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母のことー私はあなたになれますか?ー 後編

    HONJO11

    前編からの
    続きになります

    あの日
    母を平手打ちしてから
    今日までの軌跡です。


    第5章「お母さん、ごめんなさい 」

    私が「2年だけ」と言って横浜へ来てから、
    まだ2年も経っていなかった。

    父の会社は倒産した。

    負債は6億円。
    その事実を知ったのは、
    弁護士から届いた
    FAX一枚だった。

    父は、また逃げた。

    家も、仕事も、行き場も失い
    私の手元に残ったのは、
    300万円ほどの借金と、まだ小学生だった子どもたち。

    どうして、こんなことになったんだろう。

    何度もそう思うたびに、
    母の顔が浮かんだ。

    母の心配した通りだった。

    あの時、母は全部わかっていたのかもしれない。

    謝りたかった。

    ごめんなさい、と。
    母の言うことが正しかった、と。
    横浜へ来たことを後悔している、と。

    でも、言えなかった。


    帰りたかった。
    大阪の母の家に。
    母のご飯に。

    あの頃ほど、
    それらが恋しかったことはなかったと思う。

    でも言えなかった。
    私は母を平手打ちまでして、
    自分勝手に大阪を飛び出したのだから
    今さらどんな顔をして帰ればいいのだろう。


    逃げて帰ればいい
    そう思ったこともある。

    けれど弟の家族も
    同じように苦しんでいた
    私が守るべきなのは、もう横浜の家族だった。

    会社の倒産後
    弟家族と同居をはじめ
    生活の立て直しを
    図ることに決めた。

    倒産処理
    引越し準備
    新しい仕事のこと

    疲れ切っていた

    ある日の夕方
    歩道橋の上に私はいた。

    空は夕焼けで真っ赤だった
    歩道橋の下
    車が途切れることなく走り続けている。

    私は靴を脱いだ。

    きちんと揃えて置いた。

    誰かが見つけたら、
    ああ、この人は飛んだんだなと思うだろう。

    手すりに手をかける。
    飛び降りたら楽になれるのだろうか?そう思った。

    苦しかった。
    疲れていた。

    もう
    どうしたらいいのか
    わからなくなっていた

    ふと前を見ると、
    歩道橋の先 
    小さく小学校が見えた

    あそこには私を待っている子どもたちがいる

    長男がいる。
    次男がいる。

    母という責任感が腹の底に落ちた・・・逃げたかった

    それでも
    私は脱いだ靴を履き直した。

    「私は強い」

    そう言った。

    「私は強い」

    何度も言った。

    「私は強い」

    クシャクシャに泣きながら。


    この日のことは
    母には言えなかった。

    母のことだ。

    きっと、

    「ほら、言うたやろ」

    なんて絶対に言わない。
    むしろ自分を犠牲にしてでも、私たちを助けようとしたと思う。

    それだけは嫌だった。

    この苦しみに母を巻き込みたくなかった
    だから言えなかった。


    母が恋しかった
    大丈夫やで
    と言ってほしかった。


    でも母ならきっとこう言う。


    「自分で選んだ道やろ」
    「自分で終いをつけなさい」


    声が聞こえる気がした。

    母もそうだった

    父と結婚するとき、祖父母に激しく反対されたそうだ

    それでも母は父を選んだ。
    そして裏切られた
    苦しい人生になった

    それでも母は泣き言を言わなかった。

    「おばあちゃんに反対されて結婚したんやから」
    「何くそって頑張らなあかん」

    そう言っていた。

    だから私も言えなかった。

    辛い。

    苦しい。

    帰りたい。

    お母さん。
    ごめんなさい。

    そう何度も思った。


    でも私は電話をかけなかった。

    母にだけは。
    最後まで。


    第6章 私が母になれた日


    帰りたかった
    心から。
    逃げたいと思っていた
    大阪へ。

    母のいる家へ
    母のご飯のある場所へ

    あの頃の私は、毎日そんなことを考えていた。


    でも、私には子どもたちがいた。


    あの日、父がいなくなった後
    母が私たちを置いて逃げなかったように。

    私も逃げないことを選んだ。

    倒産してからの日々は、
    必死というより、無我夢中に近かった。

    明日のことを考える余裕なんてない。
    ただ今日を終える。
    そして、また明日が来る。

    その繰り返しの中で、
    私たちは弟家族と一緒に暮らし始めた。

    姉弟二家族。
    大人たちと、子どもたち。

    決して広い家ではない。
    それでも不思議と、息苦しくはなかった。

    弟も私も、母を見て育っている。
    苦しい時は支え合う。
    それが、私たちには当たり前だった。

    リビングには、いつも子どもたちの声があった。

    ゲームをして笑う声。
    喧嘩する声。
    泣く声。
    笑い転げる声。

    借金も、倒産も、明日の不安も、その声の中にいる時だけは少し遠くなる。

    あの家には、
    確かに生活があった。
    そして、
    ちゃんと幸せもあった。

    役員だった弟は無一文になり
    返せる保証なんてどこにも
    ないが、私が借金をするしか
    当面の生活を続けるためには
    方法がなかった。

    消費者金融のカードを握りしめながら、三百万円を借りた。
    ATMの前で手が震えた

    今でもあの感覚は忘れられない。


    私たち姉弟は、親戚の工務店で働き始めた
    現場監督の仕事は
    いくら図面が読めても
    経験や現場でしかわからないことが多く
    私はビスの種類さえも分からない。
    それでも職人さんたちは見捨てなかった。
    厳しく叱られた。
    たくさん怒られた。

