シニア夫婦1か月の初英国旅行ー実践編2


#創作大賞2026 #エッセイ部門

出発直前――ひやり!

 出発直前になって湖水地方のユースの予約記録がないことに気づいた。4つ星のユースに予約したはずなのに手元に記録がない。シニアの慣れない1か月の旅、なかば冒険のようなもの。あれもこれも、と準備するうちに、不覚にもユースの名前、予約照会番号などのプリントアウトをしそこなったのだ。湖水地方にはユースがたくさんあり、3つ星のユースを含めていくつかの候補を挙げていたから、記憶が混乱し、どのユースに予約したのか分からない。ついに困り果て、4つ星の、多分ここだろうと思えるユース2か所にメールを送り、予約ができているかどうかを尋ねた。出国の日が迫っているので早く返事がほしい、と書き添えたのだが、返事が来ない。もう一度、メールを出したが、やはりダメ。今度は、3つ星のユースに照会したが、返事がない。こうなると、ぼくの方に思い違いがあったのだと思えてきた。すぐに『地球の歩き方』でB&Bを見つけ、メールで予約照会をした。

B&Bの返事を待っているときのことだ。思いがけなく、4つ星のユースからメールが届いた。「予約できている」。最初のメールを出してから2日後のこと。この数十分後に、先のB&Bから1人1泊朝食付で28ポンド、3連泊可能と。ひやり!もう少しで重複予約。

8月29日(月) 出発――走らない特急

 いよいよ出発の日。当日、早朝にJRの特急「はるか」に乗車。飛行機搭乗の2時間前に関空につける。早起きは苦手だが、首尾よく特急に乗れた。だが、どうだろう!大阪環状線に入ると、急にのろのろ。信号待ちで止まったり動いたり。天王寺駅につくと完全にストップ。なんで?車内で相当いらいらしていたから、この「ストップ」はこたえた。やっと動いたかと思うと、またのろのろ・・・、信号待ち。当時、阪和線は高架工事中であったからある程度は理解できたのだが、ひど過ぎる。工事区間を過ぎても状況は同じ。そうこうするうちに車内放送があり、踏み切りの列車自動停止装置がどうこうした・・・、前方に電車が・・・。とにかく動かない。関空行きの特急だから、車内の他の客も苛立っている。「30分延着しても大丈夫」と自分に言い聞かせるのだが、「間に合わないかも」と不安がつのる。走らない、走らない、いらいら、いらいら。胃が痛くなり、ストレスも限界。こういう状態が関空方面への分岐点、日根野駅まで続いた。ここを通過し、やっと「はるか」は快走。9時38分関空駅着、約15分の延着。この15分が1時間のように思えた。電車からエレベーターへ、そして改札を通り抜け、日航受付窓口へ。走らなくともよいのに走った。あー、間に合った!搭乗手続きをすませると、まだだいぶん時間が余った。離陸は11時50分。

8月29日(月) ロンドン着

 大阪とロンドンの時差は8時間

信じられないホテル情報

 日航の機内は満席。飛行時間12時間。順調なフライトだったが老体には楽ではない。ヒースロウ空港着16時15分。空港には旅行者をねらった犯罪者が待ちかまえていると聞く。まごまごしないでまっすぐに歩かなければ。

空港の両替所でトラベラーズ・チェックを現金化(今日ではクレジットカードがあるから情況は異なる)。当面の必要にそなえた。地下鉄(チューブtube;subway とも)乗り場に行き、ひと駅目ハットン・クロス駅(Hatton Cross)下車。ここから「徒歩約12分」のところにハウンズロー・ホテル(Hounslow Hotel)がある。電車が駅に着くと、ホームにテロ警戒員と思える係員が3人いた。その一人に、出発前にプリントアウトしたホテルの写真、ホテル付近の地図・所在地を見せ、行き方を尋ねた。「とんでもない、歩いて行けないよ。歩けば1時間かかる。バスに乗ることだ」「えーっ!?」

ちなみに、ぼくたちが英国へ旅立つ前の2005年7月7日、ロンドンで2連続の爆弾テロがあり、56人の死者を出した。実行犯4人のうち3人はリーズ在住のパキスタン系英国人。

