メインコンテンツへスキップ

お前たちへ あン時のワンへ06

    前回

    1992秋

    いよいよ明日は転勤…

    苦悩逡巡の末、たまらず転勤先の支店に勤務している同期 マエチンくんに電話をかけ
    「実は中国関連の仕事に転職しようとかと迷ってるんだ・・」
    と 打ち明けた。
    そしたら———
    転勤当日の朝には支店全員に知れ渡ってゐた
    ( ̄▽ ̄)アハハ

    出勤したら即、次長に呼び出され
    開口一番
    「卑怯者!」
    と 一喝された
    次長のこめかみに青筋が立ち、拳が震えてゐたよ
    ヤな奴だったヨな~(遠い目)

    まぁ・・・
    いま振返れば、あれが良かったのかもしれぬ。
    瞬時の脊髄反応?
    奥の底に眠ってゐた強烈な反骨心が芽生え、ジンカンバンジィJUMPに踏み切れたんだものね~

    それが苦しい一か月半の始まりだった

    バブル期の金融業界ってのは「24時間働けますか」(知らないだろうけど某ドリンク剤の広告フレーズ)を地で行く根性主義が普通だった。

    朝七時半から営業会議があり「今日は なんぼやるんや?」と詰め寄られた。「訪問50件・個人定期預金300万円・貸付金の取立3件」などコミットメントの目安が決まっており、その目安を下回れば「自分(あ、関西での”自分”ってのは二人称ね)やる気ないんかィ!」と怒鳴られ、多めに謂えば「嘘つき!」と罵られた。ホホホ
    まぁ今になって振返れば「お約束のコント」やったんやけどね

    そもそもだよ、一日は24時間しかないし、50件の訪問なんて移動時間考えたら絶対不可能なんやから^^;

    まぁ大変だった。これが びびんば銀行時代の後半のピークやね。ちょっと頭もオカシクなってた。告白懺悔すればあの時ァ自分のことばかりに精一杯でサイコパス化してたね

    積立預金をしてもらう代償に聖●新聞をとりますと嘘をついたり、生活費を圧迫するだろーなと判っていながら人の好さそうなお年寄りに売り込んで自動積立預金を設定したり、(おそらくバブル崩壊の収入減で)住宅ローンが返済できなくなったた人の預金を引き出せないように凍結したり・・・

    日が暮れても支店に戻れば
    「数字はどうなっとんや~!」
    と 怒鳴られるので帰りたくなくて、公園の隅にスーパーカブを停めて街の燈をぼーっと眺めたりしてたナ

    同室のタケシくんは数度の再起⇔落ち込みを経て、ワンより先に会社を去った(「家業のコンビニを継ぐよ」と謂ってたけど、いま元気でいるのかなァ・・・)
    営業成績はすごかったんだ(あの庶民の街で個人定期性預金2億純増)。頑張り過ぎだろーなぁ。当時は「鬱」という概念?知識?もなかったんだよね~

    そしてワンもまた同じように未熟だったから、思考の幅も狭く硬直的に日々の仕事をこなした。まぁ短期間やったから意地を張ったまま頑張り通せたんやろね。なにか(しらんけど)表面的には矜持を保ったまま退職の日を迎えた

    形式的儀礼だったのかもしれないし、仲間と認めてくれたのかもしれないし、分からないけど支店で送別会を開いてくれた
    支店長が「お前はどこへ行ってもやっていけるデ」と言ってくれたことを覚えている。ありがたいことだよ。その場の外交辞令だろうけどさ、意外とそういう一言って永遠に記憶に残るもんね

    まぁそういうことがあったので、どうせ垂れ流すのなら、人を損なう言葉は極力避けて、勇気づけの言葉を吐こうと心掛けるようになったかナ
    ( ̄▽ ̄)

    濃密な びびんば銀での経験を通じて、トラウマ的後遺症も残ったけれど、多くの無形の学びを得ることが出来たと思っている

    退職手続きが完了した晩、気が抜けたのか高熱を発して寝込んでしまった。寮の管理人が「早く出てけ!早く出てけ!」と呪文のように督促するのでふらふらしながらA市方面へ引っ越した(あん時は憤慨したけど いま考えれば管理人さんの立場や危惧も分るよ)
    300万円という貯金目標は結局未達。
    どうにでもなれ~って開き直りモードだったね
    まぁ何だかんだで出逢った人や時期に恵まれていたと思うよ

    1992冬

    そうそう・・阪神タイガース。結局 最終戦でヤクルトに負け2位に終わった(阪神らしいね)
    そうそう・・社徽社章。紛失したんで び銀辞職時に始末書&賠償金の処分を受けたなぁ。のちに超電磁工業に入った時はこの腹立たしい教訓を思い出し未開封のまま大切に保管したよ

    まぁ、そんなこんなで。いま振り返れば(せっかく仕事を辞めたんやから)そんなに焦って再就職することもなかったかもしれんけどね。何かすぐに働かなアカンような焦燥感があったんやろなぁ・・・月給25万円(手取約20万円=びびんば銀行の時と同じ)で八丈きょん建設に入社した

    そうそう…Fきよ
    此奴は同期のヨーコさんと結婚(婿養子いり)し、加賀の老舗旅館のオヤジにおさまった
    胡沙莉さんも同期のヒロシさんと結婚し実家のGSを切り盛りしている(と思う)

    ワンにとって苦しかった びびんば銀行時代も、ある人たちにとっては かけがえのない青春の季節だったのだ
    ん〜こうやって懐かしく?思い返せるってことは、或いはワンにとっても大切な時期だつたのか❓自分の意味づけ次第で 過去の記憶も違った物語に変わるってか

    A市では、古い木造アパートで暮らした(当時ですら相当老朽化してたから、95年の阪神淡路大震災で倒壊したかもしれぬ)

    1993春

    八丈きょん建設ってのは、ゼネコンから仕事を請け、それをいくつかの個人建築大工&解体業者に外注していた。兵庫県に本社と資材倉庫があった。
    なんだろーね。得難い体験だったと思う。
    朝鮮籍や、所謂 被差別部落の同僚もいて。はじめて直に接し、自分なりに社会や歴史を考えさせられた。

    墮落❓
    び銀退職時のテンションを維持しようとしたけど、一人暮らしの安逸さと激務から解放されたことで、やっぱ気が抜けたね

    仕事って日常生活の一部であって、特別な修行でもないし練習でもないし何かの準備でもないんだよな。だから、ごく自然に集中して続けられるものでないと息切れしちゃうよね
    当時はその辺も分かってなかった(今も分からないけど少なくとも「無知の自覚」はあるかな)

    中国石材の輸入販売事業の立ち上げ。それなりにあちこち売込んだけど前途多難。。てか上手く行きそうもなかった

    しょうがないので経理のアシスタント&雑務をしてたよ。それでも手取20万円貰えるから「一生このままでもいっか〜」って気にもなってたね

    でも、胸の奥に刺さった一抹の不安は拭えなかったので、公民館でやってる「中文学習班」に通ったりしてた。生徒はほとんど年配の方で趣味の初歩中国語だったから、そのつもりは無いけどワンは(発音するだけで)浮いたね

    そこで陳平先生や、甲本ヒロトと一字違いの甲本ヒロシに出逢った

    つづく(のか?)

    第一話から読む

    あなたへのおすすめ