    そしてたくさん助けてもらった。

    少しずつ仕事を覚え
    少しずつ生活も安定し始めた。


    姉弟家族 6人の生活は賑やかだった。

    リビングにはいつも子どもたちの声があった。

    ゲームをして笑う声。

    喧嘩する声。
    泣く声。
    笑い転げる声。

    「わー、ずるい!」

    「おいちゃーん!」

    「まだまだ負けへんでー!」

    「宿題やったんか?」

    「まだー!」

    そんな声が毎日飛び交っていた。

    弟の娘が初めて歩いた日も覚えている。

    「アイちゃん歩いたー!」

    みんなで拍手した
    あの瞬間だけは、借金も倒産も忘れていた
    幸せだった


    でも現実は甘くなかった。

    借金を返さなければいけない
    子どもたちは成長する
    いつまでも同居はできない

    だから私は夜のアルバイトを始めた。

    朝五時に起きる
    現場へ向かう
    夜8時に帰宅する

    そして
    夜9時から深夜2時までスナックで働いた。
    家へ帰る頃には日付が変わっていた。

    子どもたちはもう眠っていた
    寝顔しか見られない日もあった。

    弟の奥さんが子どもたちを見てくれていた
    まだ小さな子どもがいたのに
    今でも感謝しかない。

    倒産から一年半ほど経った頃だった。
    腹違いの妹から電話があった。


    「お姉ちゃん、お父さんの様子がおかしい」


    嫌な予感がした。

    いや
    予感じゃなかった。

    分かっていた

    弟が先に向かった
    しばらくして電話が鳴った。

    弟は泣いていた。
    「姉ちゃん、俺どうしたらええ?」
    「警察に言わなあかんよな」

    私は目を閉じた

    そうか


    やっぱり薬か

    父は再び逮捕された

    執行猶予三年。

    それが判決だった。

    ーーーーーーー

    それでも私たちの生活は続いていく。

    誕生日会をした
    たこ焼きパーティをした
    ゲーム大会もした
    腕相撲大会もした

    子どもたちは笑っていた

    私は子どもたちに見せなかった

    苦しい顔も
    辛い顔も
    不安な顔も


    それから半年後

    父はまた同じ罪で逮捕された。

    縄をかけられ
    手錠をかけられ
    よろよろと歩く父を見ていた

    それが私の見た最後の父だった。


    不思議だった
    怒りも悲しみもなかった
    ただ遠い人を見ているようだった。

    そして思った。

    滑稽だな、と

    冷たい娘だったのだと思う。

    それでも、生活は続いていった
    リビングには笑い声があった。

    同居して数年が過ぎた。

    長男は十三歳
    次男は九歳になっていた

    ある日の夜だった。

    何気ない会話の途中で長男が聞いた。


    「母さんってさ」

    「泣くことあるん?」


    私は一瞬、言葉を失った。


    そして思った

    あぁ。
    よかった
    本当によかった。

    この子たちには
    私はそう見えていたんだ。

    倒産したことも
    借金のことも
    夜中まで働いていたことも
    父のことも

    全部知らないまま

    ただ

    母は強い人だと思ってくれていたんだ。


    私は笑った

    その瞬間、母の顔が浮かんだ。


    盗まれた自転車を誰かの幸せに変えた母。
    爆弾おにぎりを作って笑った母。
    学校へ行かない私に、
    「あっそ。ご飯どうする?」と言った母。


    あの時
    母もきっと泣いていた。

    私たちに見せなかっただけで。


    そして気づいた

    私はずっと、
    母みたいになりたいと思っていた。


