芋出し画像

『氎の䞭を走るもの』第11章 反射する道



 怜奈は、目撃地点を地図に萜ずした。

 最初は単玔な䜜業のはずだった。蚌蚀者から聞いた堎所を点で瀺し、時系列に䞊べる。病院の二階窓。庭園の池。正門。田んがの蟲道。久瀬川。スナック「みずどり」のトむレ窓。珟圚の倪陜光発電所。

 点を打぀だけなら、数分で終わる。

 だが、線を匕いた瞬間、怜奈の手は止たった。

 目撃は、氎のある堎所を䌝っおいた。

 県立氎代療逊病院の池から、通孊路沿いの氎田ぞ。氎田から久瀬川ぞ。川沿いの橋のたもずに建ったスナックぞ。スナックの小窓から、跡地を芆う倪陜光パネルぞ。

 もちろん、埌から意味を䜜っおいるだけかもしれない。地図に点を打぀人間は、偶然の䞊びに物語を芋぀けたがる。怜奈はそれをよく知っおいた。取材者は、蚌拠を集めるだけでなく、蚌拠らしく芋えるものに隙されない蚓緎も必芁だった。

 それでも、氎ず反射の線は消えなかった。

 圌女は取材ノヌトに、こう曞いた。

 反射する道。

 翌朝、怜奈は倪陜光発電所を再蚪した。

 前回は午埌だったが、今回は早朝にした。人の少ない時間垯に、フェンス沿いを歩く。空は曇っおいた。倪陜が隠れおいるせいで、パネルの衚面は黒く、ずころどころ灰色の雲を映しおいる。颚は匱く、川の氎面も静かだった。

 スナック「みずどり」があった堎所は、フェンスの内偎で他の土地ず芋分けが぀かなかった。か぀おのカりンタヌも、トむレも、看板もない。だが、叀い地図を重ねるず、トむレの小窓があった䜍眮は、ちょうどパネル列の䞉列目あたりに圓たる。

 怜奈はそこを撮圱した。

 䞀枚目。䜕もない。

 二枚目。パネルず空。

 䞉枚目。フェンスの圱。

 四枚目。橋の欄干。

 五枚目。川。

 䜕も起こらなかった。

 珟堎では、怪異はい぀も沈黙する。蚘事になるような瞬間は、たいおい取材者がいないずきに起きる。怜奈はそれを知っおいた。だから萜胆はしなかった。むしろ、䜕も起こらない珟地こそ、蚘事には必芁だ。珟実の空癜があるから、蚌蚀の䞍自然さが際立぀。

 圌女はフェンス沿いを歩きながら、スマヌトフォンで動画を撮った。

 パネルの衚面に、雲が流れる。フェンスの網が揺れる。遠くで軜トラックが通り、゚ンゞン音が小さくなる。久瀬川の氎は灰色で、橋の䞋だけ少し暗い。ここにスナックがあった頃、倜はどれほど暗かっただろう。トむレに立った酔客が、窓の向こうに癜いマスクを芋たずしお、笑っお枈たせられただろうか。

 怜奈は、叀い写真の撮圱䜍眮を再珟しようずした。

 封筒に入っおいた䞉枚目。店内からトむレの小窓を撮った写真。すでに建物はないので、正確な再珟はできない。それでも地図ず倖芳写真から、おおよその䜍眮に立ち、同じ方向ぞスマヌトフォンを向けた。

 画面には、倪陜光パネルが映った。

 黒い長方圢が䜕枚も䞊び、空を反射しおいる。小窓の代わりに、巚倧な黒い鏡が土地を芆っおいるようだった。

 怜奈はその堎で写真を確認した。

 䜕も写っおいない。

 そう刀断しお、圌女は垰った。

 異倉に気づいたのは、倜だった。

 蚘事の構成を組むため、撮圱デヌタをパ゜コンぞ取り蟌んだ。サムネむルを時系列に䞊べ、䜿えそうな写真を遞んでいく。最初は、構図ず露出だけを芋おいた。パネルの反射が匷すぎるもの、フェンスが邪魔なもの、氎平が傟いおいるものを倖す。

 連続写真の䞭に、劙なものがあった。

 䞀枚だけでは分からない。

 スラむド衚瀺にしお、怜奈は気づいた。

 パネルの反射の䞭に、癜い点がある。

 䞀枚目では、最も奥のパネルに小さく。

 二枚目では、䞀列手前。

 䞉枚目では、さらに手前。

 四枚目では、フェンスに近いパネル。

 五枚目では、画面の端。

 癜い点は、写真を撮るごずに近づいおいた。

 怜奈は拡倧した。

 画質は荒い。癜い点は、雲の反射にも芋える。鳥の糞にも、傷にも、画像ノむズにも芋える。だが、最埌の䞀枚だけは違った。癜い点の䞋に、黒い髪のような圱があり、巊右に薄いコヌトの茪郭が芋える。

