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人の顔を覚えるのが苦手 #131

    私は、人の顔を覚えることが苦手だ。

    この間、
    たまたま休みの日に、娘の先生に会って
    声をかけていただいたのに、
    名乗られるまで、誰だかわからなかった。

    週に何回も会って、
    話をしている先生なのに。

    失礼なことをしてしまったと、
    その日は落ち込んだ。

    逆に、かかりつけの病院の待合室で、
    学生時代の先生がいることに、気づいた。

    顔はほとんど見えなかったのに。

    自信はあったけれど、
    見間違いかな?と思って、
    声をかけようか迷っていたら、

    名前を呼ばれていて、本人だった。

    そう。

    私は、顔以外で人を識別しているらしい。


    娘の先生は、
    あちらも子どもと公園に来ていて、
    遊具から顔だけが見えた状態だった。

    休みの日だったからか、
    雰囲気もいつもと違って、
    目の前で声をかけられたのに、
    名乗られるまで、10秒近く誰だかわからなかった。

    逆に、
    学生時代の先生は、病院の待合室で、
    ちょうど顔が影になるような場所にいて、
    顔以外の全身が見えた。

    背格好や服装が、
    特徴的だったわけでもない。

    でも、座り方や仕草が、
    紛れもなく、先生だった。

    そのあと少し角度がずれて、
    顔も見えたけれど、
    顔を見ても、確信は持てなかった。

    確信が持てたのは、

    メガネをずらして、
    紙を覗き込む仕草を見た時だった。


    このお二人だけじゃなく、
    私はこんなことが、よく起きる。

    顔は思い出せないのに、好きだったものや、
    癖、誕生日なんかは、しっかり覚えていたりする。

    少し前、駅で友達と待ち合わせていた時も、
    遠目で顔を見ても、わからなかったけれど、
    歩き方を見て、確信が持てた。

    だから私は、顔じゃなく、
    その人“らしさ”で、覚えているのかもしれない。

    歩き方。

    話すテンポ。

    仕草。

    声。

    なんとなく漂う空気。

    顔は曖昧なのに、
    そういうものは、不思議と覚えている。

    絶対に顔が覚えられないというわけではないけれど、苦手な自覚はある。

    こんな自分を通して、その人らしさって、
    意外と顔以外にも、出るものなのかな、
    なんて感じている。

    そして、
    こんな“変わっている”と言われそうなことを書いたのには、理由がある。

    世の中には、自分のような人や、
    自分とは違えど、

    “変わっている”と思う部分を持っている人も、いるんじゃないかと思ったからだ。

    人はみな、
    人とは違う部分を持って、生きている。


    私にとっては、それが、
    “顔以外で覚える”だった。

    だからもし
    「自分ってちょっと変わってるかも」
    と思う部分があれば、

    ぜひコメントで教えていただけたら、
    嬉しいです。


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    敏感な心で生きる、INFJの28歳、専業主婦。 8歳と5歳の娘の母です。 日々の小さな心の揺れや、 その奥にある気持ちを言葉にしています。 慌ただしい毎日の中で、ふと深呼吸できて、 少しだけ自分を取り戻せる場所になりますように。

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