
愛国心とアイデンティティ
中国と日本.
私は自分のルーツとなっている国を愛していると思う.でもそれが必ずしもその国の人としての誇りには結びつかないとも思う.
「自分は中国人だ」とは思うし,「自分は日本人だ」とも思う.どちらも否定しない.でも正直割合で表すとしたら,中国1,日本3ぐらい.
それは私が日本の教育を受けてきたからだと思う.日本語は読み書きにはそれほど苦労していないし,自分が言いたいことを比較的自由に表現できる.対して中国語は日常会話にはそれほど困らないけれど,読み書きは小学生レベル.精神的な話をするときは,どうしても言い淀みが発生する.
だから,自分は中国人ではあるし,日本人でもあるが,日本人と言ったときの方が比較的しっくりくる.
「自分は中国を愛している」とは思うし,きっと「自分は日本を愛している」のだと思う.でもこっちは逆だ.
「自分は中国を愛している」ことははっきりと断定できる.天安門広場を訪れたときに身に染みて感じた.国歌とともに,祖国の赤々と燃えるような国旗が揚がっていくのを目の当たりにしたとき,全身が震え上がり,祖国に対する畏敬の念を憶えた.
日本に対して,身に染みるほどの愛国心を感じたことはまだない.
でもそれが日本の愛国心のスタイルなのかもしれないと思う.日本人は大声で「日本を愛している」とは言いたがらない.そもそも「愛している」とあまり言わない.ふとしたときにしみじみと感じるものなのかもしれない.
こんな自分だが,「中国人であることを誇りに思っている」とか,「日本人であることを誇りに思っている」というのは思えない.なぜなら,自分がそれを言うに値するほど,両国の精神世界を理解しているとは思えないからだ.
国を愛すことは子どもだってできると思う.でも,その国の人として自分個人を認めることはまた別物だ.
「自分→国」という図は描けても,「自分←国」というのはまだ描けない.これから国の書物を読んだり,国の人々と関わったり,文化的な体験をしたりすることで,少しずつ反対向きの←が描けるようになっていくのだと信じている.
そうして国によって自分自身が変化させられ,自分の国家観も変容していく.
アイデンティティは実体をもつが,それは絶えず変化していく.そしてそれは常に不完全だ.
アイデンティティとは何かについて,またじっくり書きたい.