
「音楽にネイティブ」な人たち
語学の世界にはネイティブ・非ネイティブという圧倒的な断絶がある。その違いは幼少期にどの言語を母国語として育ったかである。よく、「アメリカでは幼稚園児でも英語をすらすらしゃべるのに……」みたいなことが言われるが、よほどの才能がない限り、ある程度の年齢に育ってから身に着けた言語は母国語のようにはしゃべることができない場合が多い。
音楽についてもこれは同様なのではないか、と感じることがある。幼少期に母国語並みに音楽に触れて育った「音楽ネイティブ」な人たちにとって、音楽とは、母国語とほとんど相違ないのだろう。
世の中には一定数の「音楽ネイティブ」な人たちがいて、まるで日本語を読むようなスピードで楽譜を読み、日本語をしゃべるように自由にピアノを演奏する。初見の楽譜が、あるいは頭でイメージした音が、何も考えなくても反射レベルで指先に伝わり、音楽を奏でることができる。音大ピアノ科などにいると周りはそんな人たちばかりだ。街で流れた曲をそのまま楽譜に書き起こしたり、難解な調の複雑なコードネームを言い当てたり、そしてもちろん、その場で演奏して再現することができる。ある時、どうしてそんな事ができるのかと聞いてみたら、歌を歌うのとおんなじだよ、歌うときに別に何かを一生懸命考えて歌わないでしょ。と笑っていた。つまり自分の声帯のように楽器を操っているのだ。彼女達にとって楽器は身体の一部なのである。
よく、絶対音感を身に着けるには〇歳以下までにソルフェージュの訓練が必要だとか言われるが、音楽家になるには、やはり幼少期の体験がとても重要なのだろうと感じる。音楽にネイティブな人たち。こちらはただの趣味とはいえ共に音楽を志す者として、その能力の断絶はあまりに大きく、残酷で、切ない。そして、「音楽ネイティブ」になれなかった我々にとって、英語を習得するよりもはるかに難しいこと、それが音楽なのだろう。