
第27話 「秋の夜長に」
秋の夜は長い。そして寂しい。そんな夜は後輩の小囃子と居酒屋で御囃子を耳にしながら小噺に興じるに限る。我が酒友の小囃子君は、頭脳明晰な明智探偵の某助手と同じ発音の苗字だが、何せこっちは笛や太鼓の御囃子であるし、酒と噺とくれば矢張り明智というより頓知という方が相応しいのである。だがさっきから囃だの噺だのと紛らわしくて読み悪くて仕方がないので、略してコバと記すことにする。えっと、どっちをだっけ。
コバを含めた我々数人は早速、小さな座敷に陣を構えた。コバの飲酒ペースは非常に速い。而も多量に摂取するので酩酊に達するのが異常に早く、聴衆を楽しませるに至るまで然程時間を要しないのであるが、玉砕が早いのも亦然りである。ノーガード戦法の短期決戦玉砕型である。酩酊状態の人間の喜怒哀楽ぶりは多種多様であるのは言うまでもないが、この男の場合には筆舌に尽し難いものがある。切れた笑い袋のテープが反転再生する暇もない程だったり、切れた堪忍袋の緒が蘇生する暇もない程だったり、切れた鼻緒の美代ちゃんが蘇生、って否否、笑う暇もない程だったり、切れた賞味期限のチーズ蒲鉾を美味じゃとほざいて食す程に楽観的であったりする。そんなもん食うなよ。
宴に於ては屡ゝ肴を巡って争奪戦が繰広げられるものだが、今回は口撃ポイントの高い順に優先権を与えることで皆は諒承した。本日の口撃テーマは「木を見て森を見ず」の類字語はどんなモノがあるかである。
先ずは、口を見て品を見ず。手品という余興を見ずして手口ばかり探る事だとか、入口の客寄せ品だけ見て奥は見ずに帰る事だとか、入口から入って来る女ばかり観ていて肴には目もくれない事だとか、それは私であるとか諸説紛々とする中、誰かが、
「コバの場合はビールの注ぎ口ばかり見ていて逸品の肴には目が届かない事」
と言えば、
「じゃあ御前は、姦を観て女を見ず。エッチなビデオばっかり観ていて本物の女に興味がない事」
と、斬り返したりで、皆、見事に点数を稼いでゆく。少々圧され気味の私も何か言ってみる。
「虫を見て蟲を見ず。昆虫は体外にいるので見えるけど、蛔蟲は体内なので見えない事の譬え」
譬えもなにもそのまんまである。手痛い減点である。
中盤戦に入るとコバも絶好調。と、言うより喧しくて仕方が無い。私と同期の友人芹澤が、鞄の中からハングル講座の本を取り出し、これを肴に飲もうと言い出した。これで少しは調子に乗ったコバを諌める事が出来ようというものだ。さすが知性派、芹澤らしい作戦である。コバがテキストを手に取り「seon keum」「 bocheom keum」て何ですかと問えば、芹澤は応えて言う。
「うーむ。ソンクム、ポチョムクムかあ。確か、損金、保証金だったかなあ」
「凄いですね。芹澤さん。思いっきり違ってますよ。先金、補添金です。戦艦ポチョムキンかと思いましたよ」
「一体、どういう発想してんだ。その回は確か家賃交渉の話だったと思うが」
「ほら、この軍服みたいなのを着たおやじが船に乗って」
「だー。そ、それロシア語のテキストじゃないか。何見てんだよ」
「冗談ですよ。本気にしたんですか。まだまだじゃのお。ひぃっく」
コバは柿の種を頬張りながら、すかさず続ける。疾き事、風の如しである。
「じゃあ kangju は何ですか。緑皮さん」
「わからん。幹事か?」
「強い酒です。かんじゅ。幹事長も感じちゃうー。ぶはー」
「くく、くだらねー。大分酔ってるな」
「お二方。いやしくも酒を飲んで楽しみたいなら、妙なプライドは捨てる事ですな。ぶひぃ」
どうやら駄洒落を言うゲームと化してしまって、我々の思惑とは全然違う展開になってしまっている。侵掠する事、火の如し。
宴も闌、かなり調子に乗っていると見え、斯様な遣り取りが蜿蜒と繰り広げられて宛ら戦場の様相を呈してしまっているが、そろそろ例の症状が現れる頃である。駄洒落の才覚と饒舌ぶりとを遺憾無く発揮し続けて満足したのであろう、観察すると案の定、もうこの世に思い遺しが無いかの様な僥倖の笑みを浮べた侭、視線があさっての方向を向いてしまっている。玉砕寸前の兆しである。そして間髪入れず、意味不明な言葉を呟き乍ら遂にダウンである。
訪れた静寂の中で不図、私の脳裏には、両腕をもぎ脱られ片脚を失った勇者マジンガーZの姿が重なった。
「助けてくれ」
それだけはどうしても言えなかったであろう勇者の宿命を背負い悽絶な最期を遂げた戦士、ドリンカーK。お前は二度と立ち上がる事はないのか。幾多もの激しい酒戦を乗り越えて来た異才が今ここに眠らん。あとの勘定は任せたぞ皆の衆。確りと明後日を見据えた彼の目は、そう語りたかったのではないのか。私にはそう思えた。
然し、そんな感傷に浸っている私を余所に、いつの間にやら周りは騒々しい。深い眠りに陥ってしまった勇者は、いつもながら散々な扱いである。突いても叩いても裏返しても、マジックで髭を描いたり、ドラエムンにしてみても全然駄目である。動かざる事、山の如し。
最早何をやっても反応がないので皆、観念したのであろう。偉大なエンタテイナァが逝ってしまったとあっては、このまま屍を放っておく訳にもいかず、皆で火葬場まで担ぎ出すという。おいおい、まだ死んでないって。え、家が火葬場の近くなのか。ああ吃驚した。
この後カラオケで合流する約束を交し、未だ呑み足らない私とカラオケ嫌いの芹澤とが暫し店内に残る事にした。次回に備えて駄洒落の特訓をしようという事になり、注文したい肴の駄洒落を言ってから注文する。
「イカは如何か」
「イクラは幾らか」
「華麗なカレー」
「蒲鉾でおかまボコボコ殴る」
「酒が叫ぶ」
叫ばん叫ばん。半時ばかりして、覚醒したコバが暴れて手がつけられないので解散するとの伝言が入り、仕方が無いので寒い駄洒落を肴に呑み続ける事にした。
「さて。何か注文するか。ええっと」
「…」
「イカは如何か」
「え゛、また烏賊かよ。烏賊ばっかりじゃイカンガー」
「…」
夜はまだ続く。
【前を読む】 【目次へ戻る】 【次を読む】