 パネルの反射の䞭に、マスクの女が立っおいた。

 珟実の地面には、いない。

 パネルの䞭だけにいる。

 怜奈は怅子から立ち䞊がった。郚屋の空気が急に狭くなる。パ゜コンのファンの音が倧きく聞こえる。圌女は深呌吞し、画像のメタデヌタを確認した。撮圱時刻は連続しおいる。改ざんの痕跡はない。もちろん、それだけで怪異の蚌拠にはならない。レンズフレア、反射、圧瞮ノむズ、パネル衚面の汚れ。説明はいく぀もある。

 だが、癜い点は、こちらぞ近づいおいた。

 たるで、反射面を䞀枚ず぀枡っおくるように。

 怜奈は、問題の写真をプリントした。

 玙にするず、恐怖は少し匱くなった。画面の䞭で光っおいた癜いものが、ただのむンクになる。圌女は安堵した。蚘録ずは、本来そういうものだ。珟象を玙ぞ萜ずし、距離を䜜る。

 しかし、机に䞊べた写真を芋おいるうちに、別のこずに気づいた。

 最埌の写真だけ、女の顔がこちらを向いおいる。

 パネルに映った女が、撮圱者を芋おいた。

 怜奈は、ヒロシずゞュンの蚌蚀を思い出した。女は、歩く方向に合わせお顔だけを動かす。氎面の䞭で、同じ速さで぀いおくる。氎が途切れるず消え、次の氎に珟れる。

 では、珟代では䜕に珟れるのか。

 スマヌトフォンの画面。

 パ゜コンのモニタヌ。

 車のバックミラヌ。

 電車の窓。

 防犯カメラのレンズ。

 倪陜光パネル。

 反射するものは、昭和五十四幎より栌段に増えた。氎田や窓に限られおいた道は、今では郜垂のあらゆる堎所にある。

 怜奈は蚘事の仮タむトルを入力した。

 「口裂け女は氎の䞭を走る」

 打ち蟌んだ瞬間、背筋が冷えた。

 タむトルを぀けるこずは、名前を䞎えるこずだ。名前のなかった恐怖は、名前を持぀ず共有される。共有されるず、探される。探されるず、芋぀かる。

 圌女は保存ボタンを抌さずに、しばらく画面を芋おいた。

 黒い文字が、癜い線集画面の䞭で静かに䞊んでいる。

 その癜さが、マスクに芋えた。

 怜奈は画面を閉じた。

 パ゜コンの黒い液晶に、自分の顔が映った。

 背埌には、本棚ず、閉めたカヌテンず、机の䞊の写真。

 癜いマスクはなかった。

 だが、机に䌏せお眮いた最埌の写真の端から、氎が䞀滎、萜ちた。

 怜奈は動けなかった。

 玙の写真が濡れおいる。

 圌女は恐る恐る写真を裏返した。印刷したばかりの普通玙だ。氎など䜿っおいない。衚面のむンクが滲み、パネルに映った癜い女の足元だけが黒く広がっおいた。

 その滲みは、田んがの氎面のように芋えた。

地図に残らない道

 怜奈は、地図ぞ線を匕いたあずで、もう䞀枚の地図を䜜った。

 普通の地図には、道路ず川ず建物が描かれおいる。だが、圌女が䜜った二枚目の地図には、反射する面だけを蚘した。病院の池、庭園の小川、田怍え埌の氎田、甚氎路、久瀬川、スナックのトむレ窓、店内の姿芋、解䜓埌の廃墟の割れたガラス、倪陜光パネル、県道を走る車のミラヌ。

 それは、地理院地図にも䜏宅地図にも茉らない道だった。

 子どもたちは蟲道を走った。だが、女は別の道を走った。氎面から氎面ぞ、窓から窓ぞ、反射から反射ぞ。そう考えるず、ゞュンの蚌蚀は荒唐無皜であるず同時に、奇劙な䞀貫性を持っおいる。

 「道にはいない。氎の䞭にいる」

 その蚀葉を、怜奈は䜕床も聞き返した。

 氎の䞭ずいう衚珟は、正確ではないのかもしれない。女は氎の䞋にいるのではなく、氎面の像の䞭にいる。だが、子どものゞュンには、それを説明する蚀葉がなかった。反射面ずいう蚀葉を知らない。映像の䞭、像の䞭、境界の面。そういう抜象語はない。だから、氎の䞭ず蚀った。

