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本当に早期英語教育は必要ですか?「英語が話せる=幸せ」ではないという、もう一つの現実。【完結編】

※本作は、我が子の実体験を綴った「前編」「後編」に続く【完結編】ですが、この記事単体でもお読みいただけます。


「海外に住めば、子どもは自然と英語がペラペラになる」 「若いうちに海外に行かせれば、将来苦労しない」


世間ではよくそんな風に言われます。 しかし、それは本当でしょうか。

私の大切な二人の友人は、まさにその「幻想」の裏側を生きてきました。 純日本人の私には想像もできないほどの、壮絶な葛藤を生き抜いてきた人たちです。

1. 英語に傷つき、孤独と戦った彼女の話

一人目の友人は、小学生の時に親の仕事の都合で海外へ渡りました。

突然放り込まれた現地校。 そこで彼女を待っていたのは、「英語ができない」と馬鹿にされる日々でした。

いじめのようなからかいに耐えながら、孤独のなかで必死にもがく時間。 その後、海外の大学院を卒業し、今も海外で生活している彼女ですが、こう静かに語ります。

「いまだに自分が英語を話せている感覚は、あまりない」

「帰国子女は無条件に英語が話せる」という世間のイメージ。 その裏には、本人の計り知れない努力と、深く傷ついた過去が隠されているのです。

2. 日本語を失い、アイデンティティに泣いた彼女の話

もう一人の友人は、中学までを海外で過ごし、高校から日本の学校へ通いました。

彼女が直面したのは、「日本語が話せないこと」への深い苦しみです。

「空気を読む」「周りに合わせる」 日本生まれ・日本育ちなら自然と身につけている感覚が、わからない。 日本の生活に馴染めない自分に対して、彼女は常に引き裂かれそうな思いを抱えていました。

「私は本当に日本人なのだろうか?」
「日本に馴染めない私は、日本人と言っていいの?」

海外生活が長ければ長いほど、日本の文化に馴染めない。 日本人なのに、日本語に自信が持てない。 かといって、海外でもネイティブの壁にぶつかり、英語にも自信が持てずに傷つく。

「言葉と言葉の狭間」で起きる深い喪失感や葛藤。 これは、決して珍しい話ではありません。

3. 有名人たちが語る「言葉と言葉の狭間」のリアル

実は、誰もが知る有名人たちも、同じようにこの深い葛藤の声を上げています。

宇多田ヒカルさんが抱えた「アウトサイダー」の孤独

幼少期から日本とアメリカを頻繁に行き来して育ったアーティストの宇多田ヒカルさん。 彼女は、アメリカでは「アジア人(外国人)」として見られ、日本では「異質な存在」として見られる環境にありました。

どこに行っても「自分は外から来た人間(アウトサイダー)である」という深い孤独を抱えていたことを、のちにインタビュー等で明かしています。

英語を話す自分と、日本語を話す自分。 言語によってキャラクターが変わってしまう「二重人格」のような感覚にも悩み、「自分の本当の居場所はどこなのか」と模索し続けたそうです。

関根麻里さんが直面した「文化の壁」

日本育ちでありながら、幼稚園から高校までインターナショナルスクールに通ったタレントの関根麻里さん。 彼女も、バイリンガル環境ならではの「文化の壁」を語っています。

家庭や街は日本なのに、学校のルールはアメリカ。 その狭間で、アメリカ式のストレートな自己主張をすると、日本のコミュニティでは「浮いてしまう」というギャップが生まれます。

言葉が話せるようになるプロセスの裏には、「間違えたらどうしよう」という不安や、日本固有の「察する文化」に馴染めない当事者ならではの戸惑いが常に隣り合わせにあります。

4. 「英語が話せること=幸せ」とは限らない

周囲から見れば「英語がペラペラで羨ましい!」と思える人たち。 しかしみんな、壮絶な経験という礎の上に、今の語学力があるのです。

ここで、もう一度問い直してみたいのです。

本当に、早期英語教育は必要ですか?
英語を話せるようにするための、
幼少期の海外移住や留学は、本当に必要なのでしょうか。

英語が話せることは、必ずしも子どもたちを幸せにするとは限りません。 良かれと思って大人が用意した環境が、子どもにとっては「本当に辛い過去」を作ってしまうことになりかねないのです。

日本にいれば、大好きなお友達や先生と手を繋ぎ、たくさん笑い合うはずだった大切な思い出。 それが、言葉のわからない海外で、孤独に耐え忍ぶ「辛い時間」に変形してしまうかもしれない。

英語がネイティブレベルになった代償として、今度は日本語が不十分になり、「自分は何者なのか」と自国のアイデンティティに生涯悩み続けることになるかもしれない。

「英語が話せること = 幸せ」ではない人もいるという現実を、私たちはもっと知るべきではないでしょうか。

5. 幻想を捨てて、子どもの「今」に目を向ける

「海外に行けば英語が話せるようになる」は幻想です。

私は苦悩を乗り越えてきた友人たちを見て、強く感じていることがあります。 人間にとっての本当の幸せは、他人の物差しではなく、「自分が本当にやりたいことをやれること」なのだと。

  • 大好きな友達と、言葉の壁なく心からコミュニケーションが取れること。

  • のびのびと、思いっきり遊べること。

  • お互いの顔を見て、心の底から笑い合えること。

そんな「子どもの今」にある当たり前の幸せや、大切な生活の「余白」を奪ってまで、先回りして詰め込むべき英語教育とは何なのか。

皆さんも、一度立ち止まって、ぜひ一緒に考えてみませんか。

おわりに

これまで3回に分けて、我が家の実体験から友人たちの葛藤まで、早期英語教育のリアルについて語ってきました。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

これはあくまで、一個人の経験を通した一意見として受け止めてもらえたら幸いです。 もちろん、早期英語教育のメリットもたくさんあると思います。

しかし、私は我が子には早期英語教育はさせません。
先取り学習もさせません。

今、我が子がやりたいことを目一杯やれる環境を整えること。
何よりも、それに全力を注ぎたいと思っています。

(もし自分から「英語が話せるようになりたい!」と言い出したら、その時は喜んで英会話に通わせますが……!笑)

ここでは、家庭で育つ「学ぶ土台」について綴っています。
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