昨日見た地獄《6》
第1話→https://note.com/ra_wa/n/n25700f8a7754
第5話→https://note.com/ra_wa/n/n772264e4d6ad
◆◆◆
「ありがとう。辛いことをさせて、ごめんね」
あの日、おれの絵を見て、宮村紗那江さんは悲しそうに呟いた。
ハリネズミのようになった猫の死骸が、とてつもなく悪趣味な臭いを発していた。
おれはその現場を見ていたのに、止められずに逃げ出した。
もしかしたら、全然関係のない通り魔なのかとも思ったけれど。
おれが描いたその犯人の背格好に、紗那江さんは心当たりがあるようだった。
紗那江さんは、誰にでも優しい人だった。
その態度が、誰かからは裏切りに感じられたのかもしれない。
「んー。こりゃ、しばらく現場はムリそうかな。家族がやられるってのは、思ったよりもキツい。事務転とか挑戦してみるかぁ」
「紗那江さん」
「あ、ごめんごめん。千尋くんはもう帰りな。絵、上手いね。イラストレーターとか、目指してみたら?」
「……なんでさ。なんで、そんなに他人事なのさ」
「あはは。誰かに優しくしてないと、壊れちゃいそうなんだ」
おれは、ちゃんと覚えてしまう。
痛いところ。悲しいところ。苦しいところ。
全ての地獄を、見てきたように覚えてしまう。
「死んじゃダメ」
おれは、なぜかそう言わなきゃいけない気がした。
「家族の分まで、生きなきゃ。ドラマでも、そう言ってたよ」
ペチン、と頭をはたかれた。
「生意気なこというなっての。子どもは帰って宿題でもしとけ」
その時の紗那江さんの涙を見てから。
おれは、優しい女性が怖くなった。
◆◆◆
「……そうですか。室長は、昔から気遣いの方だったのですね」
蔵野さんは、眉一つ動かさずにそう言った。
この機械のような男に、なぜこんな話をしようと思ったのかわからない。
やけに気に入られているようだが、おれは何か彼の琴線に触れるようなことをしただろうか。
蔵野さんの固い表情は、おれになんの感慨も抱かせない。そこがかえって、安心させてくれる。
「一つ、いや二つですかね。気になっていることがあります。質問したいことも、それとは別に二つ」
「は、はい」
「では、質問の1。室長とは元々、なんの知り合いだったのでしょう。カウンセリングでも受けていたのですか?」
「はい。紗那江さんは、うちの親の担当医でした」
「ふむ。では、気になっていることの1。あなたは、なぜその絵をわざわざ室長に見せたのですか?」
「……頼まれた、ので」
「そうですか。なら、気になっていることの2は答え合わせのようなものですが……なぜ、あなたはその現場をあえて正確に描いたのですか?」
「え?」
「仮に、あなたが鮮明に覚えていたとして。絵に、そのとおり出力する必要はなかったはずです。よほど正義感が強かったか、愚直だったか。前者ならそもそも猫を助けたはずです。後者だったとして、あなたが室長の気持ちを考えられないほど愚かだとは思えません」
「……」
「考察できる可能性は二つ。ひとつは、あなたが今仕事でしているように、誰かに地獄を押し付けて楽になろうとした。もう一つは、本当の犯人を偽って描いた」
「やめて、くださいよ」
この男は、なんなんだ。
「私は警察ではありません。あなたを糾弾するつもりはない。ただ、あなたが繊細で正直者の少年だったのか、他人に罪を擦り付ける狡猾な子どもだったかを確認したいだけです」
おれは、あの時。
紗那江さんがいなくなれば、親がもっと遊んでくれると思った。
だから、猫をいたずらで逃がした。
ただ、少しの間隠してビックリさせようと思っただけだ。
あんなことになるなんて、思わなかった。
「時効です。ええ、そういうことにしておきましょう。この話は、誰も幸せにならない」
「なら、変なことを聞かないでくださいよ」
「一人で抱えているよりも共有した方が楽になる。あなたは確かにそう言っていました」
「……」
「痛みを共有する行為に、どこまでの意味があるのかはわかりません。しかし、せっかくの呪いを譲り渡す機会に、ごまかしを挟む必要もない」
この男には、悪意がない。
ただ正しいと思うことをつぶやく、頭でっかちの子どもみたいな残酷さ。
それが大人の低い温度で、おれの頭に沁みていく。
「蔵野さん。質問の二つ目を、教えてください」
「そうですね。これは質問というより、お願いなのですが」
ふう、と機械のように男はため息をつく。
「実は本日、私のミスで室長にご迷惑をお掛けしてしまいました。謝罪と感謝の意を伝えたいと思っております。しかし、私は贈り物というのを選んだことがない。いつも机に写真立てを置いている猫のモチーフにしようと思ったのですが、危なかった」
「……」
「罪滅ぼしだと思って。優しい我が上司に差し入れる、美味しいお菓子を共に選んでくれませんか」
