シニア夫婦1か月の初英国旅行ー実践編4
「#創作大賞2026」と「#エッセイ部門」
8 ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服
アングロ・サクソン人の7王国の1つウェセックスにエグベルト王(位802-39)が現れ、829年、イングランドを統一、イングランド王(位829-39)に。そして、20代目の王に即位するのがハロルド2世(位1066)。
ハロルド2世の即位を不服とし、征服するのがフランス・ノルマンディー地方のノルマンディー公国のウィリアム公(フランス名ギヨーム)。同公国は、バイキングが10世紀初め、フランス北西部の英仏海峡沿いの、セーヌ川下流域ルーアンを中心に建設した国。ウィリアム公は、1066年、7000人の兵を率いてイングランドに上陸・征服し、イングランド王ウィリアム1世(征服王)(位1066‐87)として即位する。これがイングランド史上有名なノルマン人のイングランド征服(Norman Conquest)。彼はノルマン王朝の開祖となり、1070年、全イングランドを統一。イングランド古代の終結で中世の始まり、そして1849年、チューダー朝の統治で、近代へ。ウィリアム1世はキリスト教徒。
ヨーク、そしてダラムへ
ロンドンから東岸幹線(East Coast Main Line)に乗り、エディンバラへ北上する経路を採った理由はヨークとダラムに立ち寄りたかったから。これらの地域はイギリス古代史で重要な地位を占めている。
急行列車(インターシティ)はキングズ・クロス駅発――ピーターバラ駅――ヨーク駅と、ヨークは2つ目。ヨークからさらに北上して、ダーリントン駅――ダラム駅と、これも2つ目。
ロンドン発、ヨークへ
8月31日(水)快晴。ロンドンのホテルを出てバスでヒースロウへ。ここから例のエクスプレスでパディントン駅へ、地下鉄でロンドンのキングズ・クロス駅(King’s Croll)へと移動。地上へ上がると、真正面に国鉄のキングズ・クロス駅。この駅はイングランド東岸幹線(East Coast Main Line)のロンドン終点。開設は1852年だから日本の幕末だ。同駅の情報はここをクリック(日本語でも読める)。
キングズ・クロス駅

この駅に着いたとき午前10時前だった。駅のコンコースに警察官がいたので、「すみませんが、ヨーク行きの電車は何番線ですか?」(Excuse me, but what platform is bound for York?)「10時発の急行列車(インターシティ)は、あそこだ」と指で示してくれる。ホームへ走り、飛び乗った。車内に立ち客はいない。イギリスの急行列車は各車両にテーブルつきの4人掛け席を2つか3つ設置している。そこへ近づいていくと、アジア系の若い男性客がさっと席を譲ってくれた。申し訳ない気がしたが、せっかくの善意、礼を述べて座らせてもらった。ここからヨークまでは2時間。
列車は速く、騒音・揺れが少ない。さすがは世界で最初に汽車を走らせた国。半時間も走ると景色は一変。なだらかな丘陵、田園、耕土、羊、牛、馬、・・・。ああ、ロンドンの喧騒を抜け出たのだ。途中、停車駅は一つ、ピーターバラ(Peterborough)。電車が停車したとき、ドアーの開け方を見ておく必要を感じたので、じっと観察していると、隣席の30歳代の男性が静かな声で、「どうしたの?」。事情を話すと会話になった。かれはエディンバラの市民で、ロンドンに用事があって帰宅中とのこと。「エディンバラ」と聞いて幸い!とっさに、ゲストハウスのコピーを取り出し、バスで行く方法を尋ねた。丁寧に教えてくれたのだが、ぼくはエディンバラの「エ」も知らないからどうも要領がつかめなかった。でも、この機会が大切。訪英の1つの目的は英会話の実践をつむこと。相手に失礼にならない程度に挑戦しなくちゃ。
ヨーク着
ローマ人のブリテン島支配時代の紀元後71年、彼らはヨークの先住民を征服し、ウーズ川(River Ouse)とフォス川(River Foss)の間に砦を造った。そして2世紀までに、その砦のそばに小さい町ができ、3世紀初期までに町を守る石壁が造られた。ローマ軍は430年に完全撤退するわけだが、代わって、アングロ・サクソン人とバイキングの時代が到来する。さらに1066年、今度はノルマンディー公ウィリアムが彼らを征服し、イングランド王ウィリアム1世として即位。中世の始まりだ。1069年、かれはヨークに到達し、木製の城2つを建造した。これを契機にヨークはイングランド第二の都市、北部の首都となり、約300年間栄えた。
1509年にヘンリ8世が即位したとき、ヨークには40以上の教区教会と9つの修道院などがあったが、かれの2度にわたる「修道院解散令」(1536、1539)で修道院は解散させられ、教区教会も14か所取りこわされた。
今日、ヨークに残る歴史的建造物のうち、「ヨークミンスター」は1227年~1472年に、ミンスターのすぐ南にある、ミンスターの牧師館「聖ウィリアム・カレッジ」(St William College)は1461年に、ショッピングセンター横の「冒険商人組合ホール」(The Merchant Adventurers Hall)は1357~61年に、ウーズ川沿いの「ギルドホール」(The Guildhall)は1453年に、それぞれ建設された。それぞれの実物はネットで “york + St William College” などを入力すると、そのサイトが得られる。

