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第61話 「洞穴物語」

    夏休みの或る日、三人の馬鹿餓鬼が山の頂にある広場にいた。みつを君、しんた君、そして私である。しんた君は本当は新宅君というのだけれど、くを二回続けて言うのが面倒臭いので縮めてしんた君である。彼の親父さんは投資信託会社に勤めているという。
    「おう、しんたくんちのお父さん、何しとるんや」
    「え、ひるねしとるで」
    「あはは。なにゆうとるんじゃ。会社どこや」
    「うん。よう分からんけど、しんたく会社じゃ」
    「なんじゃあ。おまえんち会社やっとるんか」
    「え、ちがうって。しんたく会社ゆう会社じゃあ」
    「なんかようわからんけど、かっちょええのお。儂も社員にしてくれんかのう。はるちゃも一緒に社員になろうで」
    「おう」
     と、可成り勘違いな会話を交わし乍ら、我らは洞窟を目指して歩いて行く。

    山の頂には大きな岩が幾つもあり、そこから瀬戸内の海が見渡せる。呉の山々にはその樣な岩場や洞窟が幾つもあって、旧日本軍兵士の隠れ家だとか、夏の夜には死んだ歩兵の亡霊が出て来て徘句を詠むだとか、洞穴の奥には小野田さんや横井さんの仲間が未だに隠れていて中に入ると殺されるだとか、焼け焦げた初心者マークやら傘の骨やらが無造作に転がっていて人が焼かれただとか、肝試しに中に入ってみると男女が巫山戯ていて喫驚したり、急に便意を催した人が駆け込んでみたり、その所為かどうかは暗くてよく分からないのだが白い紙が散見されたりと、色々な事実や憶測が飛び交っていたのであるが、今日もまた我らの眼前には一つの未踏なる洞穴があった。

    洞窟といえば探検隊。隊長は勿論、我らがみつを君である。洞穴は危険地帯である。蝮(マムシ)が這っていたり、山犬の棲み家だったり、お巫山戯中のヤンキィなお兄さんが潜んでいるかも知れないし、とりわけ茶色く汚れた白い紙がある時は非情に危険である。そういった危険に備えて銀玉鉄砲やら爆竹やらの小火器類を備えておくのは勿論のこと、日頃から新兵器の開発にも余念がない。下らない物を作らせたがる事に懸けては天下無双の才覚を発揮する隊長の、今回の発案は「毒針仕込みの吹き矢」である。毒といっても所詮子供のやる事、もの凄く臭い猫のウンチを学校から盗んできたビーカーに採取して、針の先端に塗付するだけである。だが、仕組みは至極簡単な反面、毒針の装填には甚だ慎重な取扱いが要求されるのも亦、事実。手元が狂ったり誰かが駄洒落で笑わせようものなら、とっても危ないのである。他人が装填した物など信用できぬ上、そもそも口に持って行くのは物凄く憚りがあるし、臭いので鼻を摘んで操作せねばならぬという間抜けな仕草に抱腹絶倒する余り、全く使い物にならないので結局捨てる始末である。一体何だったのだ。

    さて、洞穴前の岩場で作戦会議である。火器類を脚下に置き、各自徐に探偵手帳を取り出した。探偵手帳は探偵セットの中でも重要なアイテムである。洞窟探検になぜ探偵セットなのか理解に苦しむところだが、江戸川乱歩の少年探偵シリーズとかドリフの探偵寸劇とかが人気だったので、皆、探偵に憧れていたのは確かである。私は母に頼んでクリスマスのプレゼントに買って貰ったのを覚えている。

