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【中学生編】「次は自分なんじゃないか」消えない怖さと、生きること|先天性心疾患と生きてきた僕の32年

前回は、小学生の頃のことを書きました。

学校では普通に友達と遊んでいたけれど、
体育や行事になると、
みんなと同じようにはできないことがありました。

自分ではできると思っているのに、
やらせてもらえない。

頑張りたいのに、
身体がついてきてくれない。

そんな現実に何度もぶつかりながら、

「自分にもできる」

そう思いたい気持ちが、
少しずつ強くなっていった時期だったんだと思います。

中学生になってからは、
病気のことで何か特別なことがあったかと言われると、実はそれほど多くありません。

小学生の頃と変わらず、
体育の授業はずっと見学だったけど、
普通に学校へ行って、
友達と遊んで、
毎日を過ごしていました。

でも、この三年間には、

今の僕の生き方にまでつながっている、
忘れられない出来事があります。


病院で出会った、ひとりの友達

中学一年生の頃。

カテーテル検査を受けるために、
入院することになった。

幼い頃から何度も入院してきた僕にとって、
病院はもう知らない場所ではなかった。

昔と同じように、
病室には同じように病気を抱えた子どもたちがいる。

そこで、
一人の年下の男の子と出会った。

同じように心臓に病気を抱えている子。

入院していたのは、
たしか一、二週間ぐらいだったと思う。

プレイルームで一緒に遊んだり、
一緒にご飯を食べたり。

いろんな話をした。

その中で、
将来の話をしたことがあった。

その子には、
やりたいことがあった。

自分の未来のことを、
ちゃんと考えていた。

僕は中学生で、
その子はまだ小学生。

年齢は違ったけれど、
病院の中ではそんなことはあまり関係なかった。

一緒に遊んで、
一緒に笑って。

幼い頃の入院生活と同じように、
僕にとっては病院で出会った友達の一人だった。

退院してからも、
たまたま外来で会うことが何度かあった。

顔を合わせるたびにお互い
「元気そうだね」っていいながら、
入院していた頃と同じように遊んでいた。


自分にできる形で

中学二年生くらいの頃、
僕は空手を習い始めた。

きっかけの一つは、
いとこのお兄ちゃんが空手を習っていたことだった。

それに、小学生の頃からずっと、
「強くなりたい」という気持ちがあった。

みんなと同じようにできないことがあったり、
病気だからと心配されたりすることも多かった。

だからなのか、
僕も何かできるようになりたかったし、
強くなりたいと思っていた。

もちろん、心臓に病気がある僕が、
何でも自由にできたわけじゃない。

空手を始める前に主治医に相談すると、
「組手はしないで、型だけならやってもいい」
と言ってくれた。

親も心配はしていたけど、

「先生がそう言ってくれていて、
やりたいならやってみたらいい」と背中を押してくれた。

道場の先生も僕の病気のことを知ったうえで、
受け入れてくれた。

そんな周りの後押しもあって、
みんなと同じようにはできなくても、
自分にできる形で空手を始めることができた。

そんな気持ちで始めた空手は、
僕にとって大切なものになっていった。


「なんで」が頭から離れなかった

中学三年生の頃。

ある日、母から突然、

「〇〇君、亡くなったみたい」

そう聞かされた。

「え、うそでしょ」

最初に出てきたのは、
そんな言葉だったと思う。

この前会ったときは、
あんなに元気だったのに。

普通に話していたのに。

なんで?

