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『愛する者に告げず【運び屋甲斐聡一】』⑦終 ハードボイルド×ネオ・ノワール

    7.「過去から来た荷物」

     

    私は今日何度目かになるだろう、ピックアップトラックを走らせていた。
    助手席には杏子を乗せていた。

    阿久津と藤田を乗せた車を、追う形で走っている。

    ヤクザの車の後を追いかける、ゴツいトラックというのも珍しい光景だ。

    しかも今日は、これでニ度目だ。

    一度目と違うのは車の台数が増えたことだ。

    さすがに幹部となると取り巻きも多くなる。

    阿久津達の車の前に3台。

    私の後ろにも監視のつもりだろう、2台付いている。

    料亭の廊下で大人しくしていた赤山も、この車両のうち何処かに乗っているのだろう。

    私の隣で小石のお嬢さんは、窓の外を見ていた。

    最初は小賢しかったお喋りが、今では全く無くなり、車内は私の最も望む静かな空間になっていた。

    信号待ちが作る、エンジン音とワイパーの駆動音、屋根に当たる小雨の微かな雨音が満ちた静かな空間。

    遂に杏子は、その静寂を破った。

    「沢木さん、私の復讐に貴方の仕事を巻き込んで悪かったわね。」窓の外を見ながら呟いていた。

    私はライターの着火音を返事にした。

    「アタシね。あの女、原由里子が母親だって知ってたの。前に、あの赤山ってヤツが来た時に教えてもらってた。

    アタシを捨てたんだって。

    アタシを捨てて、真っ暗い世界の利権を貪れる地位に上り詰めた。だからもう諦めろって。」

    「アタシとあの男を捨てて、自分だけ、私腹を肥やして、ブクブクに太らせているのを想像して我慢出来なかった。

    だから本当の母親は、原由里子が消した、殺したんだって思うようにしてた。」

    右折してきた車のヘッドライトで杏子の顔が一瞬照らされた。
    表情は確認出来ない。しかし、ここまで見せてきたものとは、違う眼をしてるように見えた。

    「でもね。あの男、父が……。お父さんが帰ってきたら、お母さんを……あの女の髪でも何でも引っ張って連れて、アタシを迎えに来てくれる。

    そしたら、いつか三人で暮らせると思ってた。」

    私は車の灰皿でタバコを軽く叩き、再びそれを咥えた。

    「いいの。知ってるわ。幻想だって。あり得ないって事は。

    でも、アタシは何処かで信じてたの。」

    杏子は雨粒が作った水の筋を見ていた。

    その眼は、あの昏さよりも、もっと無機質な黒い眼になっていた。

    信号が変わり車列は動き出した。

    「あの勝手に死んだ男がクソ野郎なら、アタシと男を捨てた女は本当最悪で最低なヤツだわ。」

    杏子の声は、車内に立ち込める煙を虚しく揺らした。

    車は原由里子の店、ポートタワーの足下にある高級クラブの前に止まった。

    「あら、阿久津さん。本当にご無沙汰しております。」店のVIPルームで阿久津を出迎えた原由里子は艶やかな笑顔で対応していた。

    「夕方には、赤山さんもいらしてたのよ。」

    「あぁ、私が来るように言っといたんだ。

    何か荷物が届いてないか聞いてこいとね。

    空振りだったようだが」阿久津は私と話していた時よりか、幾分和やかに答えた気がした。

    由里子と赤山の間にあった、昔なじみの空気と同じように感じた。

    「荷物、ですか。

    そういえば赤山さん達のすぐに後に、運び屋さんが一度お見えになりました。

    また来るとおっしゃってました。」

    ふふと阿久津は笑い「その運び屋を連れてきたのさ」と言った。

    阿久津が座り、すぐ横に原由里子が腰掛けている、VIPルーム特有のコの字型のソファの前に私は立った。


     ソファの後ろに赤山が、私と対峙した時とは打って変わって、無表情で立っていた

    「夕刻はどうも」私は原由里子に会釈をした。

    「ようこそ、運び屋さん。
    阿久津さんの紹介でしたら拒む理由もございませんわ。」
    夕刻に見せた昏い眼でも、切ない目でもない、高級クラブのオーナー、夜の女の仮面だった。

