
【世界から綺麗に消える方法、あります】 #6 「午前零時のラストステージ」 創作小説
1. 命のコンペティション
「……つまり、そのハルトってアイドルは、自分を殺しにくるカイの存在を知った上で、僕たちにも同時に連絡をしてきた、と」
アジトに戻ったリツが、まだ信じられないといった様子でノートパソコンにハルトのデータを表示させた。
画面に映るハルトは、弾けるような笑顔と端正なルックスで、今や街の至る所の看板をジャックしているトップアイドルだ。だが、その華やかな笑顔の裏で、彼は事務所がひた隠しにする凄惨な闇──枕営業の強要や違法な資金洗浄の片棒を担がされ、精神の限界を迎えていた。
「ただ首を吊ったら、事務所に都合よく『体調不良による突然の引退』として揉み消され、死後もグッズや未発表曲で骨まで搾り取られる。だからプロの手で、誰も傷つけない『完璧な最期』を迎えて消えたい……か。実に切実で、そして歪んだ良い依頼だ」
クロノがソファに寝そべり、キャラメルポップコーンを天井に向けて放り投げ、口で見事にキャッチした。
「相手はカイよ。あいつは警察の権力をバックに、ハルトくんを『薬物の過剰摂取による自殺』に見せかけて本気で殺しにくる。猶予は、今夜開催される彼のソロドームライブの終了時刻──午前零時まで」
私が拳を握りしめると、リツが眼鏡のブリッジをクイと押し上げた。
「コスパは最悪ですが、カイとかいう泥棒猫に僕のリーガル・デザインが劣っていると思われるのは癪です。クロノさん、どうハメますか?」
クロノはゆっくりと起き上がると、不敵に、そして今日一番の狂気を孕んだ笑みを浮かべた。
「カイは本物の『死体』を作ってゲームを終わらせようとする。だったら僕たちは、何万人ものファンの目の前で、彼を光の粒子にして世界から消滅(神隠し)させてあげよう。──電脳昇天(デジタル・アセンション)だ」
2. バックステージの侵入者
決行当日、午後九時。
東京ドームは、ハルトのソロライブに熱狂する数万人のファンの熱気と、色とりどりのペンライトの光で埋め尽くされていた。
地響きのような大歓声がバックヤードまで響いてくる中、私はスタッフのジャンパーを羽織り、リツが事前に偽造した身分証を使って楽屋エリアへと潜入していた。
『ミハル、ハルトの楽屋の防犯カメラのループハック完了。現在から3分間、カメラの映像は過去の静止画に切り替わっています。……急いで』
インカムからリツの冷静な声が届く。
私は足音を殺してハルトの個人楽屋のドアを開け、滑り込んだ。
「──誰、ですか……」
ソファの端で、ステージ衣装を着たハルトが、今にも倒れそうなほど青白い顔で膝を抱えていた。過呼吸を抑えるための薬のせいで、その目は虚ろだ。
「ハヤトくん、クロノだよ。あなたの最期をプロデュースしに来た」
私が駆け寄り、彼の冷え切った手を掴んだ瞬間──。
パチ、と部屋の奥のクローゼットの影から、微かな衣擦れの音がした。
(──しまっ、先客!?)
