第88話 「便意関数」
どうしても入手したい漫画は誰にでも一つくらいはあると思う。私も一つだけ挙げろと言われればあるにはあるのだが、困った事に名前も作家もわからないのでどうしようもない。覚えている事はといえば、15年くらい前に「アドルフに告ぐ」が店頭に並んでいた頃だったかの単行本で、帽子を被ってトレンチ・コートを着た探偵風の男が主人公で、下らない事に冷静だが大げさな観察と判断を下して笑いをとってゆく作風で、オムニバス形式だという事くらいである。圧巻は便意に関する考察で、便意を抑えていると最初のうちは振幅は小さく周期も長いのだが、段々と振幅は大きく且つ周期は短くなっていって最後は激しく振動するという風な事が描かれていた。
そのあり様を漫画によって再現するのは私には無理なので、ここでは数理的観点から雰囲気を伝えてみたいと思う。バリアフリーだか何とかに拘っていると数学表現が出来ないので今回は画像を使用する。
先ずは【図1】の指数函数を見てもらいたい。f(x)=eˣ を x=0 から x=4 までプロットしたものである。x=4 の時、すでに値は 50 くらいになっているし、f(10)≒22000 であるからその急増ぶりは半端でないことがわかる。終端で便意が発散するという性質を記述するにはもってこいの振舞いである。


だが便意には「正の便意」と「負の便意」とが存在する。便意を正確に記述するには正負の値を振動している事が望ましい。振動する函数は色色あるが例えば、第二種ルジャンドル函数 Q₁₄(z) の z=0 から z=1 までのプロットを見て頂くと【図2】、周期は少しずつ短くなり山の高さが徐々にだが高くなって行き、z=1 の地点で発散している事がわかる。これは正に便意函数の特徴的な振舞いを表していて非常に嬉しいが、惜しむらくは発散点付近でもっと激しく振動してほしい。
こういった特殊函数で書ければ非常に気持ちが良いのであるが、初等函数も満更捨てたもんでもなく結構綺麗な便意曲線が描けたりする。三角函数は代表的な振動函数として知られるが、正弦函数 Sin[x] をそのまま使用すると周期が一定なので少々細工が要る。Sin[x²] としてやれば周期はπ÷xで与えられ(※1)、x が増加すると共に周期は短くなってゆく。N 番目の零点の位置は x=Sqrt[Nπ] であるから、その時の周期は、Sqrt[π÷N] となる。N は便意を覚える回数にも一致するから、便意がやって来るにつれて間隔は狭まりつつ感覚は増す寸法である。あとは激しく増大する振幅として前出の指数函数を導入して、f1[x]=A Exp[Bx]Sin[xᶜ] を定義する(A, B, C は定数):
f1[x_, A_, B_, C_] = A Exp[ B x ] Sin[ x^C ];
A、B、C の値を適当に選んでプロットしたのが次の二つの図(【図3,4】 N⁻⁽¹/ᶜ⁾ 型周期の様子 )である:


中中いい雰囲気が出ている。C の値を上げて C=3 としてみると、振動回数が増えているのが判る【図4】。プロットレンジを x=0 から x=3 までと少し狭くした理由は、余りに振幅が大きくなり過ぎてグラフ用紙からはみ出てしまうためである。正弦函数の変数部分を次の様に指数函数で与えてやれば、もっと激しく振動させる事もできる:
f2[x_, A_, B_, C_] = A Exp[ B x ] Sin[ Exp[C x] ];
この場合の周期は、2÷(CN)で与えられるので(※1)、さっきの場合よりも便意間隔の狭まり方が速くなり、短時間に何度も正の便意が襲ってくる事になって大分忙しい。(【図5-7】N⁻¹ 型周期の様子 )