ヨーク駅には改札がなく、車内検札だけ。駅にカフェーが付設されていたので簡単な昼食をとることに(価格は当時)。
ホットチョコレート(実質はココア) 1.50ポンド
スコーン 1.09ポンド
クロワッサン 1.05ポンド
クッキー 1.09ポンド
量と大きさの点で、どれも日本のものよりかなり大。だから安易に価格比較できないが、それでも1ポンド約200円で計算すると、モノによっては「高いなあ」。
カフェーで、チェルムスフォド・プレース・ゲストハウスへ連絡することにした。いまからお世話になるハウスだ。日本からもってきた携帯電話を初めて使うことに。ぼくは日常生活で携帯電話をほとんど使ったことがないし、相手の顔が見えない電話で英語を話すのは難しい。ちょっと不安だったが、ダイヤルした。すると意外とかんたんにつながり、「いまヨーク駅です。今からバスで行きます」(We are now at York Station. We’ll go to your house by bus from now.)。下手でも何でも、実践、挑戦あるのみ!
ヨーク駅のインフォメーションに立ちよって観光マップをもらい、ゲストハウスへ行く方法を尋ねると、女性スタッフが「あのバスがいま出るから」と。ヨークはそれほど大きい町ではない。バスに乗ればすぐに着くはずだ。バス車内から歩道に目をやると、なぜか大勢の人が駅方向へ歩いている。観光客だろうか?
車内の隣席に、感じのよさそうな50歳代と思えるイギリス人夫婦がいた。奥さんの方が愛想のよい人で、やわらかい笑顔をみせて僕たちに関心を示している様子。話しかけると、「主人の誕生日で、一週間の休暇をとり、ヨークで過ごす」と。彼女のとなりに、高校生ぐらいの男児がいる。家族で来たのだ。取り立てて裕福そうに見えなかったから平均的なイギリス人なのだろう。奥さんの態度の中に、幸福な家庭を維持しようとする雰囲気が感じとれた。
バスを降りると、そこに50歳ぐらいの体格のよい男性が、別のバスを待っている様子。ゲストハウスの地図を見せると、「もう少し先だ」。キャリーを引きながら、ぼそぼそとその方向へ。たまたま、うしろを振りむくと、ヨーク市内めぐりの観光バスが来ている。運転手が、もっと先へ、先へ、と言わんばかりに、指で前方を指し示している。なんのことはない、先ほど道を教えてくれた男性で、観光バスの運転手だったのだ。
通りの前方に何軒かのゲストハウスが見える。ハウス前の小さい空間に花がたくさん植えられてあり、窓からも吊るされている。思わず、「美しい」と口をついて出る。花々が見られるのはこの近辺だけではない。街のあちこちにあり、ヨークは「花の街」という印象だ。
ゲストハウスはすぐに分かった。一戸建てではなく、棟つづきの建物で、外から見ると2階建てに見えるが、実は3階建て。前庭に花をいっぱい植え、窓際にも。インターネットで見たとおりだ。上品そうな奥さんが愛想よく出迎えてくれた。50歳代だろうか。イギリス人にしてはスマートな人。僕たちを招き入れると、すぐにヨークの観光パンフレットを差しだし、壁かけ式のヨーク市街図を示しながら、観光ポイントはここ、ここ、・・・などと。続けて、「今日は競馬のある日だから、人が沢山来ているが、午後からは静かになりますよ」。これで分かった。バスの窓から見えたおおぜいの人は競馬ファンだったのだ。 ヨークの競馬情報はここをクリック。

