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【小学生編】「自分にもできる」そう思いたかった僕と、できない現実|先天性心疾患と生きてきた僕の32年

前回は、幼い頃の手術や入院生活、
そこで出会った友達のことを書きました。

怖かったこともたくさんあったけど、
振り返ってみると、僕はひとりではなかったんだと思います。

小学生になってからも、
僕は、相変わらず元気に過ごしていました。

このころの僕は、
まだ自分の病気のことなんて詳しくは知らなかった。

だからこそ、
普通の子と同じように過ごしていたんだと思います。

授業を受けて、給食を食べて、
休み時間になれば友達と遊ぶ。

学校にいる間、
ずっと自分の病気のことを考えていたわけではなかった。

病気のことなんて忘れている時間も、
たくさんあった。

でも、そんな普通の毎日の中で、
少しずつ、

「自分にはできないことがあるんだ」

「ほかの子とは違うんだ」

という現実を突きつけられていきました。


見えない壁と、みんなと違う日常

入学した時や、クラス替えのたびに、
みんなの前で僕の病気の説明をされた。

必要なこと。
それは分かっていた。

でも、その時間が来ると、嫌だった。

一度に浴びる視線。

みんなの表情。

興味本位だけで聞いているような空気。

「早く話が終われ」と言われているような態度。

そういうものを、すべて一度に受けることになる。
その瞬間、自分だけが違うんだと突きつけられる。

そして勝手に自分の中で、
「みんな、こんな僕と仲良くしてくれるかな」 と
不安になっていた。

みんなの反応を気にしながら、
話しかけないといけない。

そんなふうに、
自分の中で余計なハードルを上げてしまっていた。

クラス替えが何度か重なる頃には、
もうみんな僕の病気のことを知っていたから、
その説明もなくなった。

それでも、
日常の中で「違い」を感じる場面は消えなかった。

一番大きかったのは、体育の授業。

僕はいつも、テントの下で見学していた。
夏は暑いし、冬は寒いし、
なにより見ているだけなんて楽しくなかった。

みんなが楽しそうに体を動かしているのを、
ただ見ているしかなかった。

「なんで僕は見学しておかないとダメなんだろう」

そんなことばかり考えていた。

でも、
休み時間になれば、
僕もみんなと一緒におにごっこやハンドベースをやっていた。

だから、
周りからは、

「体育だけしないのは、ずる休みじゃん」

そんなふうに言われることがあった。

遊びはできて、授業はできない。

自分でも、

「確かにそう思われても仕方ないよな」

そう思っていた部分はもちろんあった。

でも、それと同じぐらい、

「なんでやらせてもらえないんだ」

「自分ではできると思っているのに、なんで」

という悔しい気持ちがあった。

「僕だって、好きで見学しているわけじゃない」

「わざわざそんなふうに思われるようなことを、
進んでやるわけないだろ」

心の底では、そう叫んでいた。

たまに、
友達がテントのところまで声をかけに来てくれることもあった。

それは本当に嬉しかった。

でも、
やっぱり体育ができないという事実が嫌なのは変わらなかった。

時には、
「見学できていいなぁ」 と言われることもあった。

そのたびに、

「じゃあ僕と体を変わってくれよ」

「僕が元気だったら、喜んで授業を受けてやるよ」

そう心の中で言い返していた。

だけど、言葉にすることはできなくて、
「いいだろう」って笑って返すしかなかった。

何かのたびに自分だけが特別扱いをされると、
周りから
「アキ君だけ、なんで特別なの?」と聞かれる。

うまく返すことができなくて立ち尽くしていると、
それを聞いていた別の友達が、

「アキは心臓が悪いからだよ」って代わりに答えた。

言ってくれた子に悪気なんてなかったのは分かっている。

きっと優しさのつもりだったんだと思う。

でも、その言葉を聞くたびに、
自分がまわりの子とは違う「病気の子」なのだという現実を、余計に突きつけられるようで複雑だった。

それに、自分で自分が許せないときがあった。

甘えているんじゃないかと、
自分を責める夜もあった。

遊びはできるのに、体育はできない。
その事実に何も言い返すことができない自分が嫌になる。

どうしようもなく悔しくなる。
そんな瞬間が、たくさんあった。

運動会も参加できなかった。
練習の時間も、運動会当日も、
ただ見ているしかなかった。

みんなが走ったり、
何かを一緒にやったりしている中で、
僕はそこに参加することができない。

マラソン大会にも参加できなかった。
みんなで何かを成し遂げようというときは、
いつも一人だった。

息を長時間止めることを禁止されていたから
水泳の授業も参加できなかった。

それに、
息を吹き続けることは止められていたから、
音楽会では、
みんながリコーダーを演奏する中、
僕一人だけがトライアングルを叩いていた。

それでも友達には、本当に恵まれていたと思う。
変わらずに遊びに誘ってくれた。
学校の外で野球をするときは、
当たり前のように輪に入れてくれた。

僕がケガをしないように。
あまり走らなくてもいいように。
みんなが一緒に色々と考えてくれた。

今でも血をサラサラにする薬を飲んでいるから、
本当はケガには注意しなければいけない。

でも、遊びたい盛りの僕には、
それをずっと守り通すなんて無理だった。

何回も転んでは、派手にケガをした。

でも自分では、ほかの子が転んでケガをしたのと
大して変わらない感覚だったから、あまり気にしていなかった。

そんなふうに、
普段はみんなと同じように笑って遊んでいたからこそ、

「みんなと一緒にやりたい」

という気持ちは人一倍強かったんだと思う。


ロープウェイで登った山と、流した涙

小学四年生の頃、
自然教室で、みんなで歩いて山に登るという行事があった。

もちろん、僕も参加したかった。

でも、
みんなと一緒に自分の足で登ることは許されなかった。

それに、
その行事に参加するには「親が同伴しないといけない」と言われた。

どうしても参加したかった僕と、
行かせてあげたいと思ってくれた親。

父親が同伴してくれることになった。

参加できるのは嬉しかった。
でも、とても暑い時期だったこともあり、
父には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