反射的にハルトを背後に庇い、構える。
影からゆっくりと姿を現したのは、警察の制服を酷くルーズに着崩した、細身の男だった。鋭く尖った顎に、死んだ魚のような濁った目。その手には、透明な液体が入った注射器が握られている。
「へえ、君がクロノの手下ちゃん? ──おそいよ」
男は、ゾッとするほど軽薄な、だけど脳の芯が凍りつくような狂った声で笑った。
「僕はカイ。ハルトくんの最期は、僕が綺麗にお片付けすることに決まったんだ。今からこれを彼の腕にチクリとやって、ステージの上で華々しくショック死してもらう。ファンへの最高のサプライズだよねえ?」
「カイ……!」
本物の、死のデザイナー。
男は注射器を構えたまま、一瞬の好機(カイロス)を逃さない肉食獣のスピードで、私とハルトに向けて跳躍してきた。
「リツ! カメラ通常復帰まであと何秒!?」
私は叫びながら、襲いかかるカイの腕を前蹴りで弾き飛ばした。
『あと40秒! 現場の映像が通常に戻れば、警備員が一斉にそっちに動きます!』
「チッ、邪魔するなよお前ら!」
カイが信じられないほどの体幹の強さで体勢を立て直し、ナイフのように注射器の針を私の喉元へ突き出してくる。
私はそれを間一髪でスウェーして避け、ハルトの襟首を掴んで強引に引き寄せた。
「ハヤトくん、私を信じて!」
「あ、う……!」
残り時間、20秒。
私はカイの追撃を遮るように楽屋の重いテーブルを蹴り倒し、ハヤトを抱え上げて、バックヤードの非常階段へと全力で飛び出した。後ろから「あははは! おもしろいねえクロノス!」というカイの不気味な笑い声が追いかけてくる。
防犯カメラのハックが切れる直前、私はハルトをリツが待つ地下の搬入口へと送り届けることに成功した。
「ハルトくんの身柄は確保した。リツ、本番(ステージ)の準備は!?」
搬入口に停めたハイエースの中で、大量の機材に囲まれたリツが、不敵な笑みを浮かべてエンターキーを叩いた。
「ええ、もちろん。ドームの全音響、照明、そして10万人が観ている生配信のサーバー、すべて僕の支配下に置きました。──午前零時、世界をブラックアウトさせます」
ステージの上に、本物のハルトはもういない。
だけど、ドームのスピーカーからは、ハルトの出番を告げるカウントダウンのイントロが鳴り響き始めていた。
3. 180秒の幻影
「本物のハルトくんを隠したって無駄だよ。ステージに彼が現れなきゃ、その時点で大騒ぎ。僕の勝ちだ」
楽屋エリアの通路で、カイが不気味に首を傾げながらナイフのように注射器を弄んでいる。
だけど、ドームのスピーカーは冷酷に、ハルトのラストソングのイントロを鳴り響かせた。ステージのせり上がりから、まばゆい光に包まれて「ハヤト」が姿を現す。
数万人のファンが地鳴りのような大歓声を上げ、配信のチャット欄が目にも留まらぬ速さで流れていく。
「な……んだって?」
カイの死んだ魚のような目が、初めて驚愕に見開かれた。
ステージで完璧なパフォーマンスを見せているのは、本物のハルトではない。リツが事前にハルトのモーションデータをすべてキャプチャし、ドームの超高精度プロジェクションマッピングと生配信の映像をリアルタイムで書き換えた、「完璧な電脳の偶像(ホログラム)」だ。
バックヤードの搬入口、ハイエースの車内でリツが狂ったようにキーボードを叩く。
「ハッ、僕の映像ハックと、クロノさんが仕込んだドームの演出用ホログラムの出力を舐めないでいただきたい! 10万人の観客も、配信を観ている画面の前の人間も、今観ているのが『本物の肉体』かどうかなんて判別できっこありません!」
ステージ上のハヤト(幻影)は、切なくも美しい声で、まるで世界への別れを告げるように歌い上げる。
その裏で、ミハルは保護した本物のハルトくんをハイエースの座席に寝かせ、そっと声をかけた。
「ハヤトくん。もうすぐ、全部終わるからね」
ハルトくんは虚ろな目から涙をこぼし、小さく頷いた。
曲の終わりが近づく。時計の針が、刻一刻と深夜のトワレ──午前零時へと近づいていく。
「──さあ、180秒の魔法の時間だ」
アジトのインカムから、クロノの優雅な声が響いた。
4. 電脳昇天(デジタル・アセンション)
曲が最後のフレーズを迎えると同時に、時計の針が【00:00】を指した。
──バツン!!!
