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私の妹、「キム・ジヨン」へ—女として、いや人間としての旬とは何か

はじめに
※『82年生まれ、キム・ジヨン』は、韓国の作家チョ・ナムジュによる2016年に発表された小説で、2018年に日本語訳が筑摩書房から刊行された。1982年生まれの一人の女性が、家父長制社会の中で発言権と主体性を奪われていく過程を描いた作品である。


1. 女の旬

「女の旬」という言葉には、吐き気を催す程の嫌悪を感じる。

その言葉はたいてい、女を値踏みする時に使われる。
若いか、若くないか。
顔はどうか、胸は、脚は。
男を欲情させるか。
市場価値があるか。

その視姦に反吐が出る。

私が考えたいのは、
「人間としての旬とはいつか」
いや「何か」ということだ。

人の魂は、いつ光るのか。
どんな時に、その人自身の光を放つようになるのか。

その問いは、私が一度、世界との関係が切断されたところから始まっている。

世界には、今も大勢の「キム・ジヨン」がいる。
家父長制社会の中で発言権と主体性を奪われていく女が。

韓国だけではない。
結婚した女だけでもない。
母になった女だけでもない。

独りで生きる孤独を感じながらも、その本音を言えない女。
もう男なんて嫌だと言いながら、
それでも誰かに自分の人生をまるごと受け入れて欲しい女。
何かを諦めたことにすら、気づかないふりをしてきた女たちもいる。

そして私も、そこから遠くない。

娘を授かったことは私の最大の幸福であり、イスラームとの出会いと新しい愛情にも感謝しているが、
それでも、倒れそうな自分がいる。
もう無理だと思う日がある。
愛と信仰を得てもなお、完全には救われない。

だからこれは、私が勝ったという話ではない。
私だけが助かったという話でもない。

これは、この現代に生きる全ての「姉妹たち」に宛てた手紙である。


2. 崖

30歳で出産した。
お腹の子がダウン症だということは分かっていて産んだ。
それについてはこちらに書いた通りだ。

https://note.com/rosedore841/n/ne5ab07e864c6?sub_rt=share_b

娘には心疾患があり、1歳のうちに外科手術をしようというところまで、胎児期に決まっていた。

当時、育休を取りたかったが、やんわりと代表に断られた。
「お子さんのことに集中した方が良いんじゃない?」
という、優しさを装った、体のいい退職勧告だった。あの頃はまだ、それが罷り通った時代だった。

娘が生まれてからは通院と療育の毎日。
完母、予防接種、笑って話しかけて、歌って読み聞かせして散歩して、オムツ、沐浴、、、。夜が来てホッとして、朝が来てまた緊張する1日が始まった。なんとかこの小さな命を生かしておくことに必死で、毎日がその繰り返しだった。

そして、それまでいた世界との道がぶつりと切れた。

私がかつて居た世界には、人類学や最新科学、心理学に関する議論があり、現代アーティストの新作があり、徹夜の展示作業があり、パーティがあった。
24時間海外とやりとりし、批評を読み込み、新しい科学の発見などの文献を読み漁り、プレスリリースに引用した。

仕事は大変だったが、世界は広かった。

経済も、文化も、地政学も、すべてが同時多発し、連鎖して、うねる波を起こす世界の中で、私が私として立っていた場所があった。
が、退職と共に失った。


娘が3歳になる頃、元の職場にパートとして復職した。
しかし障害児を抱えていては海外出張には行けないし、表に立つ仕事から離れなければならないと言う現実から、バックオフィスを担当しながら、子育て中心の生活が続いた。

子どもは狂おしいほどかわいかった。
子どもを愛していなかった瞬間などない。
でも、その幸福と私が失った世界とは別の話だ。

誰にも言えなかったが、
翼をもがれたような日々だった。


3. 翼

たった3年前まで居たその華々しく騒々しい世界に、私の立つ場所はもう無かった。

あんなに働いていたのに。
あんなに考えていたのに。
あんなにキラキラしていたのに。

不幸だった、と言いたいわけではない。
多少の生きがいもあった。
幸運なことに、パートだったが役職も貰えた。

でも私は、日の当たらない部屋に閉じ込められたように感じていた。

その頃、離婚の話もずっと続いていた。
私の娘の命を侮辱した義家族、世間体ばかりを気にする夫。

そもそも、夫とはお互いに愛情が何かもわからず結婚した。結婚する前に10年間一緒にいて、それなりに楽しく過ごし、「ここまでやって来れたんだから、これからもやっていけるだろう」と別れる勇気もなく結婚した。