すぐには理解できなかった。

これからやりたいことだって、
たくさんあったはずなのに。

入院していたとき、
将来やりたいことを嬉しそうに話してくれた。

そのときの笑顔を、
今でも覚えている。

本当に楽しそうだった。

ちゃんと自分の未来を見ていた。

なのに、
なんであの子が亡くならないといけなかったんだ。

悲しかった。

それ以上に、悔しかった。

何に対して悔しかったのか、
うまく説明なんてできない。

ただ、悔しかった。

これからだったのに。

なんで。

なんで、あの子だったんだ。

そんなことを何度考えても、
答えなんて出なかった。

そして、その悲しさや悔しさと一緒に、
今度は別の怖さが僕の中に出てきた。

「次は、自分なんじゃないか」

そう思った。

一度そう考えてしまうと、
頭から離れなくなった。

特に夜が怖かった。

布団に入って、
目を閉じる。

それだけなのに怖い。

「このまま寝たら、もう目が覚めないんじゃないか」

「寝ている間に死ぬんじゃないか」

そんなことばかり考えていた。

めまいや動悸もするようになった。

それが心臓からくるものなのか、
不安や怖さからくるものなのか。

当時の僕には分からなかった。

ただ、怖かった。

心臓のことで今も診てもらっている主治医の先生に、
そんな状態になっていることを話した。

そのときは酸素濃度も低くなっていたこともあって、
自宅で酸素吸入を使ってみることになった。

それと一緒に、

「この病院でカウンセリングを受けてみる?」

と言ってくれた。

カウンセリングで何を話したのかは、
正直、あまり覚えていない。

ただ、看護師さんと一緒に、
何かを作っていた記憶は残っている。

今になって思えば、
何か一つのことに集中することで、
怖いことを考えない時間を
少しでも作ろうとしてくれていたのかもしれない。

それでも、
あの子が亡くなったという事実がなくなるわけじゃなかった。

怖さがすぐに消えるわけでもなかった。

そして僕には、
今でも引っかかっていることがある。

僕は、その子のお墓参りに行けなかった。

会いに行きたかった。

でも、行けなかった。

どんな顔をして親御さんに会えばいいのか分からなかった。

何を話せばいいのかも分からなかった。

僕が会いに行ってもいいのか。

そんなことまで考えてしまった。

それに、
あの子がもういないという現実と向き合うのが、
怖かったんだと思う。

結局、
僕には行く勇気がなかった。

そんな自分が、本当に嫌だった。

あれだけ一緒に遊んだのに。

いろんな話をしたのに。

会いに行くことすらできない。

「それで本当に友達なのか」

そうやって、
何度も自分を責めた。

それでも、行けなかった。


あのとき、僕の中に生まれたもの

体調を崩し、お墓参りにも行けずにいた僕を、
周りの人たちもずっと気にかけてくれていた。

カウンセリングで話を聞いてくれた人や、
看護師さん、親から、
いろんな言葉をかけてもらった。

誰に、どんな言葉をかけてもらったのか。
今となっては、はっきりとは覚えていない。

でも、

「あの子の分まで、元気に生きないと」

そんな意味の言葉を、
いろんな人からかけてもらった記憶は残っている。

その言葉を聞いたからといって、
すぐに怖くなくなったわけじゃない。

夜になれば怖かったし、
「次は自分なんじゃないか」という思いも、
すぐには消えなかったし、
今でも完全には消えていない。

それでも当時、
何度もそんな言葉をかけてもらううちに、
少しずつ自分でも考えるようになった。

あの子に恥じない生き方をしたい。

あの子には、
あんなにやりたいことがあった。

将来のことを話しているときも、
本当に嬉しそうだった。

それなのに、
その未来を生きることはできなかった。

「僕は生きてるのに何やってんだ」

「怖いからって、
このままずっと後ろを向いているのか」

「ずっと止まったままでいるのか」

そんなことを思うようになっていった。

だからといって、
立派な人間にならなきゃいけないとか、
そんなことを考えていたわけじゃない。

楽しいことも、嬉しいことも。
悲しいことも、辛いことも全部ひっくるめて、

「あの子の分まで、人生を生き切らないと」

当時の僕は、
そんなふうに思うようになっていった。

自分がやりたいと思ったことを、
できるうちにやりたい。

後になって、

「あのときやっておけばよかった」

と後悔したくない。

できるかどうか分からなくても、
やってみたいと思ったなら、
最初から諦めたくない。

このときに生まれた考え方は、
その後もずっと僕の中に残っていった。

何かをやってみたいと思ったときも、
何かを選ぶときも、

「自分はどうしたいんだろう」

そう考えるときの、
一つの基準になっていった。

そして今も、
この考え方は僕の中に強く残っている。


さいごに

今回この出来事を書くことには、
ずっと怖さがありました。

僕は、
あの子が亡くなったことを、
自分が生きる理由として勝手に使っているだけなんじゃないか。

「いつ死ぬか分からないから、やりたいことをやる」

そんな自分の生き方を正当化するために、
あの子のことを都合よく使っているんじゃないか。

そんなふうに思ってしまう。

「あの子が亡くなったから、今の僕がいる」

そんな綺麗な話にはしたくない。

亡くなってほしくなんかなかった。

今でも、
病院で一緒に遊んだことを覚えている。

一緒にご飯を食べたことも。

将来やりたいことを話してくれたときの、
嬉しそうな笑顔も。

忘れるなんて、できない。

もっと一緒に遊びたかった。

病院で会ったときだけじゃなくて、
もっといろんなところで一緒に遊びたかった。

あのとき話してくれた未来を、
生きてほしかった。

だから、
あの子が亡くなったことに、
無理やり意味をつけたくない。

「あの子のおかげで、今の僕がいる」

とも、僕は言いたくない。

それでも、

あの子と出会ったことも、
あの子を失って怖くなったことも、
悔しくて仕方がなかったことも、

「あの子に恥じない生き方をしたい」

と思ったことも。

全部、今の僕の中に残っている。

あの子の人生を、
僕のための物語にはしたくない。

でも、
あの子と過ごした時間まで、
なかったことにはしたくない。

だから今回、
怖さはあったけれど、
ここに書き残すことにしました。


※この記事に書いている空手の話は、
あくまで僕自身の経験です。

僕の場合は、事前に主治医へ相談し、
「組手はせず、型だけなら」という条件のもとで始めました。

同じ心臓病であっても、
病状やできることは一人ひとり違います。

僕の経験を見て「自分もできる」と判断するのではなく、
何か新しいことを始めるときは、
主治医と相談したうえで、
自分に合った形を考えてもらえたらと思います。

こうして僕は、
中学校を卒業して、高校生になった。

高校生の頃のことは、
また次の記事で書こうと思います。

▼ 「高校生編①」はこちら

麗川れいかわアキ


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