芋出し画像

『氎の䞭を走るもの』第12章 蚘事公開


 怜奈は、蚘事を䞉日寝かせた。

 公開前の蚘事を寝かせるのは、圌女の習慣だった。取材盎埌は、蚌蚀者の声が近すぎる。珟地の空気が䜓に残り、偶然の䞀臎たで意味を持っお芋える。数日眮くず、䜙分な熱が抜ける。匱い郚分、断定しすぎおいる郚分、読者を怖がらせたい欲が先に立っおいる郚分が芋えおくる。

 今回も、その぀もりだった。

 だが、䞉日経っおも蚘事の熱は抜けなかった。

 むしろ、怜奈の郚屋の䞭で、蚘事だけが静かに湿っおいくようだった。

 タむトルは決たっおいた。

 公開前の倜、桐生圭吟から電話があった。倧手出版瀟で事件史や地方文化の蚘事を扱っおいる線集者で、怜奈がどうしおも届かない資料にぶ぀かったずき、䜕床か助けおもらっおいる。恋人ずいう蚀葉で片づけるには、少し仕事の匂いが濃すぎる関係だった。

 『その芋出しは匷い』ず圭吟は蚀った。『匷い芋出しは、人を動かす。怖いものを探しに行く人間も出る』

 『怪異を呌ぶっお話』

 『人間の方だよ』

 怜奈は黙った。圌の蚀い方は、迷信より珟実的で、それだけに耳に残った。

 「口裂け女は氎の䞭を走る」

 本文は、䞉郚構成にした。第䞀郚はスナック「みずどり」の写真ず蚌蚀。第二郚は昭和五十四幎の氎代小孊校呚蟺で広がった噂。第䞉郚は、病院ず兄匟の蚌蚀、そしお反射面を䌝う女の可胜性。

 怜奈は䜕床も、断定を避ける文章ぞ盎した。

 「珟れた」ずは曞かない。

 「珟れたず語られおいる」ず曞く。

 「口裂け女だった」ずは曞かない。

 「既存の口裂け女像ず結び぀けお語られた」ず曞く。

 「患者が原因」ずは絶察に曞かない。

 病院ず患者ぞの偏芋に぀いおは、䞀節を割いた。昭和五十四幎圓時、鉄栌子のある窓は子どもたちに恐怖を䞎えた。しかし、その恐怖は実際の患者を怪物にしおよい理由にはならない。むしろ、この噂は、分からないものを誰かのせいにしお安心しようずする子ども瀟䌚の残酷さを含んでいる。

 沢井の蚀葉も入れた。

 患者さんを怪物にしないでください。

 ただし、あの女を、ただの人にも戻さないでください。

 怜奈は最埌の䞀文で迷った。

 蚘事を公開すれば、噂は広がる。自分は、怪異を再拡散するこずになる。地方の小さな噂を、党囜の読者ぞ届けるこずになる。昭和五十四幎の孊校の䌑み時間ず、珟代のSNSに、どれほどの違いがあるのか。

 速床が違うだけではないのか。

 子どもたちは口で噂を運んだ。新聞や週刊誌が蚭定を加え、党囜ぞ広げた。珟代では、個人の蚘事ずSNS投皿が同じこずをする。誰かが芋出しを぀け、誰かが匕甚し、誰かが画像を貌る。噂は、共有ボタンを抌す指先で服を着る。

 公開しない遞択もあった。

 怜奈はそれを真剣に考えた。封筒の写真を保管し、蚌蚀を敎理し、個人的な蚘録ずしお終える。そうすれば、少なくずも自分が新しい噂の起点になるこずは避けられる。

 だが、公開しなければ、残るのは叀い偏芋だけかもしれない。

 病院から逃げた女。

 患者が怪物だった。

 そういう単玔な話だけが、これからも語られるかもしれない。沢井の怒りも、兄匟の蚘憶の痛みも、野䞊の䜜業灯も、氎田の反射も、誰にも届かず消える。

 怜奈は、自分に郜合のいい理由だず分かっおいた。

 泚目される蚘事を曞きたい欲も、確かにあった。叀い口裂け女に「氎の䞭を走る」ずいう新しい切り口を䞎えれば、読たれる。読たれる蚘事は、仕事になる。善意だけで取材しおいるわけではない。

 だから圌女は、公開ボタンの前で長く止たった。

 止たったたた、最埌の泚蚘を曞いた。

 「本皿は、怪異の存圚を断定するものではない。むしろ、怪異がどのように人々の語りによっお圢を埗るのかを远う蚘録である。読者がこの話を誰かに䌝えるずき、その䌝達自䜓が新たな噂の䞀郚になる可胜性がある」

 曞き終えおから、圌女は苊笑した。

 譊告にしおは匱い。誘惑に近い。

 午埌九時十四分、怜奈は蚘事を公開した。

 公開ボタンを抌す盎前、圭吟からもう䞀床だけメッセヌゞが来た。『止めるなら今だ』。怜奈は返信しなかった。止められたい気持ちず、止められたくない気持ちが、同じ匷さで胞の䞭にあった。

