
自分自身だけで決められるアイデンティティは存在するのか?
またまた久しい投稿である.最近は行き詰ることが多く,以前のように頻繁に note 記事を投稿することはできていないが,行き詰ることも今の自分には必要であると考え,あまり自分自身を責めず,マイペースに投稿していこうと思う.
さて,本題に移ろう.
「お茶大哲学研究会」さんが投稿した以下の記事に非常に興味を持ち,返信をしようと思ったのだが,返信にしてはあまりにも長くなりそうであったため,記事を一本書くことにした.
詳しくは実際に読んでみていただきたいのだが,彼女たちは最後に以下のような問いを提起している.
「自分自身だけで決められるアイデンティティは存在するのか」
私はこの問いに関して,生まれながらのアイデンティティが,自分自身だけの希求によってさらに強められることはあると思っている.
「生まれながらのアイデンティティ」とは,例えば,「生まれながら生物学的に男/女であること」,「生まれながら日本人/中国人/◯◯人であること」などといったことである.こういったものは,誰が何を言おうと実体を伴ったアイデンティティだと思う.
一つ目の例は私自身あまり問題意識を持っていないのだが,二つ目の,国に関するアイデンティティについては非常に強い問題意識を抱えている.関連する記事を過去にも書いているので,興味があればお読みいただきたい.
生まれながら日本人であると同時に中国人である私にとって,「双方の国のアイデンティティが希薄であるのではないか?」,「自分は結局どちらの国の人間にもなれないのではないか?」といった不安を常に持っている.私は,双方の国のアイデンティティが強められ,それぞれの大地と一体になることを強く追い求めている.
これは親族という「他者」に求められていなくはないことであるが,その「他者」に求められているという意識以上に,それが自分自身の内側から溢れ出すアイデンティティの希求であると自覚している.
こういった自覚が,生まれながらのアイデンティティをさらに強められることになるのだと考える.
アイデンティティは実体をもつと同時に,それは絶えず変化していく,流動的なものなのだ.
最後に,「お茶大哲学研究会」の今後の発展を心から楽しみにしている.