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【高校生編①】「なんでこんな身体なんだろう」初めて自分の身体を嫌だと思った日|先天性心疾患と生きてきた僕の32年

先天性心疾患と生きてきた32年間を、
少しずつ振り返りながら書いています。

前回の【中学生編】では、
病院で出会った友達とのことや、
「次は自分なんじゃないか」という怖さ、
そして空手を始めた頃のことを書きました。

▼前回の記事はこちら

今回は、
高校生になってからの話です。


「少しくらいなら大丈夫」

中学校を卒業して、
僕は高校生になった。

新しい学校、新しいクラス。

何人か仲のいい友達もできて、
その友達と一緒に過ごすことが多かった。

高校生になったからといって、
僕の身体が何か変わったわけではない。

体育は相変わらず見学だった。

学校の外では、
中学生の頃から始めた空手を続けていた。

空手を始めた理由は、
強くなりたかったから。

ただ、僕には一つ、
主治医から止められていることがあった。

組手だった。

型の練習はできる。

でも、人と実際に技を出し合う組手はできない。

僕は心臓の病気の関係で
血液を固まりにくくする薬を飲んでいることも理由だった。

それでも僕は、
どうしてもやってみたかった。

周りの人が組手をしているのを見ながら、

「少しくらいなら大丈夫なんじゃないか」

と思っていた。

道場の先生に、

「組手をやらせてほしい」

とお願いした。

もちろん、
普通にやるわけではなかった。

僕と組手をするときは、
みんなものすごく手加減してくれていた。

強く蹴らない。

強く殴らない。

本当に軽く当てるくらい。

実際、しばらくは何も起こらなかった。

だから僕も、

「これなら大丈夫」

と思うようになっていた。


「迎えに来てほしい」が言えなかった

ある日の練習で、
いつものように組手をしていた。

そのとき、
太ももを蹴られた。

でも、本当に軽くだった。

蹴った相手が悪いわけでもない。

いつものように、
手加減してくれていた。

そのときは、

「痛いな」

くらいだったと思う。

でも、
時間が経つにつれて痛みが強くなっていった。

だんだん足を曲げられなくなり、
かがむことも、歩くことも難しくなった。

「これ、骨が折れたかもしれない」

そう思うくらい痛かった。

普通なら、
親に連絡して迎えに来てもらえばよかったんだと思う。

でも僕には、

「迎えに来てほしい」

その一言が言えなかった。

主治医から止められていたことをして、
ケガをした。

こんなことになった自分が情けなかった。

そして何より、

親に迷惑をかける。

心配させてしまう。

どうせ家に帰れば、
ケガをしたことなんて分かってしまうのに。

それでも、連絡できなかった。

僕は自転車に乗った。

痛いほうの足は使えない。

片足だけでペダルを漕ぎながら、
なんとか家まで帰った。

今考えると、

「なんでそんなことしたんだ」

と思う。

でも、あのときの僕は、
とにかく自分で帰ろうとしていた。

なんとか家に着いて、
玄関から母を呼んだ。

そして最初に出た言葉が、

「ごめん。けがをしてしまった」

だった。

足を曲げられないから、
玄関の段差を上がることすらできない。

父に肩を借りながら、
なんとか家の中に入った。

「なんで連絡してこなかったの?」

そう聞かれて、

「心配をかけてしまうから」

としか言えなかった。

今振り返ると、
少し変な話だと思う。

連絡せずに帰ったところで、
心配をかけないわけじゃない。

むしろ、
そんな状態で一人で帰ってきたほうが心配する。

でも当時は、
そんなことまで考えられなかった。

家に着いて安心したからなのか、
それまで張っていたものが切れたように、
僕は泣いた。

痛かった。

悔しかった。

何に対して一番泣いていたのかは、
今でもよく分からない。

ただ、涙が止まらなかった。

その日はもう夜だったから、
すぐに病院へ行くことはできなかった。

痛みはどんどん強くなっていった。

横になっても痛い。

身体を動かしても痛い。

32年間生きてきた中で、
今でもあのときが一番痛かった経験だと言える。

結局その夜は、
痛みでまったく眠ることができなかった。


身体の中で起きていたこと

次の日の朝一番に、
病院へ向かった。

僕はずっと、

「骨が折れているんだろう」

と思っていた。

でも、最初に行った病院では、

「ここでは診られない」

と言われ、
別の病院へ行くことになった。

そこで分かったのは、
骨折ではなかったということだった。

蹴られた太ももの内部で、
出血していた。

外から血が出ているわけではない。

でも、血液を固まりにくくする薬の影響もあり、
太ももはぱんぱんに腫れていた。

主治医から以前、

目に見える出血だけではなく、
身体の中で起こる出血には、
特に気をつけるように言われていた。

整形外科の先生からは、

「なんでそんなことしたんだ!」

と怒られた。

そして、

「これが別の場所で起きていたら
大変なことになっていたよ」

とも言われた。

何も言い返せず、
そのまま入院することになった。

本当なら、
すぐに手術をしたほうがいい状態だったらしい。

ただ、まずは別の方法で治療をして、
それでうまくいかなければ手術をすることになった。

結果的には、
手術をせずに治療することができた。

入院したのは、
1、2週間ほどだったと思う。