そして娘の出産を機に、衝突は増えた。
理由は様々だが、娘から逃げるように仕事ばかりしていた夫と、彼からの思いやりや労いのなさが1番辛かった。

「これは、私が欲しかった人生ではない。」
それだけはよく分かった。
だが、どうしようもなかった。


4. 『82年生まれ、キム・ジヨン』

そんな日々の中で、『82年生まれ、キム・ジヨン』に出会った。話題の書籍だったから、何気なく手に取ったのだ。

細部はもう、ほとんど覚えていない。
けれど、あの本が見せてくれた衝撃だけは残っている。

キム・ジヨンの人生は、精神科医の記録のように語られていた気がする。
彼女がどう生き、どこで壊れていったのかを、淡々と聞き取っていくような小説だった。

私は1981年生まれで、キム・ジヨンは1982年生まれだった。

1つ年下の、韓国の、架空の女。
彼女の本音の吐露が、そのそのまま私の感じていたことだった。
同じ絶望感を抱えた、妹のように想った。

韓国は受験戦争の国である。
それは日本より苛烈らしい。

女も勉強する。競争する。就職する。
結婚するまでは、全速力で走れる。


私が韓国国立現代美術館で出会った同世代の女の子らも同じだった。
賢く、美しく、夜明けまで働き、親に買ってもらった外車で私をホテルまで送ってくれたあの子たち。


 

でも、あの儒教の国では、結婚した瞬間から、
女は途端に「嫁」になるのだ。

「妻」ではなく、夫の家の中の女になる。
夫の家族の中に組み込まれ、
姑の権限が絶大になり、
姑と夫の言うことだけを聞く女になる。

そして産後、社会との通は断絶される。

キャリアを積む道には戻れない。
それまで走っていた場所の行き先が崖に変わる。
女が個人として築いてきたものが、
結婚と出産を境に、崖の底へ回収されていく。

怖かった。

私が出産後に感じてた同じ絶望が、あまりにも冷静に書かれていたからだ。

作品を読み終わった時、焦燥感と共に心の中で叫んだ。

私の人生は、本当にこのままでいいのだろうか。
私の人生は、こんなはずではなかった。

私はもっと行けるはずだった!
もっと賢かった!
もっと働けるはずだった!
もっと書けるはずだった!
もっと社会の中で発言するはずだった!
もっと世界とつながっていられるはずだった……。

『82年生まれ、キム・ジヨン』は
悪夢の中にいた私の目を覚ましてくれた作品だ。

あの作品が、世界中であれほど読まれた意味は大きい。

特別に悲惨な女の英雄譚ではない。
普通の女が、普通の人生の中で、透明人間になっていく話だ。
男尊女卑社会が作った崖の、その手前でなんとかブレーキを踏み、生きながらえながらも、自分自身の「貌(かお)」を失う、普通の女の話。

韓国女性たちは、あの作品に、私と同じように気付かされたのだと思う。

自分だけが弱いのではない。
自分だけが結婚に向いていないのでも、
母親に向いていないのでもない。
社会構造が最大の問題だ、と。

日本の男尊女卑とミソジニーも韓国の状況と似ているが、女が成熟した怒りを持つこと自体が疎まれる。
「かわいい」「婚活」「母性」「尽くす女」のような、柔らかい音階で語られる男尊女卑社会で、日本の女は怒る前にまず、自分を調律してしまう。

かわいげが足りないのではないか?
みんな我慢してるのに、
私だけわがままではないか?

また、日本の女は、幼女として振る舞うことを強要され、無力化される。それが生存技術になってしまう。
そうやって、社会構造の問題が、個人の性格や努力不足に押し戻されていく。

一方で韓国では、儒教的家父長制、ミソジニーが未だ露骨だ。

このような社会的圧力が日本より激しい分、女性たちは拒否の感覚を早く獲得したのだと思う。もちろん戦後に獲得した民主主義の影響も大きいだろう。

また、「キム・ジヨン」のように、女が発言権を奪われ、主体性を消去されるこの現実が、韓国の文学として世界中で読まれるようになったこととも、彼女らを後押ししているだろう。

更に、ハン・ガンの文学が世界に轟いたことは重要だ。「韓国の女性の言葉と思想」が世界に強大な影響を及ぼす強度を持ったという証左になったからだ。

それが4B運動を支えているのだろう。

4Bについては後に述べるが、
それに比べると、日本の女たちはまだ、怒りを言葉にする自信も、それを運動として展開していく共通の場も持っていない。
それぞれが小さな形で抵抗するか、長い物に丸められて一生を終えるか、だ。


5. 世界の女たち

『82年生まれ、キム・ジヨン』の次に、私はフランスの女性作家レティシア・コロンバニの小説群に出会った。

『三つ編み』。
『彼女たちの部屋』。

国も、階級も、言葉も、置かれた場所も違う女性たちが、それぞれの場所でもがきながら、それでも希望を手放さずにいた。


「三つ編み」では、世界中の女たちが「女の長い髪」という再生された命を介して接続していた。
髪をドネーションする女、
集まった髪を一度脱色する女、
闘病で失った髪の代わりに、その人毛のカツラを利用する女。