 ネットで事前に入手したホテルの日本語案内には確かにこの駅から「徒歩約12分」とある。だが、教えられた通りにバスに乗るしかない。駅前の停留所へ行くとバス路線がいくつかあって、どのバスに乗ればよいのか判断がつかない。これだろうと思えるバスが来たので、運転手に地図等を見せると、丁寧に見てくれて「乗りなさい」。やがて、「ここだ」と指示してくれた停留所で降りたのだが、めざすホテルがない。さて、困った。道行く人は少ない。それでも、出会った人に聞くしかない。教えられた方向へキャリーをごろごろ引きながら10数分。大きな公園にたどり着いた。運動場でバスケットボールをしている親子連れがいたのでまた尋ねると、子どもの方が前方を指さして、「すぐそこだよ」。

 この辺は黒人・移民・白人が混在している下町のようだ。ただ、道路が広く、車が頻繁に通り、道路沿いに一戸建て住宅(多くは二戸一だが)が立ち並び、古いのやら、新しいのやらが混在している。空間を十分とってあるから街の印象はそれほど悪くない。ロンドンのことだからこんなものだろう。

着いた!ハウンズロー・ホテルだ。17時30分頃だった。ホテルの第1印象は、出発前にぼくたちがインターネットで見た写真と、そこに添えられている説明文「かつて貴族の邸宅として使用されていた赤レンガ造りのマナーハウス」のイメージとはかなり隔たりがある。イメージをふくらませ過ぎたのだ。むしろ、説明文の「2つ星」に注目すべきだった。ネットでは、客室数36、ツインで「2人1泊朝食付き41ポンド」とだけあり、もっと高価な部屋がある、との情報はない。

ホテルに入ると、通路からガラス窓越しにロビーというのか、休憩室というのが見える。中に中東系の客だろう、3人ほどが談話していて、ぼくたちに気づくと一斉に視線をむけた。こちらが戸惑っていると、かれらの1人がドアを開けてくれる。妻は、事前に描いたイメージと現実とが異なるから、やや緊張、不安げ。フロントの係員はアジア系の若者と思える。真面目そうで、印象は悪くはない。当方の予約コピーを示すと、ホテルの原簿と照合し、「OK」。20歳ぐらいの若い女子従業員が2階の部屋へ案内してくれる。彼女の目に、ぼくたちがどう写ったのか、彼女、少し緊張ぎみ。多分、めったにお目にかからない客だったのだろう。

 部屋を見て驚いた!狭いし、窓が壊れていて閉まらない。「紅茶とコーヒーの設備」は説明文どおりだが、湯沸しポットが清潔でないし、「バスルーム」も非常に狭い。ここにシャワー、トイレ、それに申し訳ほどの小さい洗面台があり、蛇口が2つ。水と湯が別々になっている。旅を重ねるうちに分かってきたことだが、イギリスでは「別々の蛇口」が普通。洗面器がないから非常につかいにくい。部屋の壁は厚手のベニヤ板製で、一個所に5センチほどの穴が開いている。なるほど、これが2つ星!2人1泊朝食付き41ポンド!貧乏旅行の幕開けだ。ぼくは大抵のことに耐えられるが、妻は神経質だからそうはいかない。初めての英国、初めてのロンドン。ホテルへたどり着くまでが大変だったし、ホテルの様子が予想とかけ離れている。妻の疲れた様子が伝わってくる。

 すこし休憩を取ってから近くの小スーパーへ買い物にでかけ、夕食用にパン、バナナ、ジュースなどを買った。小さいスーパーだから店員はレジ係りの中高年男子2人だけ。中東系の移民だろう。支払いを済ませるとレシートがあるのに、くれない。言われるままの金額を払うしかない。イギリスではバスでも鉄道でも必ずレシートをくれる。「公正さ」を維持するための制度であるはずなのに。

つぎの日の夕刻も同じスーパーへ行くと、アジア系の中高年女性が8人ほど来ていた。そのうちの1人がこちらに関心を示している様子なので “Korean or Chinese?” “Korean” “ We, Japanese” 。彼女は終始柔和な態度で好印象。ぼくの韓国人に対するイメージは、「彼らはどちらかと言えば反日的かな」だったが、完全にくつがえされた。彼女らは、この近くの大きなホテルに宿泊していたようだ。

 夕刻、シャワーを使った。シャワーの蛇口が小さいうえ、湯の出方がよわい。これではきれいにならないが、他に方策なし。窓は取っ手が壊れていて完全には閉まらない。夜間に冷えるといけないから出来るだけ外気を通さないように処置した。ところが、だ。ホテルは暖房しているのだろうか、時折暑くなる。それに外部の騒音に困った。ホテルが大通りに面しているから、車の騒音にくわえ、たぶん飛行機の発着音が聞こえたのだと思う。深夜0時ごろまで続いた。そんなわけで、妻はほとんど眠れなかったようだ。