    探偵手帳の担う重要な役目は言わずと知れた仲間の確認である。ひょっとしたら目の前の仲間は悪漢が変装している可能性もある。そこで、予め記しておいた合い言葉とコードネームを活用する。「おまえ、ほんとにしんたくんかあ」「な、なにを馬鹿な」「じゃあ言ってみろ。山…」「川」「加藤…」「茶」「頭…」「禿げ」「コードネームは…」「ミラーマン」「どうやら本物みたいじゃのう。じゃ次、はるちゃ」「なにぃ、儂まで疑うんか」「うん。はるちゃが一番怪しい。山…」「川」「ぶー」「え、どうして」「人が一回使ったら二番目の奴を言うんじゃろ」「あ、そうじゃった。えっと、海」「はくしょん…」「大魔王」「歯が臭い…」「剥製」「コードネームは…」「猿の剥製」どうやら皆本物であるらしい。当たり前である。

    斥候に抜かりはない。「いくぞ。はるちゃ、しんたくん」と、みつを君の合図に三人は目を合わせる。だがその瞬間、炎天下の中でゴロゴロっと雷鳴がしたので、我らは慌てて目の前の穴へと避難した。耳を澄ます。まだ雨音はしない。だが、洞穴の冷えた空気の刺激によって攣縮作用が起こり、私は「へえっーくしょん」と嚔をし、その拍子に洟が垂れてしまった。二人は丸で加藤茶んの「へえっーくしょん」の芸を見たかの樣に腹を抱えてゲラゲラと笑うのであった。

    気をとり直してもう一度行く。「斥候隊の情報では入口から五メートル左手奥に、怪しい白い紙が二三枚散見されるとの事であります」と、しんたくん。斥候隊って、先週も近くで遊んでいた自分達の事である。五メートルも進むと暗くなるが、標的は汚れているとはいえ光を反射する白い物体なので視認は容易である。白い紙は銀玉鉄砲で攻撃して異臭がしないか安全を確かめてから、奥へと進入せねばならない。これが水鉄砲だとエキスが流出して非情にいけない。撤退時には周りに転がっている茶色い塊諸共、爆竹で木っ端微塵に粉砕するのはお決まりである。

    だが予想に反して、二メートル位入った所に、くしゃくしゃに丸められた新鮮な白い紙が見受けられるではないか。「気をつけろ」みつを君が声を上げる。「ここは儂に任せろ。皆、後ろに下がれ」おお流石、隊長自ら危険処理に当たるとは遖(天晴れ)である。しんたくんが懐中電燈を照射して補助する中、隊長は慎重に紙を摘出した。して、よくよく見ると何と喫驚する事にテストの答案用紙である。もっと奥の方を調べてみると、くしゃくしゃになった答案が幾つも転がっている。い、一体誰がこんな所に態々答案を捨てに来るというのであろうか。三人は不思議がる。更に吃驚する事に、紙を開けば何とみつを君の名前が記されておるではないか。「あっ」と、言ったかと思うと直ぐ樣「これ儂んじゃあ〜」と、彼は素頓狂な声を上げるのであった。今頃気付くなって。

    「場所を間違えた。向こうの穴じゃったあ。よし、気をとり直して出陣」
    「いや、それはちょっと」
    「え、何でや。あ、はるちゃもテスト捨てよるんか」
    「そ、そうじゃないけど、さっきガサガサ音がしよったけえ。山犬がおるかも知れん」
    「よし、じゃあ石を投げて総攻撃をかけよう」

    という訳で、えい、やあ、とう、と気合いを込めて三位一体の投石攻撃を仕掛けてみたところ全く反応が無い。訝しがって、これでもかという位に三人で放り込んだら、今度は中から「こらあー」という声がしたので、我らは一目散に広場まで逃げ帰る。◯◯建設と書かれたトラックが広場に停めてある事に今更ながら気が付いても後の祭なのであり、我らは全速力で自転車を漕いで山を下るのであった。

    突入を躊躇った向こうの穴は、三日前に私が算盤塾の帰りに便意を処理した場所であった。この事実は未だ誰も知らない。

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    142話までは「パブロフの屁」(ぱりぱり噛めん:Parikame) のテキスト復刻版です。見出し形式「第○○話」がテキスト本編、「no.○○」が対応するダイジェスト図解版です。ご贔屓いただけると新作公開の励みになりますのでよろしくお願いいたします。え?頑張らなくていい……ですか

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