    「そちらの方は?」由里子の眼は私の後ろで昏い眼で立っている杏子を捉えた。

    杏子が私の一歩前に出た。

    私はいつでも動ける様、身体の重心をずらした。

    阿久津がニヤリと顔を歪めている。

    杏子は由里子を鋭く刺すような、怒りと憎悪が静かに燃える昏い眼で見つめ続けていた。

    由里子は、その視線の意味を理解していないのか、相手が誰だか気が付かないのか、無表情に近い顔で杏子の視線に答えていた。

    「さぁ。運び屋、とりあえず本題からだ」
    阿久津が催促してくるが、私はタバコを取り出すと、咥え火をつけた。

    一度、深く煙を吸い込むと、阿久津の前にある大きな灰皿に、タバコを押し付け消した。

    改めて。由里子に向き直り彼女に聞こえるくらいの声で言った。
    「原由里子で、間違いないな。荷物を届けに来た。」

    私は懐から、くたびれた包装の小包みと飾り気のない封筒を豪華なだけの黒いテーブルに置いた。


    阿久津が喉を鳴らした。


    由里子の眼が光を取り戻し、微かに揺らいだ。


    阿久津が、何か言おうとするのを私は視線で黙らせる。

    杏子は今私の背中側にいる。
    顔は分からないが、静かに“荷物”を、見ているのはわかる。


    由里子は、ゆっくりと包みを解いた。

    黒い小箱が姿を現す。

    その箱を開き、中から出てきたのは指輪だった。

    黒ずんではいるが銀製のシンプルな作りものだった。


    「指輪…だと?」阿久津はそこで言葉を失った。


    由里子は揺らいだ瞳のまま無反応に、或いはどうしたらいいのか解らないと、いったように見ていた。


    「そうだ、封筒は?封筒の中身は何だ?」阿久津は、狂ったように喋りだした。


    由里子はその半狂乱をよそに、丁寧に中身を出す。


    それは、写真だった。

    いつ印刷したのか解らないような、元が殆ど解らないほど退色し、縁はボロボロになった写真。

    微かに女性が、何かを。
    ……いや、赤ん坊を抱えている様子が判る。


    「何だと。こんな物の、為に我々はあんな大騒ぎをしたのか……。」


    阿久津は由里子から“荷物”奪うように手にすると、指輪の入っていた箱を隅々まで見たり、封筒、写真を透かしたりしたが、何も細工がないことが判ると、そのつり目と、口を大きく開き呆然としていた。

    そして阿久津はその脱力した身体をソファに沈み込ませた。

    赤山は諦めた顔で、しかし、少しだけ安心したような眼をしていた。

    由里子は俯き気味に荷物を見つめ動かない。
    表情も定かではない。

    突然、阿久津が嗤い出した。

    「こいつは、傑作だ。

    あの男、言った通りに、本当に全て持って逝ったのか。

    若頭の野望も、私たちの欲望も。」

    深く座った姿勢のまま嗤い続ける。

    「由里子さん、災難だな。
    くだらない義理と威信の為に捨てられ、貴女は忘れたはずの、惨めな男に最期の最後まで粘着されていたのか。
    多賀島組は消えても、私たちを縛り続けているようだな。」

    私の後の杏子が殺気立っている。

    「そうですね。寂しい人でしたね。」由里子が冷たい目線で指輪を手に取ると、つまらなそうに指先で弄んだ。

    一拍の間の後、杏子は勢いに任せて由里子の、その着物の襟元を掴みかかる。

    私は、その様子を制止するでもなく、その行動を見守った。

    「お前がっ……。お前が……、あなたが……。」杏子は由里子の顔を、その眼を睨んでいるのだろう。

    襟元を身体を大きく揺さぶる。

    そして右手を大きく振りかぶり、今にも殴ろうとした姿勢のまま、固まる。

    由里子は揺さぶられた姿で、しばらく表情なく杏子を見ていた。

    杏子を見るその眼は、憐れんでいるような、睨んでいるような、悲しんでいるような。

    そして、ほんの一瞬柔らかいような。


    しかし、すべてを諦めたように色が消え去り、やがて無気力が淀んだような。

    そんな、真っ黒なガラス玉の様な眼になっていた。

    杏子はその由里子の顔の、表情の変化を見ながら後退りをした。

    杏子は振り上げた腕を力なくだらりと下げ、由里子を見る目は昏い色を失い、光も失いただ絶望の色を浮かべやがて諦めたように呟いた。

    「なんでよ。なんでそんな眼をしてるのよ……。もっと蔑みなさいよ。もっと、傲慢に笑いなさいよ……」

    涙も出ない、杏子はそう言う顔だった。

    「沢木さん。アタシはここでリタイアだわ。

    この女、あたしが復讐したかった女じゃない。

    あんな、腐ることもできない、死にかけの目は。

    アタシの相手じゃない。アタシはあんな物の為に、ここまで駆けて来たんじゃないわ。

    アタシが人生を掛けて殺したい相手じゃない。こんな……。こんな……。」

    その声の最後は殆ど聞き取ることは出来なかった。

    由里子が静かに、口を開いた「どなたかと、人違いかしら?ここは貴女のような、お嬢さんが来るところじゃないのよ」その眼は冷たく昏かった。

    ただ、由里子が杏子に襟首を、つかまれた一瞬その手が由里子のポケットに伸びた気がしたが。

    私にはどうでもよかった。

    「沢木さん、世話になったわね」それだけ言うと杏子は振り返り、VIPルームを出ようとした。

    私は、それを背中で見ていた。

    杏子が部屋の扉に近づくと、門番代わりの男が前に立ちはだかる気配がした。

    私は片手を上げ、阿久津に視線を合わせ「辞めろ」と一言いった。

    「なんだ、タイヤ。
    私はこの娘自体に興味はもうないが、こちらの由里子さんの命を狙うと物騒な発言をしていたんだ。伍刻会幹部としては野放しには出来ないな。」

    「ヤクザのダンナ、さっきも言いましたし、今もお聞きになったと思うが、この跳ねっ返りはこちらの姐さんを何かの仇と勘違いしたカタギの小娘だ。
    まさか、伍刻会の看板を背負ったダンナたちが、堅気のそれもこんな小娘に手を出して看板に泥を塗る気ですか?」