それに、「自分だけ親が一緒」という恥ずかしさと、
どうしようもない悔しさが混ざり合っていた。

みんなと一緒に、
汗をかきながらワイワイ登りたかった。
その思いはずっと拭ぬぐえなかった。

結局、僕は保健の先生と、父と、
一緒にロープウェイを使って山を登った。

山の上でみんなと合流したときは、
本当に嬉しかった。

「ここからは一緒に参加できる」 そう思っていた。

でも、少し経ったあと、
暑さのせいか、病気のせいか、
激しい頭痛とめまいと動悸が襲ってきて、
父と一緒に途中で帰らなければならなくなった。

みんなと一緒にいられたのは、
ほんの少しの時間だけだった。

悔しくて、悔しくてたまらなかった。

本当は、合流したときから少し体調がおかしかった。

でも、
みんなと一緒にいたかったから、
我慢して無理をしていた。

それでも、ダメだった。

家に帰って横になると、
だんだん具合が良くなってきた。

「そのままあそこにいても、大丈夫だったんじゃないか」

「もっと頑張れたんじゃないか」

あんなに楽しみにしていたのに。

みんなと思いっきり楽しもうと思ったのに。

それにまた、親に迷惑をかけてしまった。

そんなことばかりを考えていたら、
自然と涙がこぼれてきた。

自分ではまだやれる、頑張れると思っているのに、
身体がそれに追いついてくれない。

そのことが、何よりも悔しかった。


言葉の暴力と、自分との戦い

五年生のある日のこと。

ランドセルを置いている棚の中に、
一枚の紙が入っていた。

そこには、

「心臓病早く死ね」

という言葉が書かれていた。

それを見たとき、正直、何も感じなかった。

悔しいわけでも、悲しいわけでも、
深く傷ついたわけでもない。

「あっ、なんか入ってた」

そのぐらいの感覚だった。

誰がやったのかは、大体見当がついてた。

そのままゴミ箱に捨てようとしたけど、
周りの友達が「絶対先生に言った方がいいよ」と言ってくれた。

だから、授業が始まったタイミングで、

みんなの前で、

「先生!こんなのが棚に入ってました」 

変に気負うこともなく、
その紙をそのまま先生に差し出して報告した。

今思えば、みんなが見ている前で、
しかも状況がさらに悪化するかもしれないのに、
よくそんなあっさり言えたなと思う。

言うならさっさと言って、
この話を終わらせたかった。

回りくどいことや、
めんどくさいやり取りはしたくなかったんだと思う。

案の定、犯人は予想していた通りの子だった。

相手が謝ってきたから、
「いいよ」とだけ返した。

本当に、どうでもよかったし、
何も気にしてなかったから。

だから、親にもそのことは一言も言ってない。

心配をかけたくないというより、
自分にとって本当にどうでもいい出来事だったから。

大人になってから、
「そういえば、昔そんなこともあったな」と
軽く笑い話にするくらいだった。

たぶん僕は、
そんな言葉の暴力よりも、
別のことにもっと苦しんでいたんだと思う。

「自分は人と違う」ということ。

「みんなと同じようになりたい」という願い。

できない自分がいること。

ふとした瞬間に、
身体の傷跡をじろじろと無言で見つめてくる他人の視線。

運動会や行事の時に、
一人だけポツンといると、こっちを見ながらヒソヒソと何かを言っている大人。

そんなものと、どう向き合えばいいのか。

自分でもどうしたらいいのか分からないという現実のほうが、ずっと重くて苦しかった。

自分の限界を、