ハウスを外から一見した限り、それほど大きく見えないが部屋数はけっこう多い。ファミリールーム2、トリプルルーム2、ダブル4、ツイン3、シングル1、それに1階(英国式には「グラウンド・フロア;ground floor」)は食堂だから見事な間取りだ。部屋に通された。最上階の3階(second floor)。中に入ると右手にトイレ、その向こうに洗面台と小さい四角な空間のシャワールーム。一番奥が、ツインの寝室。清潔で美しい。日本のホテルのツインルームよりもずっと広い。これがゲストハウスか。初めての体験。
3階のフロアにもう一部屋ある。ドアーが開放されてあり、泊り客はいない。中をのぞくと、ダブルベッドとバスタブのある部屋だった。
部屋で小休止。そなえつけの湯沸しポット、カップ、ティー、コーヒー、砂糖などはみな清潔だ。ロンドンのホテルとはずいぶん違う。ティーを飲んだ後、奥さんが教えてくれたウーズ川沿いの散策路へ。川の水深は深く、流れはゆるやかだ。緑と水と静寂・・・、散策に最高。まもなく城壁。

この城壁は最初、ローマ人が築いたのだが、現存のものは中世の建築だ。ここを通りぬけ、旧市街へ。すぐにヨーク名物のクリフォーズ・タワー(Clifords Tower)の広場。タワーはヨーク城の中央要塞で、ウィリアム征服王(William the Conqueror)が1068年から69年にイングランド北部攻略の拠点としてつくった。元は木製の要塞だったが1190年に反ユダヤ暴動があり、焼失。1245年から65年にかけて石の塔が再建され、同時に城の防御壁、塔、門、橋、礼拝堂なども。クリフォーズ・タワーの名称は1596年に始まっており、これ以前は大塔(Great Tower)と呼ばれていた。タワーは人工の丘の頂上にあり、階段をのぼりつめたところに受付があって、ヘリテッジ・パスを示すとOK。係員がパスに使用開始日の「8月31日」を記入してくれる。
タワーからはヨーク市街が眼下に見えて千金の眺望だ。ゴシック建築の大聖堂ヨーク・ミンスターはそれほど遠くないことが分かる。ウィリアム征服王はこの城の他にもう1つ城を造っている。それがウーズ川(the River Ouse)の対岸にあるボル・ヒル(Baile Hill)。こちらの方は今日、ほんど注目されない。ヨーク城はこの二つの城からなる。
大聖堂ヨーク・ミンスター
クリフォーズ・タワーを出てヨーク市街へ入るとおどろいた。街の中心部へ向かうにつれ、商店、カフェー、レストラン、スーパーストアなどがあり、大勢の観光客がおしよせている。ヨークは人気の観光都市なのだ。
大聖堂ヨーク・ミンスターにたどり着き、ヘリテッジ・パスを示すと使用不可。このパスは、鉄道旅行者には効用性に欠けるかもしれない。鉄道のない名所へは容易に行けないからだ。拝観料大人5ポンド、シニア3.5ポンド。セントラル・タワーは別料金で大人3ポンド、塔のてっぺんにたどりつくのに275段の階段をのぼる。

ヨーク・ミンスターは荘厳な大建築物。初代の大聖堂は627年に建てられたが、現在のものは1227年頃に建築が始まり、約250年の歳月をかけて完成した。北ヨーロッパにおける中世最大のゴシック建築の大聖堂で、聖ペテロに奉納されたもの。ステンドグラスの窓は128個ある。
「すべてのカシードラル(カテドラル)(cathedral)はミンスター(mynster)とは限らず、すべてのミンスターがカシードラルとは限らない。だが、ヨーク・ミンスターは両方だ」といわれるのは、つぎの解説で理解されるだろう。つまり、英語で「カシードラル(カテドラル)」(cathedral)といえば「大聖堂」の意で、主教(カトリックでは司教)区を代表する聖堂(母教会 mother church)をいい、ここに主教の座(主教座)がおかれ、主教(司教)がいる。「ミンスター」(mynster)といえば、もとはアングロ・サクソンの伝道教会を意味し、ヨークで最初に建築されたのがヨーク・ミンスターで、西暦627年にさかのぼる。ヨーク・ミンスターは「カシードラル(カテドラル)」であり、同時に「ミンスター」なのだ。ヨークの都市外壁(city wall)はここをクリック。
ヨーク市街はここをクリック(写真多数)。

