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なぜか見てしまうものたち②|ニンゲンは、くるくる、ぐるぐる、しゃらしゃらにあらがえない。

    先日、農産物直売のカフェでわらびを買った。友人たちと群馬に遊びに行ったときのことだ。帰りの道の駅では、揚げこごみなんかも買って、うちの冷蔵庫は山菜で充実中だ。

    でも、考えてみたら、こどもの頃には、えらく地味だなーと思っていた山菜。おとなになってみると、あの青さとほろ苦さ、そして山の湿度みたいなクセが、とても贅沢なご馳走に思える。季節を感じさせてくれる食材、というのも大きいかもしれない。

    そして、その買ってきた山菜。さっそく揚げこごみをつついてみる。
    すぐさま、山菜のカタチっておもしろいなぁ、と思う。

    こごみは、先っちょがくるくるしている。正確には、葉っぱ全体が先っちょからきれいに内側に巻かれていて、ちょっとかわいい。
    似たようなやつだとゼンマイがある。こっちは、こごみよりもちょっと階級があがって、ミドル級。くるくるというよりもぐるぐるだ。それが茶色っぽい綿毛をまとっていて、毛皮を着た、ぐるぐるもこもこの巻き玉みたいな感じ。
    そして、わらび。先っちょに超ちっちゃい握りこぶしみたいなのがあって、傾げた首にぶらさがったマイクロ握りこぶしが、ぷらんぷらん、ちらちら、しゃらしゃらしている。

    こごみ、ゼンマイ、わらびだけですでに、くるくる、ぐるぐる、しゃらしゃらだなんて、なんとも興味深い。

    くるくる、ぐるぐる、しゃらしゃら。
    くるくる、ぐるぐる、しゃらしゃら。

    リズムをつけて、そう口のなかで繰り返して気づく。
    えーっと。これってもしかしたら全部、ニンゲンが好きなやつじゃないか?と。

    どこかの記事でも書いたけれど、ニンゲンって、穴があったら指を突っ込みたくなる。マカロニがあったらお箸を挿したくなる。ボタンがあったら押したくなる。そういう、なにかしら本能的なものがある。
    それとおなじレベルで、くるくる、ぐるぐるは、目で追いたくなる。しゃらしゃらには吸い寄せられる。なんかそんな気がする。

    じゃあ、くるくる、ぐるぐるってなんだろう。

    くるくる、ぐるぐるには、なにかエネルギーの方向がある。台風もぐるぐる系だし、こごみもゼンマイも、先っちょに、生命エネルギーを巻き込んでいる気がする。

    サザエなんかもぐるぐる系だ。最後の青紫の先っちょが、そのエネルギーポイント。あそこにたどり着くには、サザエの身に爪楊枝を突き刺して、殻をくるくる回しながら取り出していく。奥に巻き込まれていた、あの先っちょがうまく出てくると、「うまい」がついてくる。
    でも、食べたいからだけじゃない。ぐるぐるして取り出す作業自体が楽しい。だからついニンゲンは、サザエのぐるぐる構造を目で追い、感覚で追う。

    ところが、内へ吸い込まれていく逆向きのぐるぐるにも、ニンゲンは弱い。お風呂の排水口。水がぐるぐるっと渦を巻いて消えていく。毎日のことなのに、ついつい最後の1滴が消えてなくなるまで見てしまう。新幹線のトイレなんかもそうだ。一瞬のことだけれど、ブシューーーーッ、コォォォォォと、そこには渦巻きができる。必ずそれを確認する。(わたしはね)

    こごみやサザエが「巻き込む」ぐるぐるなら、排水口は「吸い込まれる」ぐるぐる。方向は真逆なのに、ニンゲンはどちらにも魅力を感じてしまう。

    一方、しゃらしゃらは、また少しちがう。
    おそらく、不規則に動くものに、ニンゲンは弱い。
    いや、ニンゲンだけじゃない。ネコだって、ネコじゃらしに惹きつけられる。

    そういえば、群馬にいく途中で立ち寄った沼田城址公園。そこに、白いお花の大きな木があった。遠くで見たら、なんだか毛足の長いふわっふわの絨毯が、やわらかく揺れているように見えた。なんだろうと思って木の下まで行ってみると、名前が書かれた札で、ナンジャモンジャの木だとわかる。

    見上げてみると、白くて細いひらひらがたくさんあって、しゃらしゃら、しゃらしゃらと揺れている。アリンコの行列や、炎、打ち寄せる波なんかとおなじで、こういう動きは何時間でも見ていられそうだ。(ほえーっと見ていたら、いつものごとく友人たちに、ユキちゃん、もう行くよーと声をかけられた。)

    この、しゃらしゃら。考えてみたら、いろいろなところにありそうだ。
    舞妓さんの飾りがぶら下がったカンザシ。歩くたびに、しゃらしゃら揺れる。あれはきっと、かわいさの演出もあるけれど、ひとの視線を惹きつけるためのものだ。揺れる系のピアスなんかも、たぶん一緒。

    おもしろいのは、こうした構造が、山菜というひとつのジャンルのなかにまとまっていることだ。山菜って、ニンゲンが手をかけ、畑で育ててできるものじゃない。山野に自生して、はじめて山菜になれる。だから、くるくる、ぐるぐる、しゃらしゃらは、原始的な生命体のカタチなのかもしれない。

    そしてニンゲンは、どれだけ文明が発達しようが、そういう古いカタチに、つい惹かれてしまう。

    今日も山菜は、我が家でニンゲンの目を魅了する。単にパクっと食べることを許してはくれず、さぁ、観察してごらん、とでも言っているかのようだ。

    くるくる、ぐるぐる、しゃらしゃら。
    そういうカタチや動きに、わたしたちはどうにもあらがえない。まるでネコがネコじゃらしに翻弄されるかのように。

    ニンゲンって、そういう動物なのかもしれない。


    ※この話は「なぜか見てしまうものたち」連作の2本目です。

    前の話はこちらです。
    なぜか見てしまうものたち①|元アリンコ愛好会、会長です。

    つづきはこちらです。
    なぜか見てしまうものたち③|群馬の畑で、魔界の女王さまに出会った。

    ※この記事は、はてなブログ「今日も懲りずに『脳みそ散歩』」に掲載したこちらの記事をもとに、note創作大賞応募用に整えたものです。


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