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第90話 「ソウル探訪・上」

    いつもはのんびりと過ごす正月も、今年は大切な客を迎えてちょいと忙しい事になった。日本からビジネス・パートナー(以下相棒)が遊びにやって来るというのでソウルで迎撃することになったのである。暦が違うとはいえ、流石に1月1日は公休日。待ち合わせは明洞(ミョンドン・Myongdong)の某ホテルだというので、電車で一時間半を費やして昼に到着する。ミョンドンは私も初めてだったので、昼飯を一緒に食べて、暫く街を練り歩くことにした。

    ぞろぞろ歩いていると日本語があるわあるわの流石、観光地。おまけにチューブの歌まで流れてんじゃんチゲだし、飯店で注文すれば「おいおいなんか日本語が通じちゃってるよ」状態だしで、とっても素晴らしい。水原の田舎から都会に出てきて狂喜している馬鹿丸出し状態とはこのことよ。というか一年半もソウル近郊にいて何で今迄ここに来なかったんだよ、である。

    感動のあまり私は急遽一泊することにし、某ホテルに空き部屋を求め幸いにも空きがあったのですぐさまチェックインを決め、13万ウォンを払い込む。この立地条件なら気分もリッチ、納得である。これなら何度でも泊まりにきちゃうよ、ってそんなに金はないのである。ボーイに部屋へ案内され、一通り設備の説明を受けると早速、
    「夜、私の彼女います。電話して下さい」
    「へ?」

    おいおい自分の彼女を客に差し出すのかよ、と一瞬思ったが、それは満足でない日本語のこと。英語宜しく単なる人称代名詞として彼女と称しているのであろうと察し、「はいはいわかりました」と適当にその場を遣り過ごす。然しソウルのど真中のビジネス観光ホテルで、そんな怪しげな事を公然とやっていいのかおいおいホテル公認か、雲か幻か必殺幻影破裏拳を喰らった気分である。

    部屋に案内されたものの全く手ぶらの私は、直ぐに部屋を出て再び相棒と街へ繰り出して行った。相棒の連れの希望で我々は足裏診断を受けることにした。いや、足裏マッサージ。美人揃いでちょっと別な所と勘違いしそうである。ホテルのボーイの言動にも面喰らったが、それだけにひょっとして二階部屋があるんでなかろうか。でも女性客が多い。何やら足裏のツボを尖った木の道具で強く押すのであるが、皮膚をつき破って血が出るんじゃなかろうかと思うくらい痛いのである。「痛いですか」と彼女達の声に、我々は「いててて」「いてーよ」を連発しつつ「遺体です」「額です」などと気休めに駄洒落を飛ばしてみるものの、そんなことをしても痛さは変わらず、一緒に笑っていた彼女達にはきっと馬鹿だと思われたに違いない。

    晩飯は老舗の「百濟參鶏湯」にて。百濟はペクチェ、参鶏湯は Samgwetang と書くかどうかは知らないが兎も角、サンゲタンという方が音は近いが口の形は全然違う其の品を食べることにした。確かに旨い。我が街でこんなに旨い参鶏湯を出す店はないのである。またまた感動してもう一泊することにした。ってまだ泊まってないよ。この後は一旦ホテルに戻って談笑、じゃなくって商談である。

    商談前に一時間許り休憩することになったので、多穴式のカード・キーをフロントで受け取り、部屋に戻ってさあ開錠と、カードを差し込む。むむむ。ドアが開かない。おかしいな。ドアを引くのかな? やっぱり開かないや。カードを抜いてもう一度。だが矢張り押しても引いても開かぬ。あれれっと既に十回くらい繰り返しているのであるが、どうしても開かないのである。こ、これは一体。誰もいない廊下の静寂の中で、隣室から洩れる談笑の声が焦りを加速させる。もう丸で盗人が忍び込むかの様な緊張感である。ボーイに案内された時は、この眼で確かに同じ鍵で彼が開けるのを見たのだから、絶対に開く筈である。

    カードの穴に何か秘密が隠されているんだろうかと、カードを翳して穴の向こう側を覗いてみる。すると隣のドアがガチャッと開いて、穴の向こうから何とおばちゃんが現れて怪訝そうにこちらを一瞥する。「ああ、目にごみが…」咄嗟にそう呟くと、おばちゃん達は心配そうに声を掛けてきそうになったので、鉛筆を取り出して鼻の穴に差し込んで両手をヒラヒラとさせながら「なんちゃってえ」と、言うと彼女たちはさっさと廊下の奥へと消えて、取り敢えず危機は回避。だが、「怪しい人物がいる」とフロントに密告されてはまずいので早くドアを開けねばならない。カードを観察すると何やら意味ありげな線が引かれているのに気が付き、単に差し込み不充分だった事が発覚する。あのボーイ、こんな重要事項を何で教えてくれなかったのだ。まったく。

    一時間ほど横になって元気も恢復し「そろそろ待ち合わせの時間だな」と、思って立ち上がった瞬間、電話が鳴る。どうやら向こうも同じ事を考えていたようだ。流石ビジネス・パートナーである。受話器をとると、
    「私です。さっきのベルボーイです。憶えてますか。彼女います。どうですか」
    「いりません。ガチャ」

    なんてタイミングがいいんだ。ベルボーイという単語もすごいが、ビジネス観光ホテルでそんな怪しげな事を公然とやっていいのかみたいな事に精を出すなよ。だが、商売に余念がないあたりは見習わないといけない。大事な商談がパーになってはいけないので、無礙に電話を切って待ち合わせのロビーへ出向く。

    ロビーで相棒と話している間、件のベルボーイがニコニコとこちらを見ている。お前ホントに從業員かよと思っていると、彼はフロントへ歩み何やら受け付け嬢と話を始め、そうかと思うと今度は売店の売子嬢にブロック・サインを送ってレストランの中へ消え、中中出てこないかと思えば、今度は地下のサウナ浴場から出現したりと忙しない。我々はボーイの口の動きを読んで、「五分後に203号室だ。いいな」とか「今日の売上げはどうだ」とか「503号はカモだから絞りとれ」とか言って愉しんでいたのだが、台詞があまりにぴったりくるのでホントにホテルぐるみでやってるのかも。っておいおいマジかよ。

    そして、我々はカラオケに繰り出すのだが、次回へ続く。

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    142話までは「パブロフの屁」(ぱりぱり噛めん:Parikame) のテキスト復刻版です。見出し形式「第○○話」がテキスト本編、「no.○○」が対応するダイジェスト図解版です。ご贔屓いただけると新作公開の励みになりますのでよろしくお願いいたします。え?頑張らなくていい……ですか

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