    「なんだと」懐からスマホを取り出そうとしたまま阿久津は固まる。

    「もちろん中のヤツだけじゃない外で待ってる連中にもあの小娘が街を出ていくまで、指一本触れらせちゃいけない。伍刻会のメンツが丸潰れですよ。」

    長い沈黙の後、「ちっ」阿久津は舌打ちをすると「おい、今からアマが1人出ていくが、紛れ込んだカタギだ手を出すな」と電話をした。

    杏子は行く手を阻んだ男に「どいて」とだけいうと扉を出て行った。

    由里子は無表情のまま、その杏子の姿を目だけで追い、出て行った扉を見ていた。

    そして完全に気配がなくなると、瞼を深く閉じ。
    再び目を開けた時にはガラス玉ではなく照明の光を吸い込むような昏い眼で、私にまっすぐに向いた。


    「さぁ、お仕事はココまでにして、阿久津さん折角お久しぶりに、いらしたんです、楽しんで行って下さい。」

    そう言うと、女性スタッフを呼び、阿久津と赤山や部下たち伍刻会の人間を別のVIPルームへ案内させた。

    「運び屋さんも、いかがです?」

    私は首を横に振った。

    由里子は少しの間、無言だったが。やがてポツリと話しだした。

    「あの子を、あのまま育てて、極道の妻や、ヤクザの慰み者にするくらいなら、私が堕ちた方が合理的だったのよ。
    あの子が、明るい場所で勝手に生きて、勝手に死んでくれるように。」その目は“空になった”指輪の箱をみていた。

    「運び屋さん、経緯は解らないけど一目実際にあの……カモシカさんを見れただけで……。……何でもないわ。」

    由里子は押し黙った。

    あの自殺した男は、“この事”に気づいていたのだろう。
    「会う資格がない」そう言っていた。

    そして、あの男の部下だった男、赤山も由里子の意図を理解し、杏子の元を訪れ、諦めるよう伝えた。

    「姐さんの覚悟も、伍刻会のダンナの思惑も、あのお嬢さんの復讐も、私の仕事には関わりのないことだ。」私は、ただそう言って由里子に背を向け部屋を出ようとした。

    「貴方は?」由里子が私の背に声をかけてきた。

    「貴方は。あの人の友人なのかしら」

    夕刻、この店の前で投げかけられたのと同じ問いかけ。

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    私は店を出た。
    私のピックアップトラックの荷台からバイクは無くなっていた。
    掛けてあったシートが無言で雨粒に打たれていた。
    私はその運転席に乗り込むとエンジンを掛け、静かに走り出した。

    車内はエンジン音、ワイパーの音。屋根を静かにたたく雨音が響く、美しく調和のとれた空間だった。

    杏子は現れた時と同じように、跡形もなく消えた。
    あのカモシカはこの先も、ダートを駆け抜けて行くのだろう。

    私は車通りの少ない大通りを自分の骨董品屋へ向かって走っている。

    『貴方は。あの人の友人なのかしら』受取人原由里子の言葉を思い出す。
    あの時、私は返事をしなかった。ただ、微かに顎を引き頷いたのだ。

    由里子は「あの人によく似て、寡黙な方ね」と言いながら微笑んだ。その微笑みは昏い眼でも、ガラス玉でもなく、優しく喜びを含んだ眼だった。

    そして、瞼を深く閉じ再び開いた時には、夜の女王の、仮面を被り直していた。

    愛する者を守るため、被り続ける仮面、この先もう二度と外されることが無いかもしれない、その表情で、私を送り出した。

    「友人か……。」私は誰に言うでもなく、自ら静寂を破壊し、呟いた。

    らしくないな。

    奢られ慣れない、あの酒にアテられた……それだけだろう。

    私はアクセルを更に深く踏み込み、車を加速させた。
    ポートタワーは雨に噎ぶ空に、溶けていた。

    7.「過去から来た荷物」終

    『愛する者に告げず』完


    第六話「昔気質の男」

    第一話「過去から来た男」

     
     
    カントー地方の真ん中辺に巣食う駄文製造機 薬にも毒にもならないモノを創造します。 創造は思いつきと勢いのヒト 勢いが止まると創造が止まるヒトでもある

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