第127話 「自画像」
教育現場や若者の間ではよく「夢は必ず実現する」とか「無限の力」等の文句が持て囃されるが、エネルギー保存則に従えば個人の力は明らかに有限であり挫折は必ずやって来るものである。挫折を乗り越えて云々とか夕陽に向かって云々などとも言うが、所詮は世界で何番目かの準位に収まるだけのことであって、成功者と敗北者を分ける準位の閾値は、本人固有の力だけでなく様々な外力によって決定されている。
閾値を越えたいという願望がある時に、その外的因子を尽く認識し排除するための努力を払う価値があるか、つまりは時間と費用に見合うだけの対価が得られるか否かを判断する計算力こそが、人生戦略においては何より肝要である。
その力は殊に人生の転機において要求される訳だが、私にその最初の機会が訪れたのは高校時代であった。それ迄は漠然と絵画の道に進もうと考えていたのだが、その実力を証明する豊富な事例の一つには、例えば、私の図工作品を見た親友のみつを君が「はるちゃ、図工の選手になれ」と驚嘆した事が挙げられる。又、小学一年の夏休みの宿題では、親父の描いた向日葵の水彩画が校内選考で見事入選し、そのまま新聞社主宰のコンクールに出品され、見事佳作に選ばれた経験もある。毎夜布団の上で芸術的なオリジナル世界地図を創作していた我が才能が開花した瞬間といえる。嗚呼。
更に、中学夏休みの課題であった自画像は、私の実力を証明すべく優秀作品の誉れを獲得したのだが、学年末恒例の作品返却に於いては何故か私の優秀作品だけが戻って来ず、担任に訊いても行方不明だと言うばかり。無念にもそのまま卒業を迎えるに至ったのだが、その後の後輩の情報によると、何と私の作品はずっと美術室の壁に貼られている事が判明する。だが室内野球の的になってボロボロと化し、笑いモノにされているという事であった。おいおい行方不明って。自信作だっただけにショックは大きく、嬉しいやら悲しいやら何とも複雑な心境であった。イー。
以上の輝かしい経歴を引っ提げて、高校芸術では音楽、美術、書道の中から美術を選択し、迎えた最初の授業はデッサンである。ダイナミックなタッチで想像力が溢れるワンダーワールドを描き、図工の選手として華々しいデビューを飾りたかった私にとって、地味なデッサンは非常に楽しくない課題である。図工選手権開幕ダッシュを阻まれたのはとても痛く、これを契機に芸術の時間は、只管学友と雑談に耽るだけの憩の時間と化し、レタリングだの静物画だのといった規則に縛られた自由度の乏しい課題が相次いで、課題は未提出に終って仕舞うことが殆どとなった。うう。
こうして数々の障碍が私の行く手を阻んだお蔭で、私の才能は二度と発揮されることはなくなり、図工の選手としての限界を見極めるのには丁度良い機会であったと私は捉えている。私の幾倍ものスピードでデッサンを完成させて行く級友や、想像もつかなかったアイデアを具現させていく級友を見るにつけ、上には上がいる事を心底感じるのであった。
中でも、私が参ったと思う出来事はレタリングの課題の時に発生した。明朝体だのゴシック体だの描き方の基本は中学で習ったので、何を今更と高を括ってみたものの題材が全く浮かんで来ないので、学友と憩の時間を消化していると、何と吃驚したことに提出間際の最後の週になって、雑談相手の一人が急拠作業に取り掛かるではないか。下絵を見せて貰うとそこに描かれた文字は、幾つもの「人」と「群衆」の文字。曰く、人人人人人人人人、イコール群衆。何だそれは何の捻りもない。と笑っていたら、担当教諭はその着想を褒め讃えるではないか。よく見れば「熊」の文字の各部を白黒に塗分けてパンダと称する者もいる。これだ、おお。
早速、私も見倣って「茶」の文字を緑色に塗ってはどうかと学友に相談すると、もっと捻りが欲しいとの声。ならば、「浜」の文字を横倒しに描くことを提案すれば、
「そ、それは一体」
「横浜。ほら、横になった浜で横浜」
「でもそれって縦から見れば只の浜じゃん。かかか」
どうも私の発想は単純らしく、出て来るものと言えば、「ば」と描いて、市場。「ばばば」と描いて、産婆。黄色で「ばばばばばばば」と描いて、バナナ。「ばばばばばばばばば」と描いて、キューバ。そんなことでは「ば」を一つ描き足して罵倒されるのが落ちである。いかんいかん。これではキューバ危機ではないか。
図工の選手たる者が、こんな小学生レベルの発想では先が思いやられる。ここは高校生らしくもっと非凡に高尚に行くべきである。
「電子電子電子電子電子電子…」と描いて、電流。
「炭炭炭炭炭炭炭炭…」を規則的な格子状に配置して、ダイヤモンド。
「炭炭炭炭炭炭炭炭」を何層にも描いて、グラファイト。
更に、半分だけ層の配置をずらして、劈開。
「水炭水水 水炭水酸水 → 水炭水水 炭酸酸水」と描いて、酒が酸化して酢になる現象。
だがこれでは直観に訴える芸術というよりも説明的だし、画数が多くて面倒くさいのが最大の難点だ。もっと俗っぽく考えるべきである。
「球振球振球振」と描いて、三球三振。
「球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振球振」と描いて、ソフトボールの完全試合。
いやいやこれではいかん。俗っぽいのはいいが画数と文字数が多すぎだ。
「篭人人人人人球人人人人人篭」と描いて、バスケットボール。
「人人人人人人網人人人人人人」と描いて、バレーボール。
と見せかけて、綱引き。
大分すっきりしてきたが、残された時間で描き切るにはまだまだ文字数が多すぎる。
そんなこんなで散々悩んだ挙げ句、出した最終結論は、一本の蝋燭から放たれる弱い光を背景に、卓上で陰鬱な影を落す「マックス」という片仮名四文字である。暗いマックスで、クライマックス。ここ…これでいいのか。否々いいのだ。文字数、画数とも申し分なく少ないし十分芸術的である。
しかし、テーブルに置かれた蝋燭の絵を描いたところで時間切れ。肝心の文字が「マ」しか描けておらず、全く意味不明な作品になってしまいクラス最下位となったのはいうまでもない。
MAXじゃ駄目だったのか。
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