    私はあなたになれますか。


    そう思い続けていた。

    でも違った

    あの日
    長男の言葉を聞いたあの日。

    私は気づいた。

    私はもう、
    母になっていたのだ


    お母さん。

    私、やり遂げたよ

    逃げなかったよ
    あなたみたいに

    だから今年は帰るよ。

    話したいことがたくさんあるんだ。

    第7章「母と私」


    会話をまともにしたのは、何年ぶりだったろうか。

    私を見た母の第一声は、

    「ほんまに、あんたは……」

    だった。

    怒っているわけでも、呆れているわけでもない

    安堵に近い苦笑いで、母は玄関を開けた

    母の住む大阪の実家は、古い団地の2階

    決して広くはない家だが、懐かしい匂いと、

    母が好きな猫のカレンダーが、相変わらず飾られていた。

    弟と一緒に帰省したので、小さな団地はすぐに大人と子どもたちでいっぱいになった。

    それでも、狭く感じることは今でもない

    そこはどこよりも、心地いい場所だった

    ぎこちない会話が続くかと身構えていたけれど、それは杞憂だった

    最初こそ、母もどう接していいか悩んだのかもしれない。

    しばらく無言だった母が差し出してきたのは
    スーパーのレジ袋いっぱいのお菓子だった

    私が好きだった
    あのお煎餅も、
    チョコレートがついたクッキーも、
    小さなロールケーキも、

    母は全部覚えていた

    見覚えのある傷のついたこたつの上に、それらをどさっと置いて

    「食べい」

    と言った。
    母は、どこまでも母のままだった。

    自分が背を向けてきた

    母の背中の小ささに

    ここに残して横浜へ行ったことが

    どれほど、母に寂しい思いをさせたのかと

    言い表しようのない

    気持ちが心の奥底に残った。

    大人4人と子どもが3人
    夕食の食卓は賑やかだった。

    私たちの好きなおかずが山のように並べられた、
    変わらない母の味。

    あんなに貧しかったあの長屋の食卓が、

    今は机いっぱいのおかずで満たされ、

    笑い声は何倍にも響いていた。

    あの頃と変わらないものが

    今もここにあることを

    痛いほど感じた、

    それはきっと今日の夕食が

    あの爆弾のおにぎりであっても

    変わらない幸せだった。

    22時を過ぎて、子どもたちが眠りについた頃。

    母と弟と私。久しぶりに3人でこたつに座っていた。

    家族3人がこたつを囲むのは本当に久しぶりだった。

    「あのね……」

    これまでどうしても話せなかった、

    でも、
    ずっと話したかった物語を、
    私は静かに始めた。

    2年で父の会社が倒産したこと。

    借金を抱えたこと。

    朝から夜中まで必死で働いていたこと。

    そして、父が逮捕されたこと。

    母は、静かに聞いていた。

    弟から少しは聞いていたのだろう。

    「そう」

    こたつの上のお菓子を口に運びながら、

    母は何事もなかったように返事をした。

    父の逮捕の話のときだけは、

    少し怒りを滲ませながら

    「あの人はほんまに……」

    とポツリと呟いたが、次に出た言葉は、

    意外なものだった。

    「元気なん?」

    あれほど裏切られてもなお、
    母の口から出たのは、父を心配する言葉だった。

    「お母さん、何もできんかったな。帰ってきてもよかったのに」

    母らしくない、少し弱気な言葉のあと、

    「よう、頑張ったね」

    と呟いた。

    褒めるわけでもない、慰めるわけでもない。
    どこか悔しさの混じったような、愛おしそうな言葉だった。

    「うん」

    自業自得だと言われる

