メインコンテンツへスキップ

第132話 「魔人オーリト」

    大金と関わるようになると人間の心は激しく揺れ動く。保険金目当ての殺人はその最たるものだが、そんな極端事例でなくとも、兎角その方向性は負の象限に向かい勝ちである。その態様は、罪を犯さなくとも危険を冒したり権利を侵したりと様々であり、例えば昨今流行の株式投資であれば、あれよあれよと勢いだけで売買した挙句に含み損を抱え、多額の借金が残っただけという悲惨な事例も珍しくない。

    借金することが一概に悪いという訳ではなく、上場企業にあっては巨額の借金を抱えていることも珍しくないし、確実な返済計画を立てて運営していれば何も恐れることはないのである。冷静さを欠き返済の見込みもないまま使い込んで仕舞うから首が回らなくなるだけのことである。だがしかし、大金には並の人間から冷静さを奪ってしまう魔力があるらしい。

    斯く言う私も、カレーに汁物は要らず、否否、佳麗に「知る者は言わず、言う者は知らず」を実践すべく、日頃から「計算できないリスクは徹底してとらない主義」と吹聴して回っているにも拘らず、株式投資で大きく損をして仕舞ったため、暖気に雑文を書いている場合でもないのだが、そんなことすらどうでもよくなるほどの事件が起きてしまった。念のため言っておくが、雑文がどうでもよいと言ってるのではない。どうでもよいのが雑文なのでちょっと複雑な心境ではあるが、株損は謂わば独り相撲の世界。そんな世界観が覆るほどの衝撃を受けたということである。

    世間では、ドザエモンだか村神ファンドだか服衣ショックだかなんだかで喧しいが、野党もマスコミも必要以上に騒ぎ立てるのは止めて貰いたいものである。彼らこそ市場を操作して儲けようとしている張本人なんじゃないかと思えるほどの騒乱ぶりである。幾ら損しようと自己責任が大前提なので、己の未熟さを反省して精精挽回できるよう精進するより他あるまいと思う。

    前置きが長くなってしまったが、ここからが本題である。

    一般に、市場で売買できる株式は或る意味本当に優良であり、非上場の会社にはろくでもない経営をしている会社がごろごろあると言われるが、私が業務上横領いやいや係わっている何某会社もその典型である。その社長某は、起業を目指す巷の若者のことを「会社ごっこ」と揶揄する割には大した功績もなく、御前こそ会社ごっこだろという有様なのであるが、個人的な温情で此奴に貸した80万円が未だ戻ってこないため、今年の株損は超痛い。保身第一、権益第一、策謀第一と三拍子揃った疑心暗鬼の塊。其奴の名は地上最強の強欲魔人オーリトである。「御前こそ会社ごっこ」と評されるには理由がある。

    「社長。先日ご紹介した3,000万円融資の件ですが、先方は乗り気です。ご決断のほどは如何でしょうか。もう随分と時間が経過しておりますが」
    「ううーん。連帯保証人になるのは嫌だなあ。緑皮君が肩代わりしてくれるなら借りてもいいけど」
    「ご冗談を。銀行が認める訳ないでしょ。こないだも背水の陣で挑むとか言ってたじゃないですか」
    「あれは嘘。恰好いいから勢いに任せて言っちゃった。えへ」
    「えへじゃないっしょ。幸いなことに固定金利だし、低金利の今借りておかないと危険です。転ばぬ先の杖です。ご決断を」
    「うーん。緑皮君には解らないだろうけど、連帯保証人のプレッシャーは大きいんだよ」
    「じゃあ融資を受けずに一体どうやって設備拡大するんですか。設備拡大は社長自らが打ち上げた経営戦略でしょ。聞けばもう既に発注かけちゃってるそうじゃないですか」
    「うーん。実は、カミさんが実印を渡してくれないんだよ。保証人になるなら離婚だと言われちゃってね」
    「はが…」

    おいおい。実印は自分で管理するもんだろ。家計管理なら兎も角、いくら社長夫人とはいえ会社と無関係な人間に経営権を握られているのは尋常でない。サラ金じゃあるまいし、一体何をそんなに恐れているのか知らないが、夫婦揃って「ナニワ金融道」でも愛読しているとしか思えない有様である。こんな状態を野放しにしておいてよいのだろうか。

    「じゃあ、離婚しかないですね。然もなくば今すぐ社長が3千万円払うとか」
    「いや。給料10万円返上で手を打って貰えないかなあと」

    うーん。痛い。寝言でも言っているのか。オーリトよ。社長はあんただ。何のために社員の何倍もの高給を貰っているのか。私は部外者だからよいものを社長を信じて必死で頑張っている社員が哀れである。本気かどうかは兎も角も耐震偽装の某社社長だって私財を投じて責任を取ると公言したのに比べればかなりお粗末である。

    「それはあまりに身勝手だ。責任をどう取られるお積りなんですか」
    「では、本日をもって辞めます」

    おいおい。就任三ヶ月で社長を辞めるのか。こんな無茶苦茶な状態にしておいて会社を解散し、某株主と資産分配を画策していることは分かっているのだ。知らぬが仏とはこの事で、全く御目出度い限りである。

    辞表も出さず、大した引継ぎもせず、私の作成した極秘資料を持ったまま突如行方を暗まし、音信不通となって一月後。新社長のA氏率いる査問委員会が設けられ、オーリトとの対談が設定された。委員会はオーリトの責任問題よりも引継遅延による業務停滞が齎す損害を重視し、極秘資料の引渡しを含む引継作業の完結を要求したが、オーリトは頑なに「もう終わった」の一点張りである。

    「貴殿は我々の話に耳を傾ける意思は全くなく一方的で無責任な人間であると、全員一致で認識致しますが異論はございませんか」
    「はい。ありません」

    がーん。何ということだろうか。我々は恐るべき現実を目の当たりにした。これが社員一同が崇めてきた魔人オーリトの正体だというか。だが、既に委員たちは疲労困憊の上、今回の限られた証拠ではここ迄の追及が限界とみて、A氏は散会を決意した。あと一歩のところでの散会は残念である。だが、委員たちはオーリト疑惑に一層の確信を深め、更なる追及への闘志を燃やし、彼らの顔は充実感に満ち溢れている。

    疑惑なるものへの追及心。だから我々の興味は尽きることはない。
    てか、80万円返せよ。

       【前を読む】    【目次へ戻る】    【次を読む】


     
     
    142話までは「パブロフの屁」(ぱりぱり噛めん:Parikame) のテキスト復刻版です。見出し形式「第○○話」がテキスト本編、「no.○○」が対応するダイジェスト図解版です。ご贔屓いただけると新作公開の励みになりますのでよろしくお願いいたします。え?頑張らなくていい……ですか

    あなたへのおすすめ