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第19話 「ベル着狂走曲」

    会社や学校で始業終業の合図でお馴染みのあの鐘音は、実際には鐘音というよりも、振子時計がボーンボーンと適当な旋律で鳴っているというイメージの方がぴったりする。それでも私の中学校の教師達はベルと呼んでいたものだが、私の経験に則って言うならば、鐘の音というのは、少なくともミュンスターの街に鳴り響く当に協奏曲ともいうべき教会の鐘の音色でなければならない。そこでは、鐘が鳴ったら耳を澄ましてじっと静止する。静止することで時の流れを止め、中世より伝わる荘厳で華麗な響きの中に身を委ねて音色を堪能する。それが私の思うところの鐘音である。

    然し、我が中一時代では、全く様相を異にするのであった。鐘が鳴ったら走らねばならい。兎に角、走る。爆風スランプのランナーではないが、そりゃもう死にもの狂いで只管に走る。走る、走る、俺達である。それは当に狂走曲。別に狂って走らずとも始めから着席して居れば済むものを、本当に馬鹿としか言いようがない。だが、この様な愚行に及んだのには或る理由があった。

    担任のミニスカ教師が「ベル着規定」なるものを発布したのが事の発端である。始業のベルが鳴り止む前に着席を完了せよという其の規定は、違反者に不名誉な点数を課し、更に、忘れ物検査の得点も加算して、週間最多得点を記録した班に次週の掃除当番の権利を与えるという素晴らしいシステムを確立した。規定の施行以前では、科目の担当教諭が教室にやって来る迄は雑談をしたり、紙飛行機を飛ばしたり、室内野球をしたり、屁を放く等して寛いでいたのだが、この規定の御蔭でそうも行かなくなって仕舞った。折角、着席しても教師が中々到着しなくて退屈する事もあったし、そのまま二十分くらい待っていたら実は休講だったりとか、未だ来ないからいいやと思って油断していると、教師も教師で廊下の蔭に隠れていて、突如、意表を突いて教室に闖入して来ることもあった。そこまでするか。普通。

    この隠れん坊教師、さては担任に気があったのだろうか。隠れん坊恋慕。

    そんな訳で、結構点数を稼いでしまい、理不尽な、否、素晴らしい規定と隠れん坊教師の活躍の御蔭で我班は、毎週掃除当番だったりした。これを問題視したミニスカ教師は即座に対策を講じ、番付表なる真にもって不名誉な物を作成し、番付け上位者連を分散させるべく班編成の改編を頻繁に実施することとなった。だが、番付作戦は逆効果であったらしく、上位者の中には毎週当番を勝ち取るのぢゃと鼻息荒い者も現われ、それは断じて私の事ではなく、その都度、歴代班長には迷惑をかけてしまった。今は姓が変わってしまったであろう、高橋さん、中村さん、篠崎さん、西野さん、竹内さん、御免なさい。何故か皆、女性班長であった。

    掃除当番が確定しさえすれば、後は野となれ山となれ違反放題である。併し、そんな甘美な生活も長くとは続かず、ミニスカ統轄の班長会議で起死回生の作戦、優良者の点数を班内部で相殺する新制度導入が決定された。折角稼いだ点数を相殺されては堪らない。こうなると、形だけでも規定を遵守する姿勢を見せなければならず、そこで考案された遊びがベル着競争である。ベルが鳴り始めてから鳴り終るまでの凡そ一分間に、決められたコースを走って教室に戻り、着席すればセーフ。間に合わなければアウトである。

    初級は教室前を出発して再び戻って来る簡単なコースからである。回帰点は教室から然程遠くない場所が選定された。列記すると
    ・校門にタッチして戻って来る。これは楽勝である。
    ・一旦地階まで降り、屋上へ上がって下りて来る垂直方向一周。距離は少ないが運動量は激しい。
    ・校舎内部を一周して戻って来る。垂直運動は減る代りに、三つ存在した各校舎内を縦横無尽に走る。時間帯によっては混雑する場合もあって、アウトになる危険性を孕んでいる。職員室の前を走るという暴挙に出る者もいた。

    お次は中級コース。出発地点が教室外に設定され、その心理的圧迫効果によりスリルが増す:
    ・トラックを一周して戻ってくる。靴を履き代える余裕は無いので、上履きの侭で走る。当然、叱責される。
    ・校庭最遠部のプールから一目散に戻って来る。時々、教師が「校庭を走るな」という奇妙な放送をする事がある。
    ・正門を出て構外を周って裏門から入り教室に戻る。時間的には少し余裕だが、バス停前の狭い道を通るので、バスが停まっていると乗降客という障害物の登場により判定はかなり際疾くなる。

    最後は上級コース。走ること以外にもう一つ余計なイベントが加わり難易度は更に上がる:
    ・体育の授業終了後、更衣室で待機し、トラック一周後に教室を目指す。体育の直後である上に荷物を持った侭走るのはキツイ。
    ・教室から出発するが、校門前にある小売店に行きパンを買って戻ってくる。おばちゃんの対応が遅いと命取りで、釣銭を貰い損ねる時もある。
    ・構壁を乗り越え構外へ出て、近隣住宅地の一画を一周して戻ってくる。構内から出発するので二度も塀を乗り越える為、円滑な体術が要求される。
    住宅地に棲息する級友の奥君の家を目指し、「奥の家へタッチ」或は「奥の家へ侵入」というオプションもあった。

    初めは女班長とミニスカの気を惹く目的で僅か二、三人で始めたこの細やかなゲイムも、何時しか学級中のブームとなってしまい、雨天の中を絶叫して走る者や、パンの代金を払わずに逃げ帰って来る兵も現れ、終いには御近所住民から苦情を頂戴する始末である。

    御蔭で、「ベルが鳴り始める前に着席せよ」と言い放つ教師まで現れるのであった。そんな殺生な。

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    142話までは「パブロフの屁」(ぱりぱり噛めん:Parikame) のテキスト復刻版です。見出し形式「第○○話」がテキスト本編、「no.○○」が対応するダイジェスト図解版です。ご贔屓いただけると新作公開の励みになりますのでよろしくお願いいたします。え?頑張らなくていい……ですか

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