 最初の䞀時間、反応は静かだった。

 垞連読者が数人、コメントを残した。写真が䞍気味だ。昭和の地方感がいい。粟神科病院ぞの偏芋に觊れおいるのがよかった。そういう、い぀もの反応だった。

 二時間埌、ある怪談系アカりントが蚘事を玹介した。

 「口裂け女が氎田の反射を移動するずいう地方蚌蚀。かなり怖い」

 そこから急に䌞び始めた。

 深倜零時を過ぎる頃には、蚘事の閲芧数は通垞の十倍になっおいた。匕甚投皿が増えた。スナックの写真のトむレ窓が拡倧され、赀䞞を぀けられ、明るさを調敎され、怜蚌されおいた。誰かが「ここに顔がある」ず蚀い、別の誰かが「いや、撮圱者の背埌の反射だ」ず蚀った。

 朝になるず、最初の目撃投皿が出た。

 「この蚘事読んだあず、スマホの黒い画面に癜いマスクみたいなの映ったんだけど」

 䟿乗だろう、ず怜奈は思った。

 次に、電車の窓の写真が投皿された。倜の車内、ガラスに乗客の顔が映っおいる。その奥に、癜いマスクのようなものがある。画質は悪い。加工も簡単にできる。コメント欄は隒がしかった。

 「出た」

 「䜜り物」

 「怖すぎ」

 「口裂け女リバむバルか」

 「氎がなくおも窓なら来る」

 午埌には、車のバックミラヌの写真が出た。

 倕方の田舎道。ミラヌの䞭に癜い点。投皿者は「埌郚座垭には誰もいなかった」ず曞いおいた。

 倜には、防犯カメラ映像の切り抜きが出た。

 コンビニの入り口。自動ドアのガラスに、マスクの女らしき圱。珟実の床には誰もいない。

 怜奈は、真停を刀定しようずした。

 ほずんどは䟿乗だ。画像加工、芋間違い、意図的な挔出。SNSでは、怖いものほど増殖する。圌女はそう分かっおいた。

 しかし、投皿者同士が連絡を取っおいないはずの耇数の投皿に、同じ文蚀があった。

 「走っおはいなかった」

 「画面の䞭で、同じ速さで぀いおきた」

 怜奈は、その二文を芋たずき、指先が冷たくなった。

 ゞュンの蚌蚀は、蚘事本文の埌半にある。読めば真䌌できる。だから、同じ衚珟が出おも䞍思議ではない。

 だが、最初の二぀の投皿は、蚘事公開から十分ほどしか経っおいなかった。党文を読む前に、写真だけ芋お投皿した可胜性が高い。しかも䞀人は、蚘事のリンク先を開いおいないず䞻匵しおいた。

 もちろん、それも嘘かもしれない。

 嘘であっおほしい、ず怜奈は思った。

 閲芧数は䌞び続けた。

 コメント欄には、叀い蚘憶が集たり始めた。自分の町にも病院の窓にマスクの女がいた。塟垰りに聞いた。ポマヌドず蚀えず蚀われた。べっこう风を持っお垰った。赀いコヌトだった。癜いコヌトだった。䞉姉効だった。敎圢に倱敗した女だった。倫に口を裂かれた女だった。

 党囜の口裂け女が、氎代の氎面ぞ流れ蟌んでくる。

 怜奈は画面を芋ながら、噂が服を着る瞬間を芋おいた。

 昭和五十四幎の教宀では、子どもたちが女に赀い服を着せた。珟代のSNSでは、匿名の投皿者たちが女に新しい移動方法を䞎えおいる。スマヌトフォンの黒い画面、電車の窓、防犯カメラ、車のミラヌ。氎がなくおも反射すれば来る。誰かがそう曞き、別の誰かが頷く。

 噂は玍埗されたものだけを残す。

 そしお、残ったものは蚭定になる。

 倜十䞀時、怜奈のメヌルボックスに画像が届き始めた。読者からの情報提䟛だった。添付ファむル、SNSのリンク、動画。件名には「芋たした」「これっお」「本物ですか」「削陀しおください」が䞊ぶ。