「彼女たちの部屋」ではもっと直接的に、社会の中で出会う弱者に、自分のできる範囲で繋がり、手を貸し、互いに支え合っていた。

私はこんなふうにもう一度、世界へ自分を開きたかった。
もう一度、世界と接続したかった。

6. 世界の男たち

そして私は、世界中の男たちと関わり始めた。

38歳の私は、端的に言えばモテた。頻繁に美容サロンに通って、髪も肌も歯も手入れする余裕のあったあの頃の私は、自分でも驚くほど綺麗だったが、それだけが理由では無い。

私は、障害のある娘を育て、人並み以上の母性を湛えた清らかさを持ちながら、知的な会話をし、経験値の高い人間からしか出て来ない言葉で相手の男の人生に意味と物語を与える一方で、欲望される熟した肉体を持つ女でもあった。

完璧な聖母でありながら、自分の前でだけは熟した実から汁を滴らせる、柔らかい肉体。

男たちは、その矛盾に惹かれたのだと思う。

フランス人。
中国人。
メキシコ人。
スリランカ人。
チュニジア人……。

フランス人は、いわゆる金髪碧眼のハンサムな若者だった。
人気ドラマ「ゴシップ・ガール」に出てくるネイトによく似ていた。映画の話から哲学的な話題まで着いて来れる人だった。議論に慣れているのが良かった。鍛えられた体も、フェティッシュなセックスも良かった。

中国人は、エリートサラリーマンだった。
映画『Lust, Caution(ラスト、コーション)』で、祖国を裏切って日本に肩入れしている役の、トニー・レオンに似ていると思ったのが第一印象だった。彼は、最初私の外見を愛した。次に賢さを愛した。セクシャルな話題にも心理学で返答し、時に古の漢詩を織り交ぜる私の教養に、沼のように沈むのが分かった。

メキシコ人は大使館の人だった。
スリランカ人は24歳で日本語が堪能だった。
26歳のチュニジア人は、オンラインで悩みをよく聞いてくれた。

このように、多くの外国人男性とやりとりをした。
そして、寝た。

(チュニジア人はムスリムかつオンラインなので、いたって真面目な友人関係だったが)

男たちは、私が他の男とも寝ていることを知らなかった。彼らは、私をただ1人の自分のガールフレンドと思っていた。

そう書くと、30代後半の女の卑しい話に聞こえるかもしれない。
だが、私の実感は全く違う。

関わりのあった男たちに欲情された時、私自身は性欲に突き動かされていたわけではなかった。

ただ、思っただけだ。

「うん、それもいいかも」

それは、世界からの呼びかけへの気軽な応答だった。

日本語ではない言葉。
違う肌。
違う香り。
違う生活。
違う冗談。
違う欲望。

私は、折られた翼の骨を回復させながら、世界との接続を再開した、と感じていた。
そして、セックスはコミュニケーションの一部だと思い込んでいた。

けれど、多くの男と寝たことで、私はやっと気づいた。 

私が欲しかったのは、これではない。
セックスは、コミュニケーションになり得ない。なぜなら、性行為は命に関わることだからだ。

そこまで大勢の男と寝ないと分からなかったのか、と言われれば、そうなのだと言うしか無い。
私は昔から、何でも自分でやってみないと分からない。
本を読んで理解することと、自分の身体を通して導き出せる答えは似て非なるものだ。

だから私は、そこまで行った。
行ってみて、やっと分かった。

セックスが命に関わる、というのは、
「自分より腕力の強い相手の前で裸になるから、命懸け」という意味ではない。

そもそも、「生命が発生してしまう行為」だ、ということだ。

だから結局、満足できない。
オーガズムを得たとしても、虚しい気持ちが残る。

その男たちとの間に、子を孕みたいと思ってなどいない。
相手だって、もちろんそんなことは望んでいない。そんな責任は。

男たちと寝ながらも、一方で娘を通して命の神聖さを日々実感していた私がようやく辿り着いた答えは、
「私に“生まれてきてくれてありがとう”と
心底思ってくれている相手と、深く結ばれたい」
であった。
バカみたいだが、正直な気持ちだ。