帰路に大きなスーパー・マーケット「マークス・アンド・スペンサー」があった。夕食になるものを買い求めることにし、物色していると、驚いたことに、パック詰めの盛り合わせ寿司「スシ・セレクション」(Sushi Selection)があるではないか。マグロとサーモンのにぎり、それに巻き寿司。日本のものとは出来具合がすこし違うが、寿司であることに間違いない。1パック2.20ポンド(当時)で安いとはいえないが、これに勝るものはない。水・野菜サラダなども仕入れ、ゲストハウスで食べることに。とくに水は必須。スーパーでは格安だが、他の店では割高。ついでながら、旅の途中で僕たちは大小のスーパーをよく利用したが、「マークス・アンド・スペンサー」は各地にあって便利。
夕食前に、ハウスの奥さんが教えてくれたコインランドリーへ。僕たちのハウスは城壁外にあり、ランドリーは城壁内だ。徒歩で10分ほどの距離に、ヨーク市街に6つある城門の1つウォームゲート・バー(Walmgate Bar)があり、バーを入ったところにランドリーがある。だが残念、閉店時間の午後6時にすこし過ぎていて間に合わなかった。翌日(木曜日)は定休日とある。困った。ハウスに戻って、何気なくそのことを漏らすと、奥さんが気の毒がって、洗濯をしてあげよう、と。丁重に断ったが、何度も言ってくださるものだからお願いすることに。もちろん、お礼を差しだした。
食後、シャワーを使った。シャワールームは四角い空間で、入り口は片開きのガラス戸。汗を流すのがやっとで、タオルで背中をこすれないことはないが、基本的にそのような構造になっていない。ちなみに、ここでは石鹸とシャンプーの備えがあったが、ハウスによっては備えのないところがあって要注意。
またここでは、バスタオルとフェースタオルの両方が用意されていて毎日取り替えてくれた。ハウスによってはバスタオルだけとか、連泊しても取り替えてくれないところがある。
9月1日(木) ヨーク2日目
昨夜、雨だったが起床すると好天。食堂は1階だ。ゲストハウスでの初めての「イングリッシュ・ブレックファースト」。通常はトースト、バター、ジャム、ママレード、油いためのベーコン(fried bacon)、ソーセージ、目玉焼き(1~2個)、油いためまたはグリル焼きのトマト(fried or grilled tomato)とマッシュルーム、大豆のトマト煮(baked beans)、ティーまたはコーヒーのすべてが出る。他にオートミール、コーンフレークなどのシリアル(cereal)、牛乳、オレンジジュースなどがあり、こちらは自由に頂ける。ゲストハウスによっては、果実入りのヨーグルトが用意されているところもあったが、客全員に行き渡る数がないのが普通だった。前日の到着時、奥さんがイングリッシュ・ブレックファーストの内容を説明してくださっていたので、”no bacon, no sausage” と答えておいた。ゆえに、目玉焼きが2つになった。

このハウスではヨーグルトを除いて、上記のものがすべて出た。2連泊だったので朝食を2回いただいたわけだが、ぼくたちは日ごろから小食。ボリュームの多さに閉口したし、そのうえ目玉焼き、トマト、マッシュルームのすべてにオイルがたっぷり使われているものだから胸がつかえた。それだから、2日目は目玉焼きを1つにしてもらったが、それでも十分だった。シリアルだが、ぼくたちは食べる習慣がないので旅行中、まったく手をつけなかった。イギリス人はこれが好きだし、日本人でも若い人は結構たべるらしい。
イギリス料理をテーマにした書籍には、たとえば次の書がある。
北野佐久子『イギリス料理を召し上がれ』CBS・ソニー出版、1990.長谷川恭子『イギリス料理のおいしいテクニック』柴田書店、2001.
林広美『イギリス料理』佼成出版社、1977.
トレバー・ブライス『モダン・ブリティッシュの秘密レシピ』日本放送出版協会、2002.
斉藤理子『イギリスを食べつくす』主婦の友社、1996.
このハウスの食堂には、部屋の数だけテーブルがセットされているのだろう、ぼくたちは2人用のテーブルを利用できたので他の客に気づかいすることなく食事をすることができた。
食堂に来れば、泊り客の様子がわかって面白い。日本人らしい2人連れの女性客がいた。1人は30歳代でミセスと思えたが、もう1人は20歳位で、痩身、長身、グラビア雑誌に出てきそうな美人だ。2人ともにこやかな表情だったので、食後に、ふと “Japanese?” と発すると、 “Korean.” 2人は姉妹で、姉さんの方は、韓国の夫から仕送りをうけながら2人の子ども(男児と女児)をオックスフォードの学校へ通学させ、もう4年目になるという。妹の方もオックスフォードの高校に在学中で、来年、大学に入学する、と。韓国人の教育熱心は知っていたが、ここまでやるとは。2人は、休暇を利用して自動車でヨーク観光に来たのだ。エリート風をふかすわけでもなく、優しくて爽やかな人たちだった。
食後はバスでヨーク駅へ行き、明日のダラム行き電車の時刻表を調べた。そのあと、駅前から城壁沿いに南方向へ10分弱歩くと、ヨークに6つあるバーの1つ、ミクルゲート・バー(Micklegate Bar)に着く(下記写真)。ゲートは補修工事中だったが、城門にふさわしい堅牢・威厳のある風格。

