですが、こうした食べ物が江南の故郷の味として語られていたことが分かります。
「蓴鱸の思い」の解説
作中の食卓を想像するなら、温かい米飯に、魚の煮物、青菜の汁物を添える。少し趣向を凝らすなら、じゅんさいの羹や魚の膾も考えられます。海を越えてきた彼らには、米と魚という組み合わせに親しみを感じる瞬間もあったかもしれません。

長安――焼きたての胡餅と、西から来た味
長安の食文化を彩ったのは、西域などとの交流のなかで広まった「胡食」です。「胡」は当時、西方・北方のさまざまな人々を指した言葉で、胡食も一つの国の料理名ではありません。羊肉や乳製品を使う食文化、焼いた小麦の食品などが、中国各地の食文化と重なり合っていました。
西北農林科技大学掲載の飲食史解説
その代表が「胡餅(こへい)」。小麦粉の生地を焼く食べ物で、ごまを使ったものもありました。現代の感覚なら、ごまの香る焼きパンを思い浮かべると近いでしょう。9世紀の白居易は、都にならった胡麻餅の香ばしさを詩に詠んでいます。広成たちより後代の記録ですが、焼きたてを楽しむ唐の人々の姿が伝わります。
白居易「寄胡餅與楊萬州」
ブドウ酒も、唐の西方世界を思わせる味の一つです。王翰の「涼州詞」には、夜光杯に注がれるブドウ酒が登場します。ただし、詩の華やかな酒席を、都の庶民の日常食とそのまま重ねることはできません。
王翰「涼州詞」
洛陽――北と南の味が交わる、もう一つの都
東都・洛陽も、西域につながる人々が暮らす国際的な都市でした。外来の食文化と中国各地の食材が出会う場所として考えられます。
唐代洛陽の胡坊に関する研究
とはいえ、「蘇州は米と魚、洛陽や長安は麦と肉」と、きれいに分かれていたわけではありません。9世紀に洛陽で暮らした白居易は、近隣の陸渾で採れた米と、伊水の魚を食べる喜びを詠んでいます。北の都にも、温かい飯と魚の食卓があったのです。
白居易「飽食閑坐」
蘇州の水辺の恵みと、都に集まるさまざまな土地の味。その違いを楽しむ旅は、同時に、食べ物を通じて人や文化のつながりに触れる旅でもあったのでしょう。
その辛さ、唐辛子ではありません
唐の食事を想像するとき、気をつけたいのが唐辛子です。中国に伝わったのは明代末ごろで、広成たちの時代にはまだありません。胡椒は唐にも伝わっていましたが、現代の唐辛子をたっぷり使った中華料理とは、違う味の世界だったのです。
中国科学院・唐辛子の伝来、胡椒の解説