7. 4B

最近、4Bという言葉を知った。

4Bとは、韓国語の「비」、つまり「非」を頭文字にした言葉である。

비연애。恋愛しない。
비섹스。セックスしない。
비혼。 結婚しない。
비출산。出産しない。

女を搾取する制度と文化を拒絶する。
男に選ばれることを、女の幸福として測られる社会を拒否する。
韓国の女性たちの、真からの抗議だ。


女は、選ばれる側ではない。
選ばれなかったから負けるのでもない。
【女が選ぶ】のだ。
それを社会に分からせるための、強力なレジスタンスだ。


4Bの彼女たちは「(今は)しない」と選んだ。
私は、「するかしないかは私が決める」と選んだ。

この2つは、同じ場所から出発していた。

『82年生まれ、キム・ジヨン』に叩き起こされたあの場所から。

では、なぜ38歳の私は4Bの方向には行かなかったのだろうか。
おそらく、4Bで抗議するほどには、絶望していなかったのだと思う。

それは、男に期待していたと言う意味ではない。

日本や韓国のミソジニー社会だけが、世界のすべてではないと知っていたからだ。

私は英語が話せた。
違う文化や価値観が存在することを知っていた。
現代アートの世界はゲイが多く、女を値踏みするだけではない眼差しの方が多かったことにも感謝している。

フルタイムの仕事に戻る前、暇にあかせて映画やドラマをたくさん見た。主役を演じた俳優たちのインタビューもよく観た。
その中で、ハリウッドスターらが、手放しで自らの妻を褒めそやし、感謝の言葉を発信する姿をよく見かけた。
「僕の妻は、世界一の妻であり、世界一の母親だ」
と。

私も、そう言ってくれる人と出会いたかった。
だって、こんなに毎日頑張っているのだから。

そして実際に、そういう言葉をくれたのは、オンラインで繋がったムスリムの人たちだった。

彼らは私を性的に値踏みすることは一切なかった。一度も、無かった。私を、女性を、母親を、宝石のように扱い、存在をまるごと讃えてくれた。

若い頃も、私はよくモテた。
でも、若い頃の私は、自分の身体にも心にも自信がなかった。

若い女体は、ただそこにいるだけで消費される。
勝手にジャッジされ、穢され、
ティッシュに包まれて捨てられる。

命への賛美とは全く関係ないところで、
容れ物だけが評価される。
中身の魂は、ただ虚無に突き落とされる。

私は38歳のその時、生まれて初めて、自分の身体を自分自身として取り返していたのだと思う。

そして、男に選ばれるのではなく、
私が【選ぶ側】だった。
その実感が、大切だった。
「私が選ぶ側だ」という実感が。

女の身体は、セックスのためのモノではない。
出産するためだけのモノでもない。
年齢によって値下げされるものでもない。
母になったからといって、仕舞い込まれるものでもない。

自分の身体は、自分に属する。
自分の尊厳は、自分が守る。
自分の人生は、自分で選ぶ。
時に間違っても良い。
それが私たちの決意だ。


8. 光

けれど、それだけではまだ足りない。
人生を選ぶことは、始まりにすぎない。

人間としての旬とは、
選ぶ側に立ったその先にあるものだと思う。

自分で責任を持って選び、1人で立つということは、
誰かからの庇護の外に飛び出すということだ。

生身で生きれば傷が付く。

傷ついても、人間が深くなるわけではない。
苦労すれば、魅力が増すわけでもない。

雑に削られれば、砕ける。
濁る。
曇る。
光を返せなくなる。

ダイヤモンドは、そのままではただの硬い石だ。
どこに刃を入れるかを間違えれば、割れる。
どれだけ強い石でも、乱暴に削れば壊れる。

人間も同じだと思う。

傷つくことそのものが尊いのではない。
削られることそのものに意味があるのでもない。

正しく傷を得ること。
そして、正しく磨き直すこと。
そうして初めて、正しい面が増える。

その数々の面から、光が入る。
内部反射によって輝きを内包し、
まばゆい光を放つようになる。

断絶、
喪失、
閉塞、
目覚め、
命懸けの選択、
そして、磨き直すこと。
それらを経て、ようやく内側から光を放つ存在となる。

若い頃、光は外側にあった。
煌めく世界にいたことで、私も眩しい存在に見えていたかもしれない。
輝く人たちと一緒にいることで、私もその光を浴びていたから。

それは確かに楽しかった。
そして、誇らしかった。

けれど、人間としての旬とは違う。

傷を得て、
たくさんの傷を得て、
それでも自分の人生を手放さず、
もう一度磨き直された時、
人は自らの内側から光を放つようになる。


砕けず、濁らず、もう一度正しく磨き直す。
数多の傷が面になり、光を受け、
内部反射して光を放ち始める。

それこそが、人間の魂が輝く旬なのだ。

私の妹、キム・ジヨン。
そして、あなた。
あなたは一人ではない。

私たちは終わったことにされなくていい。

愛することも、去ることも。
もう一度、世界へ手を伸ばすことも。
全部、私たちが選んでいい。

その傷を磨き上げた時、
私たちの魂の光で世界は満ちる。

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