ドーム全体の照明、すべてのモニター、そして10万人以上が視聴していた生配信の画面が一斉に漆黒に染まった。完全な暗転(ブラックアウト)。
「キャアアア!?」
「え、何!? 停電!?」
騒然となるドーム。
その暗闇の中、リツが事前に仕込んだプログラムが牙を剥く。ドームの非常用電源を強制起動させ、ステージの中央だけに、青白く幻想的なスポットライトを照射した。
そこには、ハルトが立っていた。
いや、光の粒子で形作られたハルトのシルエットが、儚く揺らめいていた。
配信画面の音声だけが復帰する。ハルトの声だ。
『──みんな、今まで僕を愛してくれて、本当にありがとう。僕の輝ける場所は、ここでおしまい。でも、みんなの心の中で、僕はいつでも生き続けるよ』
それは、純粋に自分を応援してくれたファンへの、心からの感謝と別れの言葉だった。
次の瞬間、眩いばかりのプロジェクションマッピングの光がステージを包み込み、ハルトの身体は数百万のきらめく光の粒子へと弾け、そのまま天井に向けて吸い込まれるように完全に消滅した。
その直後、ドームの全電源が完全に復帰する。
照明が元通りに点いたステージの上には──ハルトの姿はどこにもなかった。
残されていたのは、彼が着ていたステージ衣装と、床に置かれたマイク、そしてファンへの感謝を綴った直筆のラストメッセージだけだった。
「消え……た……?」
バックヤードからステージの袖へ駆け込んできたカイが、その光景を見て完全に硬直した。
カイは「本物の死体」を作って自殺として処理したかった。だけど、10万人の目の前でハルトは「光になって消滅」してしまったのだ。死体どころか、傷一つ残さずに。
ドームにいた観客、そして配信を観ていたファンは、あまりの神がかった演出と失踪劇に言葉を失い、やがてそれは「過酷な事務所の労働から彼を救うために、誰かが仕掛けた奇跡の神隠し」として、瞬く間に世界中に拡散されていった。
当然、警察の力で雑に「自殺」として揉み消すことなど、100%不可能になった。
5. 境界線の向こう側
数日後。
ハルトの所属していた悪質な事務所は、世間からの激しいバッシングと警察の立ち入り捜査によって事実上の崩壊へと追い込まれていた。
夜の港。波の音が静かに響く埠頭に、一台のハイエースが停まっている。
そこには、すっかり顔色の良くなった、ハルト──いや、新しい戸籍と新しい名前を手に入れた、一人の「普通の少年」が立っていた。
「……本当に、僕のわがままを全部叶えてくれるなんて」
少年は、ミハルとリツを振り返り、深く頭を下げた。
「ファンの記憶を汚さず、誰も傷つけない美しい最期。……僕たちの『死のデザイン』、気に入っていただけましたか?」
リツが眼鏡をクイと上げ、少し誇らしげに言う。
「はい。最高のプロデュースでした。これからは、自分のために、普通に生きていきます」
少年は晴れやかな笑顔を見せ、夜の帳の向こうへ、新しい人生の一歩を踏み出して消えていった。
アジトに戻ると、相変わらずクロノがマッサージチェアでニヤニヤしながらポップコーンを食べていた。
「おかえり、ミハル、リツくん。カイのやつ、上層部から『大失態だ』って大目玉を食らって、今頃血眼になって僕たちを探してるよ」
「怖くないの? 相手は本物の警察の暗殺者よ」
私が尋ねると、クロノはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「怖い? まさか。むしろ逆さ。僕たちの『生かすための死(ロジック)』が、奴らの『消すための死(暴力)』を完全に上回ったんだ。こんなに愉快なゲーム、終わらせるわけにはいかないじゃないか」
壁のモニターには、カイの歪んだ顔写真が映し出されている。
私たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。だけど、この3人が揃っていれば、どんな世界のバグだって突いていける。
「さあ、次の『正直者』が待っている。……私たちの、最高にコスパの悪い芸術を始めようじゃないか」
ミハルは静かに拳を握り、リツは不敵に眼鏡を光らせ、クロノはキャラメルポップコーンを美味しそうに口へ運んだ。
「…………いや……ちょっと待って。あの楽屋にいたカイ、本物じゃないとしたら?」
アジトのソファに深く腰掛けた私がそう呟いた瞬間、リツがキーボードを叩く手をピタリと止めた。
「どういうことですか、ミハルさん。僕のハッキングでも、あの男の通信経路は確かに警察の暗部へ繋がっていましたが……」
「違うのよ。あの男の動き、確かに強かったけど……どこか『雑』すぎた。クロノが言っていた、本物のカイが持つはずの、息の根を止めるような圧倒的な『絶望のオーラ』がなかった気がするの。それに、ハルトくんがあんなに簡単に2人のデザイナーを見つけられたのも、出来過ぎてる」
