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【幼少期編】怖かった。でも、ひとりじゃなかった|先天性心疾患と生きてきた僕の32年

人は、
自分の人生をどこまで自分のものとして生きられるんだろう。

何に幸せを感じて、
何を大切にして、
何を選んで、
何を諦めるんだろう。

誰かに決められた「幸せ」じゃなく、
自分が「これでいい」と思える人生を、
どこまで生きられるんだろう。

僕は、
指定難病である先天性心疾患
「無脾症候群」を抱えて、32年間生きてきた。

ありがたいことに、
病気が悪化したりせず、
日常生活にほとんど支障なく生きてこられた。

それでも、振り返れば色々なことがあった。

生まれてすぐに長くは生きられないかもと言われたこと。

二度の手術と、入院生活の日々。

病院で出会ったたくさんの友達。

もう会えなくなった友達。

みんなと同じようにできなかった学生時代。

強くなりたくて、空手を習ったこと。

「この病気でも、ここまでできる」と証明したくて、
自転車旅に挑戦したこと。

講演をしたこと。

妻と出会い、結婚したこと。

会社で働いたこと。

何度か仕事を辞めたこと。

この体でこの先どこまで生きられるだろうという、
漠然とした不安。

それでも、
やりたいことを諦めたくないという気持ち。

そんなものを抱えながら、
僕はここまで生きてきた。

この先、何が起こるかは僕にも分からない。

それでも、
生まれたばかりの頃には想像もできなかった場所まで、僕は来ることができた。

特別な人生ではないと思う。

それでも、僕が歩いてきた道のりを見て、
「こういう生き方もあるんだ」と思ってくれる人がいたら嬉しい。

そんな小さな願いを込めて、
ここに残していこうと思う。


13時間の向こう側

小さい頃の僕は、すごくわんぱくだった。

元気すぎるぐらい元気で、明るくて、いたずら好き。

そのうえ、目立ちたがりだった。

病院の看護師さんや先生たちにも、
いろんな意味で覚えられていた。

病気を抱えて、何度も入院していた子ども。

そう聞くと、
ずっとベッドの上で大人しくしているように思うかもしれない。

でも、実際の僕はそんな子どもじゃなかった。

病室で遊んで、いたずらして、怒られて。

寂しくなれば泣いて。

元気いっぱいの、普通の子どもだった。

そんな僕にも、今でも忘れられない出来事がある。

ある日、
看護師さんから可愛いイラストが描かれたものを見せられた。

そこには、いくつかの果物の絵が描いてあった。

「アキ君はどの果物が好き?」

そう聞かれて、僕は何も考えずに答えた。

「メロンが好き」

この何気ない一言を、後になって激しく後悔することになる。

果物のことを聞かれてから、何日か経ったあと、

ベッドに寝かされてどこかへ移動することになった。
どこへ向かっているのか分からない。

ただ家族も一緒についてきていた。

このときの僕は、
これから手術をすることなんて何も知らなかった。

少しすると、ドアの前で家族と別れて、
僕だけがドアの中に入っていった。

なんでみんな一緒にきてくれないの?