この門の前方は四つ角になっていて、バーと反対の方向にバー・コンヴェント博物館(Bar Convent Museum)があり、立ち寄った。

カフェーやゲストハウスと一体で、階上に博物館があり、無料。イングランド北部における初期キリスト教史が概括的に示されているのと、女子教育と女子修道会の草分け、メアリー・ウォード(Mary Ward)のことも照会もされていた。「博物館」といっても小規模で、必見というほどではない。ちなみに、この施設内にあるゲストハウスはダブルルームで55ポンド(当時)とあるから高いとはいえない。ハウスの内容は知らないが、駅に近くて至便。関心のある向きは接触してみる価値があるだろう。
つぎに城壁上の歩道を駅方向へ歩いた。なかなか見晴らしがよい。駅前まで来て、下方の道路へ降り、線路の向こうへ。そこに、「世界最大の鉄道博物館」と触れこんでいる国立鉄道博物館(National Railway Museum)がある。鉄道はイギリスが元祖で1804年に最初の蒸気機関車を走らせた。国立だから、国が、歴史的に重要な機関車・客車を集め・保存し、その中にスティーブンソンが1829年に造ったロケット号のレプリカや王室専用列車も。それになんと!日本の新幹線(0系)も!しかもですよ、展示車両の中で新幹線だけが内部見学できるようになっていてなかなかの人気。うれしいですね、鉄道の本場で、ですよ。

日本は1872年に英国から汽車を機関士もろとも輸入し、新橋=横浜間を走らせた。それから約100年後の1964年、わが国は新幹線を開業し、いまや世界に冠たる鉄道王国。英国からの帰国後、新幹線に乗る機会があったが、やはり素晴しい。速いし、乗り心地満点!
ちなみに、これを書いているとき、びっくりするニュースが飛びこんできた。「日本の車両、英国に上陸」の新聞見出しだ(朝日新聞、07年8月24日夕刊と翌25日朝刊)。英国が、2012年のロンドン五輪にそなえ、日本車両174両を約700億円で輸入したのだ。ロンドンのセント・パンクラス駅と英南部のアシュフォード間を時速225キロで走らせる、と。すばらしいニュースではないか!フランスやドイツの高速列車を差しおいて、地球の裏側から、それも鉄道の元祖・英国へ運ばれて、この国の大地を駆け抜けるなんて!
鉄道博物館は、特別展のとき以外は無料で入場できる。さすがに、子ども連れの家族が多かったが老年夫婦もけっこう来ている。館内にカフェ・レストランとみやげ物の売店も。常に、何かのイベントが用意されているらしい。この日のイベントは20もあり、その1つが「新幹線トーク」で「10時40分から10分間」と予定表にある。
ここを出て、街の中心部へ移動し、ヨーロッパで最も保存状態がよいとされる中世の町ザ・シャンブルズ(The Shambles)へ。

「シャンブルズ」とはサクソン語の “Fleshammels” に由来し、「肉屋通り」(”the Street of the butchers”)の意。900年以上前、ここに肉屋のマーケットがあった。今日、「シャンブル」と言えば、1つの通りを指すのではなく、小さな入り組んだ小道の集合体をいう。往年の肉屋は、いまでは観光客向けの店舗に代わっている。中世の家々が保存され、部分的に傾いている家もあるが、ちゃんと立っているからすごい。通りの一角の広場では、衣類などを並べた青空市場があり、散策に面白い街だ。
途中、スーパーに立ち寄り、半そでのTシャツを買った。昨日暑かったのだ。だが、きょうは午後からは温度が下がり無用になってしまった。
ヨークには小さいレストランがたくさんある。どんな料理を注文したらよいか分からないし、それにけっこう高価なようだ。きょうの夕食は、昨日コインランドリーへ行く途中で見つけてあった中華料理店へ行くことに。感じのよさそうな店で、イギリス人の客も来ている。老年の身にはイギリス料理は口にあわないし、ウェイターなどへのチップも面倒、中華料理なら安心できる。われわれはバイキングを選んだ。1人7.50ポンド。
ゲストハウスへ帰り、明日の旅立ちの前に、宿の支払いを済ませた。洗濯代のお礼も添えて。
**とりあえずここまで**
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Many thanks for your support! I will keep writing my interest. Good luck! わたし英語の勉強もつづけています。It will take a long time to learn English.