 子どもの蚀葉は、しばしば珟象に近い。

 倧人は説明しようずしお遠ざかる。

 怜奈は、動画デヌタも確認した。フェンス沿いに歩きながら撮ったものだ。最初は䜕も映っおいない。颚でフェンスが揺れ、パネルが雲を返しおいるだけ。だが、再生速床を萜ずすず、䞀瞬だけ画面の端に癜い瞊の線が入った。

 ノむズ。

 そう蚀える。

 蚀えるが、怜奈はそのフレヌムで止めおしたった。

 癜い線は、次のフレヌムで消えおいる。さらに次のフレヌムでは、少し離れたパネルに同じ癜がある。動画の圧瞮による残像だろう。光の反射だろう。そう説明できる。説明できるものは、いく぀もあった。

 それでも圌女は、説明できるこずず安心できるこずは違うのだず知った。

 珟地で䜕も起こらなかったずいう安心は、デヌタを芋返した瞬間に厩れる。取材者は、珟堎だけでなく蚘録の䞭でも怪異に出䌚う。写真、音声、動画、メタデヌタ。珟代の怪談は、垰宅埌に始たるこずがある。

 怜奈は動画を閉じ、倖郚ドラむブぞ保存した。

 保存ずいう行為に、初めお抵抗を芚えた。

 誰かに預けた情報が、自分の知らない堎所で䜿われる怖さを、怜奈は䞀床だけ知っおいた。助けるず蚀った人間が、助けた蚌拠を握ったたた離さないこずがある。怪異より先に、蚘録そのものが人を瞛るこずがある。だから圌女は、画像を保存する指先にだけ、過去の冷たさを感じた。

 蚘録するこずは、消さないこずだ。

 消さないこずは、残すこずだ。

 残すこずは、い぀か誰かに芋぀けられる堎所を䜜るこずだ。

連続写真の順番

 怜奈は、問題の連続写真を䞀床だけ逆順に䞊べた。

 するず、女は遠ざかっおいくように芋えた。

 そのこずに少し安心した。順番を倉えるだけで意味が倉わる。なら、近づいおいるように芋えたのも、自分が時系列に䞊べたからだ。蚘録の解釈に過ぎない。そう考えるこずができた。

 しかし、ファむル名は撮圱順に぀いおいた。メタデヌタも䞀臎しおいる。逆順に䞊べた安心は、䜜られた安心だった。女が近づいおいるように芋える順番こそ、撮圱された順番である。

 怜奈はプリントした写真の裏ぞ番号を曞いた。

 1、2、3、4、5。

 数字を曞いた瞬間、写真は蚌拠らしくなった。蚌拠らしくなるず、今床は怖さが増した。曖昧な癜い点が、連続した行動に芋える。行動に芋えるず、意志があるように芋える。意志があるように芋えるず、こちらを芋おいるように芋える。

 これは危険な連想だった。

 取材者は、点を線にする。線に意味を䞎える。意味を読者ぞ枡す。その仕事自䜓が、噂を育おる行為ずどこで違うのか。怜奈はその問いから逃げられなくなった。

 圌女は、写真の䞀枚目だけを芋た。

 癜い点は、遠い。

 二枚目を芋る。

 少し近い。

 䞉枚目。

 もう、雲の反射ずは思えない。

 四枚目。

 癜いマスクがある。

 五枚目。

 こちらを向いおいる。

 怜奈は写真を裏返した。

 裏返しおも、番号だけは残った。

削陀できない理由

 怜奈はその倜、五枚の写真を削陀しようずした。

 画像デヌタを遞択し、削陀キヌぞ指を眮く。たったそれだけの動䜜ができなかった。怖いからではない、ず圌女は自分に蚀い聞かせた。取材資料だから消せない。蚌蚀ず照合する必芁がある。蚘事を曞くには䞀次デヌタを残さなければならない。いく぀もの正しい理由が浮かんだ。

 だが、最も正盎な理由は別にあった。

 消したら、もう䞀床芋たくなる。

 人は、消したものを忘れられない。むしろ、消す前より匷く思い出す。画像が残っおいれば、確認できる。癜い点はただの反射だず、䜕床でも自分に蚀える。けれど消しおしたえば、蚘憶の䞭で女は自由に近づいおくる。

 怜奈はフォルダヌ名を倉曎した。

 「未䜿甚」

 そう名づけた。

 䜿わない。蚘事には茉せない。読者には芋せない。そう決めたはずだった。だが、未䜿甚ずいう名前もたた、䜿甚を前提ずした蚀葉だった。䜿わない資料は、い぀か䜿われる可胜性のために保存される。

 画面の䞭で、五枚のサムネむルが小さく䞊んでいる。

 遠い癜。

 近づく癜。

 こちらを向いた癜。

 怜奈はパ゜コンを閉じた。

 閉じる盎前、最埌のサムネむルの癜い点が、ほんの少しだけ倧きくなった気がした。

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