第98話 「ラーメン齋藤」
大学院に進学しても猶、追求の魔の手を緩めようとしなかった悪の組織、いや封建的家内制手工業のパラダイムも、高校を卒業して会社に就職したけど課長と波長が合わなくて辞めて家長の軍門に下ったアチョーな弟の御蔭で遂に崩壊し、新時代の幕開けと相成った。
大学院は世界に通用する研究者を育てる機関であって、もっと遊んでいたい者がモラトリアムなどと言ってスノーボードをして過ごす所では断じてなく、「虎の穴」のような厳しい訓練が待っているのである。具体的には、花見の場所取りだとか、合宿の旅館や忘年会の手配だとかは勿論のこと、剣山の上に座って検算するとか、デスクの上で天蚕糸を結んで手薬煉引いて魚釣りの準備をしたり、目を瞑って林檎の皮を包丁なしで剥く練習だとか、新聞広告を研究してスーパーの安売りラーメンを箱買いして来たり、閉店直前の惣菜屋に奇襲をかけたり、研究室で深夜に鍋をしたり、飲み屋の付けを溜めたり、黒板の前で腕組をして考えている風をしながら眠るだとか、24時間体制で研鑽を積むのである。
私は遠距離通学だったので交通機関の時間を気にしてそわそわするのは厭であったから、徹夜で勉強して家に帰って二日分の睡眠をとって、「笑っていいとも」を見て妹と一緒にメロドラマを見てジーンとなってから、三時頃に家を出て夕刻に顔を出すというような事をしょっちゅうやっていたし、朝帰って睡眠をとって、風呂に入って晩御飯という名の朝食を食べてから登校することもあった。又、帰宅時間が夜十一時半とかになっても食卓の上に食事が待っていたりして、家族愛の温かさを感じつつ、七時に学食で済ませたことは内緒で戴くこともあった。家族愛といえば、弁当を持参しているのにうっかり昼に学食で済ませてしまって、弁当を夕方に食べる先生もいた。「せ、先生。何してんですか」
「いやあ、空にしておかないと怒られるから」
「今、食ったら余計まずいじゃないですか」
「そうだけどね、ははは」
って、お元気ですか W 先生。見てない見てない。
なんか厳しいというより楽しそうに思えるのは貴方の錯覚であり、どれくらい厳しいかというと、昼夜も土日も問わずに勉強する訳であるから、そのうち時間感覚が麻痺してくるのであり、曜日を間違えたり、日付が判らなくなったり、「続きは明日にしましょう」と指導教官に言うと「へ、あなた祝日にゼミすんの」と言われて初めて気がついたり、同じ厳しいでも鉄菱を地面に撒くのは撒き菱だし、銭湯に行こうとすると朝だったり、安売りラーメンを買いに行くと広告の日付けが違っていて通常価格だったり、挙げ句の果てには休日だと思って教授部屋のソファで寝ていると、ガチャッとドアが開いて教授が出勤してきたりするのである。やはり個室はいい。
競争である以上、バイトをするのは一線の研究から激しく遅れをとるので余り勧められた事ではなく、かといって授業も受けてない上に文献コピー代プラス瓦斯電気水道あと便所の清掃代くらいしかかかってない割には高額な授業料を、どうにか納める為には何らかの収入源が必要でもある。そこで成績優秀者には、日本船舶振興会から決して少額とは言えない奬学金という名の借金を、受ける権利が与えられる。何か団体名が違うような気もするが抛っておいて、近頃では論文が一編でもあれば、学振という文部省外郭団体から給与が貰えるなどという甘い制度があるので優秀者なら借金をする必要もないが、私の時代は頗る厳しかったのである。金欠時には、ブタの貯金箱を床に落して割って小銭を握り締めたり、秘藏の記念硬貨や大隈重信の投入なども図られた。ラーメンを買うのにそんな貴重なものを使ってしまうのもどうかと思ったが、餬口は凌がねばならない。
或る時、慢性的な財政危機を回避する為に、スーパーで女性用下着を購入してブルセラショップに売るという案が真剣に検討された。どうも男性が其の侭持ち込むものではないらしいだの、元本割れするだのという意見も出されたが、「やってみなきゃあわからん」と思った私は、新聞の散らしを持ち出してきて、
「そういう訳で、じゃ、頼みます。齋藤さん」
「なんで儂が行かんといけんのじゃ」
「だって齋藤さん、下宿生だからスーパーは専門でしょ。自宅生の僕には判らないなあ」
「こらこら、惚けるんじゃない。私は食品売場専門だから」
「それ言うならラーメン専門でしょ」
「う、うるさい」
「あ、わかった。恥ずかしいんでしょ。素を正せば徒の繊維なんだから大丈夫ですよ」
「だったらじっさんが自分で行けばぁ。徒の繊維でしょ」
「え、あ、今日は家に帰らないと」
「あれえ、帰るの。今日はマルタイの棒ラーメンが半額らしいぞう。さあて、スーパーに行くか。じゃ」
「あ、待って。一緒に行きます」
「そうか、行く気になったか。下着売場に」
「違うって」
いつも私の一枚上を行くこの先輩は、ラーメンをこよなく愛する人であった。イトメンのチャンポンメンは旨い上に五円玉の入った御縁袋という当りが二三個入ってるから箱買いが絶対だとか、38円で仕入れて60円で売った方がいいだとか、強力栄養スープは不味いだとか色々教わったり、小渕恵三が「平成」と書かれた半紙を掲げてそれを読み上げた時には
「何それ。しょーもなー」
と言いながら一緒にラーメンを啜ったり、
「全て国民は最低限度の生活を営む権利を有する。日本国憲法万歳」
と十字を切って毎日一緒にラーメンを食ってきた仲である。封建的家内制手工業の崩壊及び自由民権の萌芽の箴言として、斯くも素晴らしき哉、と感動を与えてくれた人なのである。
だが、大型計算機のプログラミング技術を持つ反面、「人間タイプライター」の異名をとる程の繊細な技を兼ね備えた先輩も、遂に短大に就職を決めて研究室を去る日がやってきた。そして私は、同じラーメンの好誼として、次の言葉を後世へ残すように使命を授かった次第である。
齋藤死すとも自由は死さず。ラーメン最高。
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