最後のはちょっとやりすぎた。縦軸の数値が40万にもなっているし、グラフ用紙から完全にはみ出してしまっている。こうなるともう便意と言うより、なんか嘘発見器にかけられて動揺し捲っている被験者の様でもある。
さて、激しく振動させる事に夢中になっていて、一つ肝腎な点を忘れていた。終端は正の便意で発散していなければならないという点である。これを考慮に入れるべく発散点を設けよう。変化が緩やかな適当な函数で割って時刻 D で分母が零になる様に細工を加える。周期 Sqrt[1/N]型でやってみる:
f3[x_, A_, B_, C_, D_] = A Exp[ B x ] Sin[ x^C ]/(D - x)^{1/2};
以下の2例は発散する時刻を D=3 にセットした場合である。両者とも用紙からちょっとはみ出してしまったが、雰囲気は出ていると思う。


最後に、xの多項式を掛けても「振幅が大きくなり周期が短くなる」という便意函数の特徴的な振舞いは普遍的である事を見ておく。多項式といってもどうせ振幅の激しい位置で支配的なのは最大巾の項であるから、次の函数を観察しておけば充分である:
f4[x_, A_, B_, C_, D_, m_] = A x^m Exp[ B x ] Sin[ x^C ]/(D - x)^{1/2};
余りB と C の値を大きくすると真っ黒な失敗図【図7】の様になってしまうので、控え目な値にとってプロットしたものを次に示す。

では、どうしてこんな形になるのであろうか。仮説を立ててみよう。便意を伝搬する物質が便に衝突して腸壁に散乱され、その刺戟が神経細胞を伝わって便意を催すと考えてみる。このモデルに従って立式してみよう。

腸内の便の有効断面積と個数密度をσ及びρ₂とし、便意の伝搬物質の個数密度と速度をρ₁及びvとする。便は解放に向かって動いているのでvは厳密には便との相対速度である。体積Vの腸空間内にあるターゲットの総数はρ₂Vで与えられる(これをN₁とする)。一方、時間Tの間に伝搬物質が移動する距離はvTであり、底面積σ長さvTの円柱内部にある伝搬物質は、時間T以内に全てターゲットに衝突することになる。(個数密度)×(体積)で衝突粒子の個数を与えるから、ρ₁vTσが衝突回数に相当する(これをN₂とする)。総衝突回数NはN₁とN₂の積で与えられ、N=vTVσρ₁ρ₂となる。これから有効断面積は、次式で決定される。
σ=(N/VT)/(ρ₂・ρ₁v) ・・・(1)式
分子のN/VTは相対論的に四次元体積内での衝突密度を与えているから、便意確率密度である。
分母のρ₁vは物理的には流量と呼ばれる量であるから、便意の流量を与える。従って、整理すると、
(有効断面積)=(便意確率密度)÷(便意の流量×便密度)・・・(2)式
という公式が成立する筈である。ここで上の現象的考察から導かれた函数 f4を思い出して頂きたい。この f4 と全く同じ式が、何と極秘入手した文献資料にも記載されているのである。
一部抜粋で申し訳ないが資料の(24)式を見て頂きたい。t, C, ξ が我々の x, m, D に相当し、ω(t)=tᶜ、μ=½ の場合が正に我々の論じているケースである事がわかる。そして、どうも定数 A を適当に分解すると(25)式の様に書ける事が示されており、(25)式直下の英文を読むと我々の結果(2)式と何やら同じ様な事が書かれているのである。念のため我々の(1)式と極秘資料(25)式との対応を記せば、N/VTがψ(t)、ρ₁vがF(t)、ρ₂がρ(t)であり、これらは(26)(27)(28)式で与えられている。
更に(28)式以下の英文を注意深く読み進めるてみると、被験者の便意回数と腸内の緩和時間 B、便の臨界指数 μ(便意指数と呼ぶ)を測定し、μ=½ が現実に存在し得る事や、ω(t) の形には被験者の体質に依存して指数関数型と多項式型とが存在する事、そして日本人には欧米人よりも多項式型の割合が多く、B の値が小さい所為ですぐに便秘になりやすい事などが指摘されている。
「あともうちょっとでトイレ」と安心すると、特異点ξの位置が前にずれ込んで便意指数μの有効値が増大する事実が考慮されていない点に、今後の研究改善が望まれる。
【脚注】
※1 周期は零点の差を2倍する。間隔の狭まる速さに興味があるので、Taylor展開の第1近似をとれば十分。
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