退院してからもしばらくは松葉杖を使い、
リハビリをしながらの日々を過ごすことになった。

退院したばかりの頃は、
まだギプスをしていて、
杖を使わないと歩けなかった。

痛みも残っていた。

家でじっとしていると、
どうしてもいろいろなことを考えてしまう。

「もう空手はできないのかな」

このままずっと家にいたら、
気持ちまで沈んでしまいそうだった。

そんなとき、親が
「気晴らしに出かけるか」
と言ってくれた。

家族で少し遠くまで、
ドライブに連れていってくれた。

久しぶりに外の空気を吸って、
車の窓から流れていく景色を見ていると、
少しずつ気持ちが晴れていくような感じがした。

小さい頃から、
何かあって不安な時や、夜に眠れない時は、
親がドライブに連れていってくれることがあった。

このときも、
「やっぱり外に出るのっていいな」
と思った。

ドライブに出たからといって、
何かが解決したわけじゃない。

それでも、
家の中でずっといるより
少しだけ気持ちは軽くなっていた。


もっとやりたかった

あれだけのケガをして、
その原因も分かっていた。

空手を続けるのは難しい。

僕自身も、
それは分かっていた。

結局、
空手を辞めることになった。

そのとき初めて、強く思った。

「この身体じゃなかったら」

これまでも、
病気のせいでできないことはたくさんあった。

体育はずっと見学だったし、
学校行事でも、
みんなと同じようにできないことがあった。

でも空手は、
誰かにやらされたものではない。

自分で「やりたい」と思って、
自分で選んで始めたものだった。

楽しかった。

もっとやりたかった。

やりたいのに、できない。
続けたいのに、続けられない。

自分で選んで始めたことなのに、
最後は自分の身体に止められる。

それが、悔しかった。

簡単に「仕方ない」とは思えなかった。

「なんでこんな身体なんだろう」

答えなんて出ないのに、
そんなことばかり考えていた。


それでも、変わらなかった

じゃあ、
空手を始めなければよかったのか。

今振り返っても、
そうは思わない。

空手をやってよかったと思っている。

もちろん、
こんなことを言えるのは、
結果的に大きなことにならず、
今こうして生きているからなのかもしれない。

あのときの自分の行動が、
正しかったとも思わない。

それでも、
空手が楽しかったことまで
なかったことにはしたくない。

そして32歳になった今でも、
空手をやりたいと思うことがある。

あれだけ痛い思いをして、
入院して、
辞めることになったのに。

それでも、やりたい。

だからきっと、
僕の中ではまだ完全に
割り切れていないんだと思う。

「この身体じゃなかったら」と思った気持ちも、
全部なくなったわけじゃない。

それでも僕は、
この身体で生きてきた。

高校生の頃の僕は、
「少しくらいなら大丈夫」と、
自分に都合よく考えていた。

今は、
自分に何かあれば困るのは
自分だけじゃないことも分かっている。

心配する人がいる。

分からないことは、
主治医に相談しなければいけない。

それでも、
面白そうだと思ったほうを選びたい気持ちは、
今も変わっていない。

何かに挑戦してみたい。

自分には何ができるのか。
どこまでできるのか。

こんな自分でもできることを、
これからも探し続けたい。

たぶん僕は、
頑固なんだと思う。

自分のことしか考えていないところもある。

あれだけのことがあったんだから、
もう少し懲りてもいいのにとも思う。

それでも、
どうしても変えられない。

というより、
変えたくないのかもしれない。

やってみたいと思うこと。

面白そうなほうへ行ってみること。

自分の可能性を、
自分で最初から諦めないこと。

それはずっと、
僕が自分の人生を歩いていくために
大切にしてきたものだったのかもしれない。

振り返れば、
うまくいかなかったこともある。

今回の空手のように、
途中で諦めるしかなかったこともある。

でも、

今まで自分で選んできたことに、
無駄なことなんて一つもなかったと思う。

空手を始めたことも、
辞めることになったことも。

その一つひとつが、
今の自分につながっている。

この身体じゃなかったらと、
今でも思うことはある。

でも不思議なことに、
今はこの身体でよかったと思う自分もいる。

あの頃は、
「なんでこんな身体なんだろう」
とあれだけ思っていたのに。

この身体だったからこそ、
選んできた道も、出会えた人も、
経験できたこともある。

だから今は、
この身体と一緒に、
自分の人生を生き切りたい。

今は、
そんなふうに思っている。

麗川れいかわアキ


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

高校生になってからも、
病気との付き合い方が急に分かるようになったわけではありませんでした。

失敗したり、迷ったりしながら、
少しずつ自分の身体との付き合い方を知っていったんだと思います。

このシリーズでは、
先天性心疾患「無脾症候群」と生きてきた32年間を、幼少期から少しずつ振り返っています。

これまでの記事はこちらにまとめています。

次回は、
この入院を終えて学校に戻ったあとのこと。

松葉杖で久しぶりに登校すると、
それまで一緒にいた友達との関係が変わっていました。

高校生編②では、
そんな高校生活の続きを書こうと思います。

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