自分以外の他人に決められたくなかった。

「病気だからできない人」として見られたくなかった。

自分にもできるんだって、自分で証明したかった。

強くなりたかった。

必要以上に心配されたくなかった。

ただ、みんなと同じように扱われたかった。

「かわいそうな子」として見られたくなかった。

でも、実際にはできないことがある。

だから、自分で自分のことを
「本当にできるのか?」と疑ってしまう。

それが猛烈に悔しかった。

そんな自分とどう戦えばいいのか、
その答えを探すことに必死だったんだと思う。

五年生のときにあった林間学校は、
親の同伴はなかった。

でも、みんなと一緒の部屋で宿泊することはできず、
一人だけ広いロッジの別の部屋で寝なければならなかった。

みんなは今頃、

「部屋割りで一緒になった友達と
夜遅くまで話をしたりして盛り上がっているんだろうな。」

そう思うと、胸がざわついた。

「この林間学校が終わったら、
僕の居場所がなくなっているんじゃないか」

「自分の知らない話でみんなが盛り上がって、
僕は置いていかれるんじゃないか」

そんな不安が押し寄せてきた。

でも、それは考えすぎだった。

林間学校が始まれば、
みんなはいつもと変わらず僕に接してくれた。

ご飯の時間になると、
「一緒に食べよう」と声をかけに来てくれて、
同じテーブルで笑いながら食べることができた。

修学旅行は、普通に参加することができた。

友達と同じ部屋で同じ布団を並べて泊まることができたし、
自由行動もみんなと一緒に同じペースで街を回ることができた。


少しずつ知った現実と、消えない願い

定期的に病院に通わなければならなかったけど、
それも僕にとっては楽しみの一つだった。

入院中に仲良くなった友達に会えるかもしれない。

大好きな看護師さんや先生たちに会える。

検査自体は嫌いだったけれど、
診察を待っている間は決まって以前入院していた病棟へ行き、看護師さんたちに顔を見せに行った。

元気な姿を、ただ見せたかったから。

病院で友達と会えたときは、
一緒に病院のまわりの公園で遊んだ。

学校とは違うもう一つの日常が、
そこにも確かにあった。

学校では普通に友達と笑い合い、遊び呆けていた。

だけど、いろんな場面で、
みんなと同じようには動けない現実があった。

同じクラスの生徒の前で病気の説明をされるたびに、
自分だけが切り離されているような気がした。

そんな小さな傷や悔しさを何度も繰り返しながら、
僕は少しずつ、自分の病気と身体、
そして周りとの違いを知っていった。

今思えば、小学生生活は、
自分ではどうすることもできない現実に、
何度もぶつかった時間だったんだと思う。

できないことがある。
みんなと同じようには生きられない。

それが悔しくて、
どうしようもなくなることもあった。

それでも、
みんなと同じように遊びたかったし、
みんなと同じように笑っていたかった。

病気だからって、諦めたくない。

「自分にもできる」

そう思いたい気持ちは、
この頃から少しずつ強くなっていったんだと思う。

でも、その気持ちがあったからといって、
すぐに強くなれたわけじゃない。

中学生になった僕は、また別のところで、
自分の病気と向き合うことになります。

次は、そんな中学生の頃の話を書こうと思います。

▼ 「中学生編」はこちら

麗川れいかわアキ


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