  今、このホテルをネットで探したが見つからなかった。正確な情報はわからない。

8月30日(火) ロンドン市内へ

 ホテルの食堂で朝食。われわれが待機していると、前日の案内嬢とは異なる20歳前後の、かわいくて優しそうな女子スタッフが食パン1本をかかえて急ぎ足で入ってきた。近くで購入してきたらしい。そのまま厨房に入り、ふたたび引き返してきて、「何がいりますか?」そう聞かれても、イギリスで最初の朝食。どう答えてよいか分からなかったので “Toast and tea, please.” 「それだけでよいのですか?」「イエス」と言うしかなかった。他の客の様子を見ていると、“English breakfast.” と言っている。そう言えばよかったのだ。

外出するにあたり、フロントの係員に「窓が壊れているので、荷物を預かってくれますか」(The window of our room is broken, so could you keep our luggage in a secure place?)と問うと、「部屋に置いていても大丈夫だが、心配なら持ってきなさい」。昨日の男性スタッフとは異なり、今日はイタリア系のような若い女性だ。しっかりしているし、失礼な態度はない。キャリー2つを預けることにした。そして彼女に「ちょっと質問してもよいですか。ぼくの情報では、このホテル、昔、マナー・ハウスだったとありますが、そうなのですか」(Can I ask you some questions? According to my information, this hotel used to be a manor house. Do you know if that is true?)「わたしはイギリス人でないから知らないが、ホテルの向こう半分は病院だったと聞いている。」

この日はロンドンのピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)の古書店ヘンリー・サザラン社へ立ち寄ることになっている。同社は1761年にヨークシャー州の州都(county town)ヨーク(York)で創設され、1815年にロンドンに進出、2011年に創立250周年を迎え、近々、社史が発行されるらしい。創立年の1761年は、日本でいえば第10代将軍徳川家治(位1760‐86)の時代だから長い間古書店をやっている。この間、チャールズ・ディケンズの蔵書を買い取るなど大きな取引をしてきた社だ。長い営業年数に驚き、さすがはロンドン!と感心していたのだが、最近、考えを改める必要性にせまられた。というのは、この程度の営業年数の会社なら、日本にはザラにあることを知ったからだ。いわゆる「老舗企業」で、最古の社は西暦538年創立、神社建築の金剛組。これを筆頭にゾロゾロ。関心のある向きは検索語「老舗 企業」で検索するとよい。

話は脱線したが、ぼくはこの古書店からチャールズ・ディケンズとウィリアム・サッカレーの蔵書目録の復刻本を販売してもらっている。原本は同社が1935年に出版した両文豪の蔵書目録で、ぼくはこの目録を同社の許可を得て復刻したのだ。もっとも、この書籍にはさらに原本があって、同社が1864年と70年に、それぞれの文豪の蔵書書籍の販売用に作成した目録がそれ。この2つを1935年に、当時の同社マネージャー、ストンハウス(Stonehouse)氏が合本、出版したのだ。両文豪の研究者には必携書だが品薄。だから、古書界に出ている価格が高価。ぼくは長いあいだ躊躇した末、約2万円で買った。本の状態がよかったので版権を所有している同社の協力をえて復刻し、結果、英米の学者・図書館からかなりの注文をえた。

この復刻本の件でマネージャーと会う約束ができていた。下はヘンリー・サザラン社の写真。

ヘンリー・サザラン社のホームページ:http://www.sotherans.co.uk/ 

 ホテルを出る前に、昨日客室へ案内してくれた若い女性スタッフに、ヒースロー行きのバスの乗り場とバスのナンバー、帰りのバス等について尋ねた。彼女、きのうは緊張気味だったが、今日は、ややリラックス。しごく丁寧に教えてくれた。スタッフはどの人もみな親切なので安心できる。

ホテルからの外出やチェックアウトのとき、自分の部屋をきれいに整頓して出るのが僕たちの習慣。このホテルは連泊だから、まくらチップにコインを置いておいた。あの娘さん、取ってくれるだろう。

バスでヒースロウへ、ここからノンストップのヒースロウ・エキスプレスに乗車しロンドン・パディントン駅(Paddington)へ。乗車前に鉄道のインフォメーション(Ticket Officeと兼用)に立ち寄り、1ヶ月乗り放題のパス(地下鉄には乗れない)に使用開始日と最終日を記入してもらう。このオフィスはヒースロウ・エキスプレスの切符売り場のところにあったが、ここへ来るのにだいぶ探した。

