第73話 「お好み三番勝負」
パセリだかパッソーラだか知らないが兎に角そういう名前の地下街だか百貨店だかが、広島にオープンしたと聞くので見物に行く。先ずは地階を徘徊していると何だかハンバーガーだの、たこ焼きだの、カレーだのといった店舗が並んだ空間を発見する。百貨店の食堂街といえば、最上階付近に在るものと相場が決まっている。珍しく思って冷やかし半分に覗いてみると、何と嬉しいことに名の通ったお好み店「みっちゃん」があるではないか。むむむ。これは看過できぬ事態である。お好み研究家としてフィールドワークに来た以上、新店チェックは欠かせない。
舞い上がって早速注文すると、珍しく前金制である。流石、有名店ともなると粋である。やる事が違う。おしながきは「お好み焼」と「たこ焼き」の二品のみ。有無を言わさぬ自信の表れである。こういう自信を見せる店には何か屹度、秘密があるに違いなく、カウンターの奥を偵察する。フィールドワークであるから、鉄板の焦げ具合を観察しておいて他店との比較材料にするのは言うまでもない。
だが、鉄板らしい物が見当たらない。一体どういう事だ。お好み研究家としては忌忌しき事態である。抑抑、鉄板の無いお好み店なんて聞いた事がない。屹度、奥に調理場があってそこから持ってくるに違いあるまい。ほら、そこの奥に扉があるんじゃ…、んん、と、扉なんてないぞ。じゃあ一体何処からお好み焼を持って来るのだ。ああっ。そうか、近くにある本店から出前で持って来んだよ。そうに違いない。こんな場違いな所でお好みなんか作る訳ないじゃん。あはは。と、納得して席で待機する。
待つこと五分。待望の品が運ばれて来る。おねえちゃんの手から受け渡された皿の上には、電子レンジで温めるだけのお土産タイプが載っていた。ジャンクフード街であるから、よくよく考えれば即席物なのは当然。完敗である。
日を改め第二ラウンドである。前回の屈辱を晴らすべく、みっちゃん本店へいざ出陣。だが困った事に、ある筈の場所に本店が無い。途方に暮れてラブラブな若者を尻目にブラブラ歩いていると、これまたびっくり、意外な場所に本店を見つける。移店なのか移転なのか何だかよく判らないがそういう事であったか、随分と探したぞ。第一ラウンドでは無念にも外濠で討ち死にしたが、ここで会ったが百年目。幾星霜の怨み、今晴らさん。今腹三分。それに「腹が減っては戦は出来ぬ」と言うではないか。否否、腹が減ってないとこの戦は出来ないのである。
暖簾を潜って先ずは品定め。目を惹いたのは「野菜スペシャル」なる千円の品。その内容は烏賊天、生烏賊、卵、肉ダブル、野菜ダブルに、葱トッピング。高が烏賊天と生烏賊が余計に入っているだけでスペシャルと称するのもちょっとどうかと思うが、スペシャルだから兎に角すごいのであろう。中々注文を取りに来ない店員のおばちゃんを呼びつけて、野菜スペシャルの旨告げる。おばちゃん曰く、
「野菜スペシャルには、そば入ってないですけどいいんですか?」
「え、そば入ってないんすか」
「これにそばが入ったのが、こっちの『お好みスペシャル』になります」
「ええ、そうなんですか。じゃあ『お好みスペシャル』は野菜ダブルですか」
「いいえ。野菜スペシャルの方は、そばが入ってない代わりに野菜をダブルにして生葱のトッピングになってるんですぅっ」
じゃあ全然違うじゃないと思いつつ、野菜ダブルの葱トップを重視した私は、そばに未練を残し乍ら、
「うーん。野菜スペシャル下さい」
「そば入ってないですよっ。本当にいいんですかっ。そば入ってないけど」
そんなに念を押されると翻意しそうになる。だがお好み研究家の名に懸けて翻る訳には行かぬ。私は懊悩たる表情を浮かべ乍らも「野菜スペシャル」で行くことにした。
それにしても「本当にいいんですか」はなかろう。おばちゃんよ。抑々「そばの代わりに」何かが入ってるって変ではないか。お好み研究家としては「そば肉玉」が王道で、健啖なる大兄の折には更にそばダブル野菜ダブルが基本なのだ。なんだか普通に「そば肉玉葱野菜ダブル」と注文した方がよっぽど良かったと思うのは気のせいであろうか。おばちゃんの「そば入ってないよ」攻撃はちょっと唐突だっただけに考慮時間が欲しかった気がしなかったでもないが、おばちゃんの急かす接客態度というか顔に圧されてしまった。おまけに肉は生焼け。轟沈である。
日を改め第三ラウンドである。最早、事の発端である冒頭の百貨店にて決着をつける他あるまい。元元は階上の食堂街へ行く予定であったのだ。焦る気持ちがそうさせるのか、電動階段を進む群衆の遅い足取りにはとっても苛立つのである。だが、この階から上への電動階段はグルリと廻った別の場所から出ていて歩かねばならず、絶好の追い越しチャンスである。然し、群集は通路一杯に広がって行く手を沮む。「これでは抜けないではないか。うぬう」と、思いきや不図、誰も通らない狭い脇道が目に入ったので、是幸いにと侵入して俄かに歩速を上げる。よし、これで抜ける。…ん、あれ?何と奇遇にも向うから自分と同じ姿の人がやって来るでないか。一体どういう事だ。暫しの間に鏡である事に気が付き踵を返すが、一層遅れを取ってしまった。伊達に視力零・二ではない。
漸く目的の階に辿り着く。流石に今度こそ正統料理店が並んでいるので間違いない筈。お好み店「千房」の前でサンプルを観賞して品定めする。やはり目につくのは「店長お勧め」なる札が付けられた看板商品である。サンプルを見る限りは是迄の様な失敗をする筈もなかろうと、安堵して暖簾を潜る。席に案内され、おねえちゃんが鉄板に火を入れる。全席に鉄板装備とは中中、粋である。
待つこと五分。おねえちゃんが食材を抱えてやって来た。目の前で焼いてくれるのか。おお、流石「店長お勧め」である。このおねえちゃんも店長お勧めってかと、愚考に耽る間もなく、おねえちゃんは小気味よくシャカシャカと具を混合し始める。はれ?ちょ、ちょっと待って。関西風?ここは広島中心にある百貨店。市民の憩の場。よもやそんな技を繰り出して来ようとは。ううむ。私は平静を装うため先刻書店で購入したスペイン語の本を悠然と眺めることにした。動揺しているので内容なんぞ全く理解できる訳もなく、卦体な文字列と釈迦釈迦いう音の織り成す空虚なハーモニーを、上の空で聞いている他なす術もないのであった。噫、酔生夢死なり。
矢張り、去り際に空港で食すのが一番旨いと思う帰国譚であった。
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