    ほら見たことかと突き放される

    少し覚悟していた。

    そんなことを言う母ではないと知っていたけれど、

    むしろそう言われた方が、私の気が晴れたのかもしれない。

    でも母はそれだけ言うと、いつもと変わらず、

    「お茶、足りてる?」

    そう言って 立ちあがろうとした

    「母さん、膝枕してもらっていい?」

    苦笑いして座り直した母の膝に、私は頭を乗せた。

    柔軟剤の匂いがした。
    昔と同じ匂いだった。

    台所の時計の音だけが聞こえていた。

    泣かなかった。

    ただ、心の底から安心していた。

    九歳のあの日に戻ったみたいだった。

    盗まれた自転車。

    爆弾おにぎり。

    学校へ行かなかった夏。

    母を叩いた日。

    歩道橋の上で泣いた夕方。

    全部が頭の中を通り過ぎていった。

    何も言えなかった。

    泣いて、

    「辛かった」

    と甘えるのは嫌だった。

    軽々しく、

    今ここで、

    あの苦しかった日々の終いをつけたくなかった。

    母の手が頭の上で、

    ぽん。

    ぽん。

    と優しく跳ねた。

    そして言った

    「ほら、お茶入れんと」

    と、母は立ち上がり、

    台所からカチャカチャとスプーンの音が聞こえた。

    砂糖を三つ。

    牛乳をたっぷり。

    飲む前から甘いと分かるミルクティーだった。

    あの頃と変わらない味だった。

    ◇

    2026年5月。

    海沿いにできた、少しおしゃれなカフェに母と出かけた。

    「美味しそうやなぁ、このケーキ」

    母が言う。

    「なんぼでも食べいよ。こっちのも食べる?」

    「2個は食べれんわ」

    「ほな、私がこっち食べよかな」

    向かいで笑う母を見た。

    リウマチで形の変わった手。

    昔よりずっと小さくなった身体。

    母はケーキを食べながら嬉しそうに笑っていた。

    ・・・・私はこの人に、何か恩返しができただろうか。

    「こんなええとこで、ケーキ食べられると思わへんかったなー」

    私の心を見透かしたように

    くしゃくしゃの笑顔で、母が笑う。

    私はずっと謝れずにいる

    あの平手打ちしたことを

    あの時の私の選択を

    でも謝らないでいようと思う

    ずっとこの後悔を残したまま
    生きていこうと思っている。

    後悔を残したままでもいいから

    母との思い出の全てを

    覚えていようと思う。

    それが私の選択した

    「自分で終いをつける」

    だった

    そしていつか

    母が目を閉じてしまう時に

    聞いてみようと思う

    「私はあなたになれましたか?」 

    と

    答えをもらうのは
    もっとずっと先がいいけれど。



    長いお話をここまで読んでいただき
    ありがとうございました。

    感謝いたします。

    コメントやスキで感想をいただけると
    たいへん嬉しいです。

    ここまでどう書くかと悩みに悩み
    この結末がいちばん私にはしっくりと
    納得できる形になりました。

    父のことは以下記事に詳しく書いています

    母から教えてもらったこと
    私が人生で感じたこと
    経験したことをnoteを通じて発信できればと
    思っています
    これからもよろしくお願いいたします。


     
     
     
    離婚・借金・倒産・父の逮捕。それでも今日も生きています。51歳、元シングルマザー。不幸話では終わらせない、と決めた私が、ひとりで頑張るあなたに書いています。 生きることは呼吸することぐらいで生きてる人

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