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第25話 「正字遣い」

    韓日辞典を眺めていると、韓国語にも漢字に換字される感じの良い言葉が沢山ある事を知るが、一つだけ異なる点がある。それは韓国人は所謂旧字体を使うということである。一口に旧字といっても大字だの小字だの古字だの原字だの俗字だの別字だのと様々な異体字が存在し、挙句の果てには辞書ごとに言い分が違う場合もあり、門外漢にとってはもう何が何だか分からなくて面倒くさいから便宜上、一括して正字遣いと呼ぶことにする。中国人や韓国人との筆談に於ては日本式に書くと通用しない場合もあるので、普段から正字遣ひに慣れておくのが一番である。書けなくても見れば解るくらいにはしておきたいものである。

    一見して即座に解る例といえば、餘り(余り)、終熄(終息)、醗酵(発酵)、鎔鉱爐(熔鉱炉)、蛔蟲(回虫)などがあり、深くて絶妙な味わいが如実に伝わって来るのであるが、中には紛らわしいものもある。

    例えば、「晝」と「畫」は非常によく似ていて、書いている自分ですらこうして改めて並べてみると、どっちが何だかさっぱり分からなくなって来る。序でに言えば「書」も似ていて、底に―でも書き足せば立派に「晝」に見えるのである。自称日本通の独逸人ステファンが見たらウングラウブリッヒと叫ぶに違いなく、「書」の正字が「晝」だと思っても仕方のない処である。では三沢問題。

     Q. 上の三字のうちどれが「画」か?

    勿論、日本通のステファンなら「書」を選んだりはしな…、いや、どっちもカクと読むから案外混同するかも知れな…、否否、それはそれで「畫」をカクと読めるだけ凄い事であるが、正解は2番目の「畫」である。そして日本通のステファンには一つの疑問が残される。それは「晝とは一体、なんなのだありますか」である。矢つ張り「書」の正字遣いかというとそうではなくて、それは昼である。私は韓日辞典の御蔭で最近になってこれを知り実に焦った。計画、企画、区画、図画の積りで書いていたものが実は、計昼、企昼、区昼、図昼だったりする訳で、流石にこれは誰でも焦るのである。だが、ここで安心してはいけない。更に以外な事実が判明する。別にステファンから、そんな事言ってないだす、という抗議のメイルが届いた訳ではない。

    その驚愕の事実とは、画に対応する正字は二種類存在するという事である。先ずは、全く使用されないで本棚に眠る高級でぶ厚い韓日辞典を繙くと、計画に対して「計劃」の表記を目撃する事が出来る。「畫」ではないのか「畫」では。一体どういう事だ、高級デブ暑い辞典。それで確認の為に、もう一方の安っぽくて余り役に立たない携帯用の日韓・韓日辞典に教えを乞えば、「計画」としか呈示してくれぬ。うーむ。ひょっとして字型が無いのか。画数が多ければ字型を彫るにもコストが嵩む。伊達に安い訳ではない樣である。恐るべし。

    仕方が無いので、珍解答を示して色々と翻弄してくれる編集者のヱマックスに相談してみる。すると彼は、計画に対しては「計畫」と主張する一方で、企画に対しては「企劃」と返してくる。韓日辞典と違うじゃないか。ゑ、マックス。「畫」は「劃」の略字とも考えられるが、ならば両方の選択肢を示して戴きたいものである。だが、そこには遣い分けの事実が厳然と存在しており、ややこしい事に「デブ暑い辞典」vs「ゑ、マックス」の双方で言い分が異るのである。そうは言っても「書」と「晝」の例もある。似ているからといって同字と思うのは早計である。油断してはならない「畫」と「劃」。中々全容を掴む事は困難なので、どっちを使っても良いのだという事にしておこう。どうせ漫筆なんだし。カクカク。

    然るにもっと複雑な事情を抱える文字がある。それは弁の字である。弁理、弁論、花弁、弁髪、といろいろあるが、実は全部違って、辨、辯、瓣、辮。べべべんべんべんべん。どれも同じ様に見えるが、辛と辛の間に挟まれる文字を注視すれば、リ、言、瓜、糸、と夫々違うのである。各々の違いを韓日辞典の事例から分析した結果、なんとなく次の様な規則性が存在する様に思われる。

    ・言‥‥弁論、弁舌、弁才、弁証、弁解、弁護、等の様に、実際に喋る行為が必要不可欠な場合が該当。
    ・リ‥‥弁理、弁明、弁別、弁済、思弁、など必ずしも喋る必要がない場合が該当。
    ・瓜‥‥花弁、吸気弁、排気弁、心臓弁、安全弁、などの所謂弁、びらびらの物が瓜。うりうり。
    ・糸‥‥辮髪など紐状の場合。だが紐状の物で弁の付く物と言っても他に中々思い当たらない。弁毛はどうかと思うと鞭毛であったりするし。噫、こんな時にエイトマンがいてくれたら…、じゃなくて日韓辞典があれば。

    だがこの規則性を厳格に遵守するのは難しいのである。弁証の場合、辯證も辨證も両方あるし、又、辨に似た辧という文字もあって事態は紛糾する。辨と辧の類似構造は劍と劔にも観られるが、これらはどちらも「けん」であり物体を切る道具という点では同じ意味を持つ。その微細な違いを弁字へ反映させるのはかなり微妙な判断を迫られると見えて、実際、韓日辞典にも辧字は採用されていなかったりする。だが「リ」型は、切って中身を区別する事に関係がありそうで、弁理、弁明、思弁、弁別、等は合理的な解釈が成立する。弁済も恐らくは、分割返済とか、身を切って返済するとか、刀貨経済の概念として理解しておきたいところである。

    それにしても、もっと謎なのは弁当である。竹の皮びらでお握りを包んだ事から「瓜」なのか。或いは和気合い合いと中身を言い当てる様子から「言」だとも考えられる。はてさて如何解釈すべきか。

    便利だから「リ」ってそれは違うだろう。ステファンよ。

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    142話までは「パブロフの屁」(ぱりぱり噛めん:Parikame) のテキスト復刻版です。見出し形式「第○○話」がテキスト本編、「no.○○」が対応するダイジェスト図解版です。ご贔屓いただけると新作公開の励みになりますのでよろしくお願いいたします。え?頑張らなくていい……ですか

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