第20話 「夢で笑う」
七月も終る或る夏の夜のこと、睡眠中の私は世にも奇妙な初体験をした。それは、見ていた夢が余りに可笑しく、大笑いした挙げ句の果てに目覚めたというものであるが、一歩間違えると逝ってしまう処であり、こんな事は金輪際にしてもらいたいのが率直なところである。小説、ドラマ、映画などで、悪夢に魘されて目を醒す場面には良く出会すが、夢で馬鹿受けして目を醒すなどという阿呆な話は前代未聞であり、全く第廿話の節目に相応しい記念すべき初体験である。
問題の場面は江戸時代の様である。主人公と思しき侍が、なにやら女中と思しき人物と店の主人を交えて談笑中である。侍を演じているのは松平健のようで、暴れん坊将軍を匂わせる風体だが然し、声が高橋英樹になってしまっている。話の内容はどうやら、近々その侍が女中に良い物を贈るといった風で、それ以上は詳しく聞き取れないのだが、主人役の前田吟も女中に向かって「良かったなあ、おせんちゃん」などと言って晴れやかに喜んでいる。微笑ましい光景である。そして場面は次へと移行する。
先程の松健らしき男優が縦列牽引の三頭馬車の最後尾に騎乗し「馬、馬、馬、松健」のフォーメイションで走行する。顔付はどう見ても悪役メイクなのであるが、夢であるので松建なのかどうもハッキリしない。「これより鬼瓦家は御家断絶。領地は差押え没収する。ぬわっはっはっ。これで此の一帯は我が徳川家のものじゃ」などと、悪人なのか暴れん坊将軍なのか判然としない科白を吐きながら、盛んに鞭を揮っている。併し、この人物が先程の侍に相異無い事は、次の科白で明白になる。
「おせんちゃんにプレゼントするのじゃあ」
おいおい。バブルの御時勢じゃああるまいし、江戸時代に土地なんかプレゼントして一体どうするんだ。頭にリボンを結んで箱の中から飛び出してみせる積りなのか。だが流石に上機嫌なのであろう、そんな心配を他所に先程から頻に、ビシッ、バシッ、と揮う鞭の音が晴空に冴え亘る。鞭の尖端にはどういう訳か短砲が結ばれており、そりゃもう蛇の様にくねくねと「馬、馬、馬、松健」のラインを這うのである。どうやらこの人物、かなり鞭捌きが上手いと見えるが、ちょっと調子に乗り過ぎて、大事な事実を無視してしまっている。先端に重りを付た紐は張力を増し、動きはよりダイナミックになるという事を。
まあ、江戸の時代に物理学なんぞは広まってはおらず致し方ない処ではあるが、余りに激しく見舞うものだから反動も激しく必死の形相である。丸で生き物の如き動きを見せる鞭は、軈て松健の制禦を離れて意志を持った様に、二頭目の馬の頭に絡まり巻き付いてゆく。くるくるくる。まるで生きた蛇の様にどんどん巻ついてゆく。くるくるくる。そして絡まった鞭はピンと一直線に松健を引っ張り始めるのだが、それでも尚、馬は平然とぱっぱかぱっぱか走っているのだから大したものである。一方、松健はというと、もう前へ引っ張り落とされそうになって、ひいひい言っている。
将にその瞬間、閃光が走る。ぴかぁ。霹、霆、雷、厳つ霊、いかずち、である。絡まった鞭の先端の短砲に落ちたのである。こうなると、もういけない。びりびりびり。絶縁体である鞭が電気を通すとか通さないとか、そんな議論はどうでも良い。何しろ雷は樹木を薙ぎ倒し、且つ、発火せしめる程の威力を持つのだから、そりゃもう大変である。流石の松健も目ん玉引ん剥いて今にも絶倒しそうであるが、それでも尚、懸命に馬を操ろうとしている。見上げた根性であるが、もういけない。
一体何が駄目って、流石に笑いを堪えられるのもここが限界。後は決壊したダムから轟轟と流れる水の如しである。解説が長くなってしまったが、夢の開始から笑いが発生する迄の間、僅か十秒程度であるのに、笑いは蜿蜒と続いて中中終熄しそうにない。笑いは堪えれば堪える程、余計に可笑しくなるものである。
一気に爆笑の場合は兎も角も、些細な可笑しさが連係して絡み合うケースでは、本当はそんなに馬鹿笑いする程でもないのではないかという冷静な判断が働く一方で、確認のために「もう一度笑ってみるか」という小さな衝動も湧き起こるのであるが、これがいけない。顧みて何が可笑しかったのかを分析するという、一見尤もらしいがそれこそ余計な理性のために、よせばいいのにまた同じシーンを回想して、また笑う羽目になってしまい、それでは笑いが続いて不可ないので抑えようとして、でも抑えられなくて連鎖的に可笑しさを増幅させてゆくのである。この連鎖反応は脳内で殆ど瞬時に発生するので、理性による抑制機能は全く無効であり、正に拷問である。
良質な睡眠確保のため「覚醒しては不可ない」と自分に言い聞かせても、そんな理性が働く以上、脳は既に覚醒状態なのであり、体の覚醒スイッチが入るのも時間の問題である。夢の出来事は朝になると忘却してしまうと聞くから、観念して起き上がってメモを録るという行為に及んで仕舞うのであった。普通するか。だが、死ぬほど笑い転げた挙げ句の果てに、やっとの思いで書き留めた文字は解読不能であったりする。
夢の内容はその人の精神状態を反映すると聞くので、擱筆の序でに夢判断をしておこう。
暴れん坊将軍は権力欲の象徴である。ふむふむ。
鞭は先端に物が付いている辺りからわらしべ長者を想起させ、金欲を象徴する。成程そのとおり。
で、おせんは女性の象徴、ってそのまんまじゃないか。それとも矢張り「お銭」で金欲か。むう。確かに金欠だし。
それにしても前田吟は一体何なのだ。ゑ。
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