 電車のホームはかなり深い地下にある。ホームへ直行したが、途中改札口なし。検札は車内。約20分でパディントン駅着。ここも改札口なし。この駅はロンドンの玄関口だけあって大きい。地下鉄へ通じる階段は、ホームを出たところにあるから迷うことはなかった。地下鉄初乗り。切符を買わなければ。まごまごするのは禁物だ。幸い、切符売り場周辺に、駅員だろうか、テロ警戒要員だろうか、2、3人立っている。その1人に、乗車賃と乗り場などを聞くと親切に教えてくれた。

 教えられたとおりに地下鉄の「サークル(ライン)」に乗った。だが、車内で、電車の乗り間違いに気がつき、あわてて下車。つぎの電車に乗り換え。ピカデリー・サーカス駅はベイカルー(ライン)にある。ヒアリングがまずかった。

 目的駅下車。改札を出て地上にあがるまでの通路にトイレがある。安全、清潔だった。ついでに、トイレについてもう一つ。この日、セント・ジェームジィズ・パーク(St. James’s Park)内の公衆トイレを使用したが、このトイレ、公園の地下にある。カーブ状の通路をおりてゆくと、だれも使用していなかったので少し不安を覚えた。すると案の定、20歳前後の若者が近づいてきて、「タバコの火を貸してくれ」。ぼくはタバコを吸わないし、ライターも持っていないから毅然として断る。場所とタイミングを考えると、後をつけてきたのかもしれない。幸い、トイレ入り口近くに小部屋があり、係員が1人駐在していた。かれがいなかったら面倒なことになっていたかも。

 さて、ショッピング街の中心地ピカデリー・サーカスの交差点。第7代シャフツベリー卿を記念して1892年に造られた噴水とエロス像(Eros Statue)のあるところだ。ここを起点に、めざす古書店ヘンリー・サザラン社はすぐに見つかる、と決め込んでいた。だが、どうだろう。あちこち歩き、人に聞き、また聞き、という具合にしたが見つからない。出国前、ロンドンの観光地図に「ここ」と印をつけてあったのだが、そんなおおざっぱな地図で分かるほどロンドンは狭くない。見つからないのだ。本屋の所在地も電話番号もメモしていない。

付近の地図をプリントアウトしておくべきだったのだが、「分かるだろう」とタカをくくっていたのが間違い。暑い中を歩き続けるうちに、妻が疲労を訴える。近くのバーガーショップに入り、マフィンとティーで一服。店長らしき人物は30歳代のアジア系で、移民のようだ。かれに「この辺にヘンリー・サザランという名前の古書店があるのですが見つからないのです。知りませんか」(There is a second-hand (or an antiquarian) bookstore named Henry Sotheran around here. I can’ find it. Do you know it?)「知ってますよ」「えっー!」ありがたい。かれ、「荷物に注意しなさい」と指示したあと、おもむろに地図を書き、「すぐ近くだ」。本当にありがたかった。困っているときに助けられることほど嬉しいことはない。実に親切、丁寧、好意的だった。

教えられた本屋はすぐに見つかった。かなり大きい店だ。だが、おかしい?!新本ばかりを扱っている。レジの人に尋ねると「ここではない」。もう一度、「ヘンリー・サザラン古書店は知りませんか」(Do you know Henry Sotheran antiquarian bookstore?)と聞くと、隣にいた店主らしい男性が「多分サックビル通り(Sackville Street)だろう」と。略図を描いてもらい、その方向を目指したら、あった!あらかじめ、マネージャーに連絡してあったから、所用は難なく済み、ついでに店の内外の写真も取らせてもらった。

先ほどの新本屋まで戻り、隣りにあるジャパン・センターの日本食レストランで昼食をとることに。好天で暑かったから、体力のない妻がかなり疲労している。この場は彼女の好物、寿司を注文することに。1人前18ポンド(約3700円)だったと思う。日本では半額以下だ。

食事中、英国人がしばしば僕たちの座席横を通りぬけ、地下へおりてゆく。何があるのだろう?食後、階下へいってみると、お持ち帰りの寿司が販売されていたのだ。よく売れている。同じフロアーに、日本食の食材などがたくさん並んでいた。