そう思った。

さっきまで一緒にいた家族がいない。

急に怖くなってきた。

何をするのかも分からない。

ただ、いつもと違う場所にいる。

気がつくと、広い部屋にいた。

天井には、ドラマでよく見るような丸い大きなライト。

周りには、たくさんの先生や看護師さん。

何をする部屋なんだろう。

そこが手術室だったと知ったのは、ずっと後になってからだった。

何も知らないまま、
酸素マスクやいろいろなものを付けられていく。

家族はいない。
周りには知らない人がたくさんいる。

どうしてここにいるんだろう。

そんな不安がどんどん大きくなっていった。

そのとき、

「今からメロンの味がするからね」

そう言われた。

酸素マスクから、匂いがしてきた。

マスクのゴムの匂い。

薬の混ざった匂い。

メロンのようで、メロンじゃない。

嫌だ。

そう思った瞬間、僕は泣き叫んで暴れた。

「お父さん、お母さん!!」

「嫌だ!外して!」

怖かった。
気持ちが悪かった。

とにかく外してほしかった。

先生や看護師さんに手足を押さえられながら、
少しずつ意識が遠くなっていった。

次に目を覚ましたとき、
僕の身体には、たくさんの管がつながっていた。

何が起きたのかなんて、もちろん分からない。

ただ、身体が思うように動かない。

目を開けても、いつもの病室とは違う。

両親が、
心配したような、安心したような顔で
僕の顔を見ていた。

「本当によく頑張ったね」

そう言って頭をなでてくれた。

何に対してなのかが分からなかったけど、
嬉しかったことを今でも覚えている。

あとになって聞いた話だけど、
その姿を見たとき、両親はなかなか直視できなかったらしい。

それぐらい、たくさんの管につながれていた。

手術にかかった時間は、約13時間だった。

当時の僕には、
その13時間がどれほど長かったのかなんて分からない。

手術室へ向かうまでのあいだ、
親はどんな気持ちだったんだろう。

怖がらないように、
必死にいつも通りを装って見送ってくれていたような気がする。

それから、僕が手術を受けている13時間。

親は、どんな気持ちで待っていたんだろう。

成功するかどうかも分からない手術だった。

それなのに、不安そうな顔を一切見せなかった。

家族も、親戚も。

きっと、
すごく怖くて、生きた心地がしなかったんじゃないかと思う。

それでも、僕を安心させようとしてくれていた。

その13時間を超えて、
僕は戻ってきた。

この勝負に勝った。

奇跡。

そう言ってしまえば、きっと簡単なのかもしれない。

でも、僕はあまり「奇跡」という言葉では片付けたくない。

だって、家族がいて、親戚がいて、先生がいて、看護師さんがいて。

たくさんの人が、一緒に戦ってくれていた。

こんなに色々な人が一緒に戦ってくれたのに、負けるはずがない。

今の僕は、そんなふうに思う。


病院では、僕も普通の子どもだった

入院生活は、辛いことも痛いこともたくさんあった。

それでも、不謹慎かもしれないけれど。

僕の中では、すごく楽しかった思い出の詰まった時間でもある。

病室は4人部屋だったから、色々な年齢の子がいた。

人見知りもあまりなかったから、
すぐに誰とでもしゃべることができた。

自分のベッドにいるときもあったけど、
元気すぎるから、
気がついたら友達のベッドに椅子を持って行ったり、
プレイルームに遊びに行ったり、
ほかの病室の友達に会いに行ったりしていた。

食堂に行って、
みんなで一緒にご飯を食べることもあった。

今思えば、
保育園の友達とも仲は良かった。

でも、保育園にいるときは、
自分だけ少し違うような気がすることもあった。

病院では、そんなことを考えなくてよかった。

自分と同じように病気を持っている子たちがいて、
「普通の子とは違うんだ」という思いを感じなくてよかったから。

僕にとっては、安心できる場所だったのかもしれない。

誰かが手術の傷跡の処置をしてもらうとき。

点滴を交換するとき。

検査をするとき。

部屋のみんなで、

「頑張れ」

「終わったら一緒にプレイルームで遊ぼうね」

と声をかけて励ました。

親がお見舞いに来られなくて寂しいときは、
その子のベッドの近くに椅子を持って行って、

ゲームをしたり、一緒におやつを食べたり。

ただ座ってそこにいたこともあった。

少しでも寂しくないように。

みんなが自然と、そんなふうに動いていた

親が来てくれる日には、
「今日は誰のお母さんが一番早いかな」なんて言って、
親のお見舞いが来る早さを競ったりもしていた。

今思えば、
みんな親に会いたかったんだと思う。

僕も同じだった。

親が来てくれると、やっぱり嬉しかった。

いっぱい話したり、
そばにいてもらったり。

一緒にいられる時間は限られていたから、
親が来てくれる時間が楽しみだった。

でも、面会の時間が終わると、
「またくるからね」って言って、
親は帰ってしまう。

それが嫌で、
毎回、ガラス扉の向こうにいる親に向かって、

「帰らないで!嫌だあ!」と

何度も、何度も同じ言葉を繰り返して、
泣き叫んでいた。

親の姿が見えなくなっても、
まだ泣いていた。

同じように泣いている子もいた。

そんなとき、看護師さんが
紙パックの牛乳やリンゴジュースをくれることがあった。

みんなで泣きながら飲んでいるうちに、
気がついたら、いつの間にか泣き止んでいた。

あのときのことは、今でも忘れられない。

寂しいときや辛いときには、
みんなが同じように声をかけて励ましてくれたし、
寂しいときは近くにいてくれた。

痛いことは、やっぱり嫌だった。

夜になると不安だった。

怖かった。

一生分泣いたんじゃないかと思うぐらい、泣いた気がする。

それでも、

「一緒に頑張ろう」って言ってくれる友達がいた。

みんな早く退院したくて頑張っていた。

それに、みんなともっと遊びたかった。

一緒に頑張って、元気に退院したかった。

辛いことばかりじゃなかった。

だから、自然と頑張ろうと思えた。

痛いことや辛いことに向き合うことも、
それを超えるぐらい楽しむことも、
みんなと過ごした入院生活も。

僕にとっては、
とても大事なことだったんだと思う。


あの時間に残っていたもの

今振り返ると、
あの入院生活で、たくさんのことを経験した。

痛いこともあった。
怖いこともあった。
寂しくて、どうしようもなくなることもあった。

でも、それだけじゃなかった。

友達と遊んだこと。

一緒にご飯を食べたこと。

誰かが辛いときに、みんなで励ましたこと。

自分が辛いときには、みんながそばにいてくれたこと。

あの時間の中で、
僕は少しずつ何かを覚えていったんだと思う。

人を想うこと。

ひとりじゃないこと。

頑張ること。

我慢すること。

辛いことがあるときは、泣いていいこと。

誰かに頼ってもいいこと。

頼られると、嬉しいと思うこと。

もちろん、あの頃は、
そんなことを考えていたわけじゃない。

ただ、毎日を過ごしていただけだった。

でも、そんな毎日の中で経験したことが、
この先の僕の土台になっていった気がする。

学生時代に経験したことも、
その先で挑戦したことも。

今思えば、
あの頃の僕が過ごした時間と、
どこかで繋がっていたのかもしれない。

ここから先、
学生時代にはまた違った悩みや出来事があった。

その頃の僕が何を感じ、
何を経験して、
何を選んできたのか。

それは、また次の話で。

▼ 「小学生編」はこちら

麗川れいかわアキ


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