リツがハッとして画面のログを血眼で解析し直す。
その横で、クロノがポップコーンの袋を持ったまま、今日一番の、獲物を見つけた猛獣のような笑みを浮かべた。
「ククク……あははは! 面白い! 面白すぎるよ、ミハル!」
クロノは立ち上がり、画面に映る『カイ』と名乗った男の顔写真を凝視した。
「そうか、あいつはただの『トカゲの尻尾』だ。本物のカイは、ハルトくんを囮にして僕たちをおびき出し、その『偽物のカイ』と僕たちがドタバタ劇を演じている様子を、上から高みの見物で観察していたんだよ。僕たちの実力と、リツくんのハックの手口を測るためにね」
「じゃあ、ハルトくんのメッセージも……?」
私が息を呑むと、クロノは静かに首を振った。
「いや、少年の絶望は本物さ。本物のカイは、少年の絶望すらも『極上の寄せ餌』として利用したんだ。今回の僕たちの『電脳昇天(デジタル・アセンション)』のデザインも、すべて本物のカイに見られたということになる」
リツの顔からスッと血の気が引いていく。
自分たちの最高傑作だと思っていたトリックが、実は敵の手のひらの上で踊らされていたものだったのだ。
その時、アジトのメインモニターが、前触れもなく静かに『真っ白(ホワイトアウト)』に染まった。
文字すら出ない、完全な沈黙。
「……リツくん、逆探知じゃないよ。これは、ただの『覗き見(バックドア)』の痕跡だ。あらかじめ仕込まれていたんだよ。僕たちが気づかないほど、精緻で、完璧なロジックでね」
クロノがポップコーンの袋をゴミ箱に放り捨て、冷酷な目で白い画面を見つめる。
「時間の神様(クロノス)の領域に、いつの間にか本物の『一瞬(カイロス)』が潜り込んでいたわけだ。……あはは、最高だ。これこそが僕の知る、本物の、最悪のデザイナー『カイ』だよ」
偽物を踊らせ、私たちの手札をすべて暴いた本物のカイ。
本当の地獄のゲームは、この午前零時の静寂の裏で、すでに始まっていたのだ。
「……ちょっと待ってください」
リツが真っ白な画面を睨みつけながら、絞り出すような声で言った。
「クロノさん、あなた、最初からその『カイ』という男の正体を知っていたんですか?」
アジトに、張り詰めた沈黙が流れる。
クロノはゆっくりと振り返り、かつてないほど冷徹な、だけどどこか焦がれるような瞳で私とリツを見つめた。いつもふざけているこの男が、初めて見せる本気の顔だった。
「……君たちには、まだ隠していたことがある。カイの正体。あいつがなぜ、僕たちにここまで固執するのか。その理由(わけ)をね」
クロノは窓の外、都会のネオンが濁って揺らめく闇に目を向け、静かに語り始めた。
「五年前に遡るよ。僕がまだ、今のこのアジトを作る前……ある閉鎖的な地下フォーラムでね、僕はたった一人、誰にも解読できない、完璧な偽装死の暗号(ロジック)を創り上げたんだ。『僕は神の論理(プロトコル)を完成させた』と自惚れていた。……でもその時、たった数秒で、それを完全に『書き換えられた』」
クロノの手が、微かに震えていた。あのクロノが、恐怖ではなく、狂おしいほどの敗北感に震えている。
「画面の向こうから送られてきたのは、メッセージじゃない。僕の論理のすべてのバグを冷酷に指摘した、完璧な『否定の証明』。その最下層に、署名として残されていた名前が……『カイ』だった」
その時、アジトの真っ白な画面に、初めて黒い文字がじわじわと浮かび上がった。
それはリツが逆探知したコードではない。五年前、クロノが絶望の淵に立たされた時に突きつけられたものと全く同じ、『嘲笑の刻印』。
『──あの時言っただろ、クロノ。お前の論理は美しいが、致命的に「脆い」と。進化なき設計図は、ただのゴミだ』
アジトの空気が完全に凍りつく。
カイはただの警察の暗殺者じゃない。クロノにとっての――自分の理想をその手で完璧に握りつぶした『天敵』だったのだ。
「あはは……。やっと会えたね、カイ」
クロノは画面を見つめたまま、くつくつと喉を鳴らして笑った。その笑みは、もはや狂気そのものだった。
「僕の『論理(クロノス)』と、君の『絶望(カイロス)』。どちらが本物の死のデザインか、ここからが本当のチェックメイト(決着)だ」
モニターの向こう側にいる『何か』が、真っ白な画面の奥から、じっとこちらを覗き見ている気がした。
偽物のカイを狩り、真実のカイの罠に踏み込んだ。私たちの戦いは、今、本当の意味で幕を開けたのだ。
遠くから、再び午前零時の訪れを告げる時計の鐘が静かに響く。
アジトの重い扉が、夜風に押されるように、ゆっくりと内側に開いた──。
(第一部 完)
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