第78話 「ウィーン会談」
97年夏の夜。私はウィーンにある料理屋「天馬屋」で芹澤と歓談していた。ウィーンは二度目であるが、芹澤とは久方振りの対面である。向こうは海外旅行に来てまで日本料理を食べようとは思ってはいないのであるが、全く逆の立場である私は、日本料理が食いたくて仕方がないし、日本語が喋りたいし、日本酒が呑みたい。ついつい調子に乗る。
「やっぱ、ウィーンは夏に限る。夏、夏、夏ーっと、言えばヴァカンス。ヴァカンスといえば」
「降り注ぐ太陽。水着のギャル。そして」
「ううぬ。怪しい奴め。肛門樣の偽者を語るとは」
「って、それは出合え」
「カツ丼とラーメン、各々一人前。四丁目の田中まで」
「って、それは出前」
「でぇい、下らない駄洒落なんて止め止め。やめでえぃ」
「気が済んだか。で、明日は何処へ行く。御前、二度目なんだろ」
「うむ。アルハンブラ宮殿に行こうと思う」
「なんだよそれ」
「いや、シェーンブルグ宮殿」
「宮殿しか合ってないぞ。それでギャグの積もりかい」
「旧電しか走ってない筈はなかろう。新しい電車も走っておる」
「寒っ。すっごくつまんないよ、それ」
「面白くないのは認めるが寒いのは緯度の所為だ。拙者の所為にするな」
「え、寒くないの? 流石、北極圈に棲んでるだけの事はある」
「北極圈じゃないって」
「だってデンマークってオーロラ出たりエスキモーいるんだろ」
「それ言うならバイキングだろ。オーロラも出ないって」
「ま、そうだけど。で、ギャルはどうすんの」
「え、それは実践経験の豊富な御主の役目であろう」
「豊富じゃねえよ」
「仕方ない。では、午前中に王宮博物館で調達するとしよう。一緒に食事をとって午後は宮殿だ。プランは示した。あとは任せた健闘を祈る」
「おいおい汚いぞ」
「何を言うか。拙者が完璧な計画を立て、御主が実行に移す。いつもの黄金パターンじゃないか」
「だから怪しいんだよ。王宮博物館にギャルいなかったらどうすんだよ」
「ふふふ。抜かりはない。その時は速攻で向こうにある自然博物館へ行けば良い。フェイル・セーフ機構だ」
「そこもいなかったらどうすんだよ」
「即刻、退館して隣の鉱物博物館を攻めれば良い」
「おいおい。博物館巡りしてんじゃん」
「ギャルを求めながら観光要所を巡る。一体何処の何奴がこんな素敵な作戦を思いついたんだろう」
「獨逸人かよ」
「否。そんな奴、和蘭」
「御前だろっ。でも、そんなに巡って大丈夫かよ。前に来た時、観たんじゃないのか」
「いや、真冬だったし寒かったのでホテルで寝ていた」
「な、何しに来たんだよ」
「うむ。良い質問である。洪牙利に行くのが目的だったので入国査証を取る為に滞在したのだ。で、翌朝出発した」
「それで洪牙利はどうだった」
「ブダペストに行って何にも見ずに戻ってきた」
「何だよ、それ。じゃあ、一銭も使わなかったのか」
「いや、繁華街と思いっ切り反対方向へ歩いて行って、寂しげな場所で涙しながらドイツ料理を食ったよ。生ビール頼んだら瓶だったし」
「なんで人に訊かなかったんだよ」
「訊いた通りに地図を見乍ら歩いたんだけど全然違っていたのだ。やっぱりガイドブックは必要だと思う。何を見たらいいか判らないし」
「おいおい。持ってなかったのかよ」
「うむ。下調べもしないで何にも持たずに行った。思いつきだったので」
「はっきり言って馬鹿だね。で、地図はどうしたんだよ」
「駅で思いっ切り訛った英語を話すおばちゃんに貰ったのだ。カラムーチョとか言ってるし」
「言うわけねーだろ。i(旅行案内所)には行かなかったのかよ?」
「駅にあったんだけどね。並んでやっと窓口に辿り着いたら、鉄道案内所だったりして」
「当たり前だろ。駅なんだから」
「だっておんなじマークだし」
「確かに紛らわしいわなあ」
「そこで困っている時にカラムーチョのおばちゃんが声を掛けてきたのである」
「成る程ね」
「でも、おばちゃんの指差す方向には誰も歩いてかないし、秘密警察に捕まって尋問とかされそうだし」
「観光に来てそういう発想も能く解んねえけど、皆の行く方についてけば繁華街とかありそうじゃん」
「ああ。そう思ったよ。で、秘密警察の術中に嵌ってなるものかと、皆の行く方を選んだのだ」
「酷い奴だな。人を信じろよ」
「大分歩いたけど、次々と人は消えてくし、観光客なんか一人もいなかったぞう」
「そこで気付けよ」
「途中には、獨逸の会社が結構あったし」
「結構進出してるからなあ。もともと獨逸圈だし」
「気が付いたら、ターバン巻いたボスニアの難民いるし」
「ターバンは印度人だろ」
「えっと、タリバンじゃなくって、ええとキャミソール」
「それも違うだろ」
「じゃ、何と言うのだ知ってるのか」
「いいや知らんが」
「兎も角だ。バス停の樣なものが五、六個あって、大きな荷物を担いだ難民みたいなのが沢山屯してる訳だ。怖くなって思わず引き返して来たよ。流石、仏陀がペストに罹った場所だ」
「んな訳ねーだろ。それって単にバスセンターじゃないのかよ」
「いやいや、そこから先は全然舗裝しておらぬのだ。もっと先の方は難民キャンプか、ゲットーか、ソ連軍いるかも知んないじゃん」
「いつの時代だよ」
「二年前だけど。そういう訳で足早に引き返した次第」
「俄には信じられんなあ」
「ちょっと嘘入ってるけど」
「おい」
「でも国境越えの時、車掌にもう帰るのかと言われたぞう。同じ男だったし」
「そりゃ、誰でも言うわい」
「悔しいからカラムーチョと言ってやった。うわっはっは」
「何訳わかんねー事言ってんだよ」
「まあ、あの頃は英語も満足でなかったし勘弁して欲しいものだ」
「誰でも初めは失敗の一つもするってか」
「そういう事だ。今度は失敗せぬ樣に、ガイド本を購入してある」
「ほう。抜かりはない訳だ」
「獨逸語なんだけど」
「読めるのか」
「いや、読めん」
「意味ないじゃん。英語だと思って買ったら実は獨逸語だったとか」
「いや、全くその通り。面目ない」
「ところでほんとに寒いんだけど、そろそろお開きとしますか」
「じゃ、勘定済ませて、そこの聖シュテファン教会を背に記念撮影といきますか」
「よしきた。… しまったあ。フィルムがない」
「ええっ。じゃあ、その辺のキオスクで買いまっか。まだ開いてるでしょ」
「あっ」
「今度はなんだ。財布忘れたとは言わさんぞ」
「いや違う。デジカメだった」
「じゃあ、OKじゃないか」
「いや、バッテリーが切れてる」
「使えん奴だな」
「ああ。御前の駄洒落と一緒だよ」
【前を読む】 【目次へ戻る】 【次を読む】