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第21話 「外人登録」

    私はここ数年のところ外国人をやっているのだが、青目金髪の狭い外人観に縛られていた幼い頃は、「大きくなったら何になる」「外人になる」「無理無理。日本人じゃん」と冗談を交わしていたものである。それが現実に外人になってしまったのだから一大事である。今の御時世なら海外旅行も簡単で、誰でも即席で外人へ早変りなのでそんなに大層な事でもないと思えるし、確かにそれも外人と呼べるだろう。

    然し、厳密に言えばそれは外人ではなくて、旅行の人なのである。真のガイジンになるにはそれでは駄目で、長期滯在査証を取得して入国して、外人登録をして、歓迎会でカラオケを披露したり、「外国人」と書かれたTシャツを買ったりと面倒臭い手続きが必要で、その後に晴れてガイジンを名乗る権利を獲得できるのである。登録を完了すれば、国に依り形は違うものの登録査証を発行して貰え、これがガイジンの証しとなる。私も今回8月2日、やっと外人登録証を入手し感慨無量である。

    随分待った。入国してから2箇月も経って漸くの事であるから、極めて遲い運びである。その原因は、吃驚する事に、上司キムが雇用手続きを放って措いてすっかり忘れて仕舞っていたためであり、全く頼りにならない奴である。海外旅行傷害保険証を渡航後に手渡されたり、学生に書類を持って行かせるのでサインしてくれと言いつつそれが一月後に巡って来たり、居室を一月後に移動してもらうと言いながら三箇月経った今も音沙汰無しだったり、御前専用のコンピューターを買ったぞと僥倖の眼差しで言いながら実は発注しただけだったりで、真面に付き合っていては心労疲弊で斃れるのは必至である。

    そういう次第で外人登録一つを済ませるのも、並々ならぬ忍耐力が要求された訳だが、外人登録についてキムに色々と質問しても、面倒臭いのかいつもヰトォに訊けと言う。ヰトォは私の部下なのか同僚なのか模糊としたものがあるが韓国生存歴二年の先住民である。外国語能力を磨きたい私にとっては日本人ヰトォと会話するのは必ずしも得策ではないが、キムの妙な英語に付き合うのも骨が折れる。というか前述の通りキムの言う事は全く当てにならなかったりして、寧ろそっちの方が恐いのである。ヰトォは転勤間近だし、妙な学習意欲よりも安全性を重視してさっさと関係無い事まで根掘り葉掘り尋いておくのが得策である。ヰトォが喋る。

    「近々日本に帰る予定はありますか」
    「え、なんで」
    「帰るんなら再入国許可を取っておかねばならないですよ。毎回」
     と宣うではないか。ぬわんじゃ其れは。そんな物今迄に取った事はないぞよ。獨逸とデンマークの経験を踏まえて西洋事情を説明する。

    「ゴホン。入国前にまず入国査証(3ヶ月有効)を取っておく。これは現地で外人登録をするのに必要な書類であり、現地から一度出国すると無効になってしまうから入国後すぐに外人登録を行うのが無難だが、入国後三ヶ月以内であれば良い。登録は役所で直ちに完了する。勿論手数料は必要となーる。ベベベンベンベン」
    「そこまでは大体同じです」
    「だが、外人登録を行う前にどうしても出国したい者は、再入国許可を取るのであって、毎回許可が必要とはちょっと変ではないか。それに大体同じとは何であーるかな。ベンベン」
    「まあ数次有効証もありますから。それよりも実は申請から一週間後に、パスポートと登録証を受け取りに再出頭しなければならないんです」
    「ひょえ。パ、パスポートをか?」
    「そうですたい」
    「まあ、尤も西洋では入国査証の申請時に預けるけどな」
    と云う訳で、ヰトォのアドヴァイスもあり、一週間後の受領時に確認してみる事にした。

    扠、手続き一週間後。役所へ出頭して係官のおねえちゃんに確認すると、矢張り再入国許可が必要であると言う。なんでやねん。面倒臭いのお。また来にゃならんのか。往復で三時間やんけ。パスポートを一週間人質に取っといて、そりゃないんとちゃうか。と勿勿言いながら歩いていると帰り道を間違えてしまった。猛暑の中を歩いて、もうへとへとで頭が痛い。大惨事である。

    帰りの電車も混雑して大変である。まず、やっと座れたと思ったら隣りのガキが涎を垂らすのでズボンに染みが漬いてしまった。着くとか附くではなく、漬くであるからして、そりゃもうくっきりと跡が残るのである。大惨事である。そして私の目の前には大きく新聞を広げた男が立ち、彼の眼前では頁を捲る度に色々なドラマが展開される一方で、私の眼前では常に「便通之樂」「快便」と大きく漢字で書かれた広告が呈示されており、何もなす術もない私はその意味の推論に暫し没頭した。

    快速宅配便の宣伝だろうと一応の結論を導いたのも束の間、商品パッケージに Doctor Colon の文字を発見して便秘薬の宣伝である事が判明し、だははと笑おうとしたその瞬間、突如車内からバーティー・ヒギンズのカサブランカが聞こえて来るではないか。なんと物売りのおっさん登場である。ライターを売ったり財布を売ったり物乞したりと色々な人を車内で目撃したことがあるが、今日の人は 音楽CD である。

    物価は安いし一つここは頂いておこうかと思っていると、なんと急停車が掛かってCDが慣性の法則に従ってこちらへやって来る。ラッキー。どさくさに紛れてCD無料ゲットォーと思って、屈み込んで前方を見ると物凄い勢いで桶がぐるんぐるん転がって来るではないか。中から烏賊が出て来て臭いのである。あ゛ー。もう、あっちへ行け、烏賊。ああ、CDよイカないでおくれ。結局、無料CDゲット作戦は失敗である。無料じゃないって。

    大惨事続きの奮闘を終えてホームに立ち、乗車券を求めてポケットから出した手には、在広島領事館で貰った注意書が握られており、なんとその紙片には「再入国手続をしてください」とあるではないか。完全な失念である。すまぬ、ヰトォよ。

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    142話までは「パブロフの屁」(ぱりぱり噛めん:Parikame) のテキスト復刻版です。見出し形式「第○○話」がテキスト本編、「no.○○」が対応するダイジェスト図解版です。ご贔屓いただけると新作公開の励みになりますのでよろしくお願いいたします。え?頑張らなくていい……ですか

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