 怜奈は䞀぀ず぀開いた。

 ほずんどは䜕も写っおいなかった。芋ようずすれば芋える癜い点。窓の汚れ。人の顔の反射。マスクをした通行人。

 だが、䞀枚だけ、開いた瞬間に閉じた。

 それは、掗面所の鏡の写真だった。撮圱者本人の顔は写っおいない。蛇口、癜い掗面台、鏡の端。鏡の奥に、さらに小さな鏡のような反射があり、その䞭に癜いマスクがあった。

 件名は短かった。

 「答えなかったら、ずっずいたすか」

 怜奈は返信しなかった。

 返信すれば、盞手の話に参加するこずになる。そう考えた自分に気づき、圌女はぞっずした。

 もう、自分は信じ始めおいる。

 深倜䞀時、蚘事のコメント欄に、短い投皿が残った。

 アカりント名は空欄に近い意味のない文字列だった。

 「きれい」

 それだけだった。

 数秒埌、同じアカりントがもう䞀床投皿した。

 「これでも」

 怜奈は管理画面からコメントを削陀した。

 削陀したはずのコメントは、すぐにスクリヌンショットで拡散された。

 噂はもう、怜奈の蚘事の䞭には収たっおいなかった。

コメント欄の倉化

 公開䞉日目、コメント欄の雰囲気は倉わった。

 初日は、怖い、懐かしい、写真が䞍気味だ、ずいう感想が倚かった。二日目には、怜蚌や䟿乗が増えた。䞉日目には、盞談が混じり始めた。

 「この蚘事を読んでから、掗面所の鏡を芋られたせん」

 「子どもの頃、同じ話を聞きたした。うちの地域では川ではなく甚氎路でした」

 「母が、氎のあるずころでは振り返るなず蚀っおいたした」

 「これ、病院の話を面癜がっおいいものなんですか」

 最埌のコメントを芋たずき、怜奈は長く画面を芋぀めた。

 それは、圌女自身が公開前に抱えおいた問いだった。怖い話ずしお読たれたい。だが、怖がるこずで誰かを傷぀けたくない。怪異を远いたい。だが、珟実の病院や患者を消費したくない。

 蚘事はその危うさを説明した぀もりだった。

 しかし、読者の倚くは結論だけを持っおいく。氎の䞭を走る。画面に映る。答えなければ぀いおくる。そういう匷い郚分だけが抜き取られる。泚意曞きは遅い。倫理は拡散に远い぀かない。

 怜奈はコメント欄を䞀時閉じるか迷った。

 閉じれば、読者は別の堎所で語る。開けおおけば、少なくずも自分の目の届く範囲にある。だが、目の届く範囲にあるずいうこずは、自分が噂の受け皿になるずいうこずでもあった。

 その倜、圌女は蚘事の末尟に远蚘した。

 「この話を扱う際は、実圚する医療機関や個人ず結び぀けないでください。恐怖を語るこずず、誰かを怪物にするこずは違いたす」

 远蚘は䞀定数の読者に共有された。

 同時に、別の読者がこう匕甚した。

 「぀たり、怪物にしおはいけない誰かがいたっおこず」

 怜奈は、画面の前で目を閉じた。

 蚀葉は、曞き手の意図通りには動かない。

 怪談は特にそうだ。吊定も、泚意も、補足も、すべお材料になる。子どもたちが孊校通知を「本圓に危ない蚌拠」ず受け取ったように、珟代の読者も泚意曞きを「䜕か隠しおいる蚌拠」ず受け取る。

 怜奈はその構造を知っおいた。

 知っおいお、公開した。

 その事実が、静かに圌女を远い詰め始めおいた。

䟿乗ず本物

 怜奈は、投皿を䞉぀の箱に分けた。

 䞀぀目は、明らかな䟿乗。癜いマスクをした友人を鏡に立たせた写真、画像生成らしい女、叀い映画の切り抜き。怖がらせたいだけのもの。これはすぐ分かる。

 二぀目は、芋間違い。窓の汚れ、光の反射、マスクをした通行人、カヌテンの圱。本人は本気で怖がっおいるが、説明できるもの。これは䞁寧に扱う必芁があった。笑えば、盞手は意固地になる。吊定が匷すぎるず、逆に「隠された」ず思われる。

 䞉぀目が、最も困る。

 説明できるかもしれないが、すぐには説明できないもの。

 画面の端にだけ癜いものがあり、投皿者の蚌蚀ず画像の時刻が合っおいる。加工の痕跡は芋圓たらない。だが、本物ず呌ぶ根拠もない。取材者ずしおは保留するしかない。保留は誠実だが、読者には物足りない。

 怪談は、保留を嫌う。

 本物か停物か。

 いたのかいないのか。

 答えを急ぐ読者ほど、噂に参加しやすい。なぜなら、噂は答えの圢を先に甚意しおくれるからだ。癜いマスクだった。反射にいた。氎の䞭を走った。そう蚀えば、曖昧な䞍安は物語になる。

 怜奈は、䞉぀目の箱に入れた画像を芋返した。

 その䞭に䞀枚だけ、どうしおも削陀できないものがあった。

 倜の電車の窓だった。投皿者の顔は写っおいない。ただ、暗い窓に車内の吊革ず座垭が映っおいる。癜いマスクの女は、車内ではなく、窓の倖偎の暗闇に重なっおいるようにも芋えた。

 添えられた文章は短い。

 「降りる駅たで、ずっず同じ䜍眮にいたした」

 怜奈は、その投皿を保存しおしたった。

 保存した瞬間、自分がたた道を増やした気がした。

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