レストランの階上にジャパン・インフォメーションがあり、日本語で情報が得られるし、両替もしてくれるので助かる。

昼食後、ロンドンの三越前のピカデリー道路を歩き、グリーン・パーク、セント・ジェイムズ・パーク(St. James’s Park)へ。2つの公園の間を通っている道路がザ・モール(The Mall)。ここから背の高いヨーク公の円柱(Duke of York Column)が遠望できる。ヨーク公(フレデリック王子)(1763‐1827)はジョージ3世の次男で、フランス革命戦争中の英軍の司令官。1834年に、かれを記念して建てられた。ヨーク公は今日、童謡(nursery rhyme)でおなじみ。

 The grand old Duke of York,     堂々のヨーク公さま
 He had ten thousand men.      一万人の家来をおつれになって。
 He marched them up to the top of the hill   丘の上まで行軍し
 And he marched them down again.  また戻っておいでになって。

 テムズ川方向へさらにすすむと、前方に大時計ビッグ・ベンとウェストミンスター宮殿(国会議事堂)が見える。ビッグ・ベンはビクトリア時代の1858年製。夜間、ビッグ・ベン上部のライトが灯ると、国会の議事が続行中のしるし。

「国会議事堂」は「ウェストミンスター宮殿」(Palace of Westminster or Westminster Palace)とも呼ばれるように、元は王宮。宮殿の建設は、ウェストミンスター大修道院と同様、アングロ・サクソン時代の最後の王、エドワード懺悔王時代(1042‐66)に始まる。1066年にフランスのノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服し、ウィリアム1世(位1066‐87)として即位、ロンドン塔を建てたが、のちウェストミンスターへ移った。だが、このころの遺構は残っていない。宮殿の最古の部分はウェストミンスター・ホールで、ウィリアム2世時代(1087‐1100)のもの。その後、増築が重ねられた。ここを宮殿として使用した最後の王は、かの大王ヘンリー8世(位1509‐47)。

 1834年10月、ウェストミンスター宮殿で火災があり、ウェストミンスター・ホールなどの一部分を残し大抵が焼失した。1840年に再建の礎石が定められ、47年に上院会議場、52年に下院会議場がそれぞれ完成し、70年頃すべての工事が終わった。部屋数約1200、通路の長さは全部で3キロを超えるというからびっくり!ロンドンのテロ後、警戒が厳しくなり、ぼくたちが訪問したときは見学不可。旅行者は夏の休会時に見学できるが、要予約。

国教会のウェストミンスター大修道院

 ウェストミンスター宮殿の隣が国教会のウェストミンスター大修道院(ウェストミンスター寺院;Westminster Abbey)。大修道院は石造で、起源は懺悔王エドワード時代の1045年にまでさかのぼる。ゴシック建築の現教会は13世紀から16世紀までの長期間にわたって建造された。正面の2つの塔は18世紀中期の建造。1066年のハロルド王と征服王ウィリアム以来、数人の例外を除いて英国の全君主がここでカンタベリー大司教(1534年以後は「大主教」)から戴冠され、王・女王に就任した。また、ここは名士貴顕の埋葬場でもあり、歴代の王・女王を初め、ダーウィン、ニュートン、ディケンズら約3300人が埋葬され、すでに満杯状態。「大修道院」の地下鉄最寄り駅はウェストミンスター駅かセント・ジェームジーズ・パーク駅(St. James’s Park)。「大修道院」を拝観したが、「ヘリテッジ・パス」は通用しない。拝観料、シニア1人6ポンド。このあと、すぐ近くのバッキンガム宮殿へ。宮殿に、妻は大感激。女性はこういうところに弱い。

ちなみに、ウェストミンスター宮殿とウエストミンスター大修道院、それに聖マーガレット教会(St. Margaret’s Church)の3つがユネスコ登録の世界文化遺産。←直前のサイトを開くと、英国の世界遺産は文化遺産22、自然遺産4、複 合遺産1であることが分かる。

カトリックのウェストミンスター大聖堂(Westminster Cathedral)

 ウェストミンスター大修道院の近くに「ウェストミンスター大聖堂」がある。地下鉄の最寄り駅はビクトリア駅(Victoria)だから一駅先だ。この教会がイングランドとウェールズにおけるローマ・カトリックの母教会(総本山)。建築年は1903年とまったく新しい。英国の教会建築としては非常に珍しいビザンチン様式である。

つぎは下記「実践編3」をクリック
準備編  
実践編1 
実践編2 
実践編3 
実践編4 

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寺内孝 Many thanks for your support! I will keep writing my interest. Good luck! わたし英語の勉強もつづけています。It will take a long time to learn English.