
雪女接触事例報告「−28℃の恋」第四話
第三話
事例③:非接触での感覚同期、その後の粘液摂取による死亡‐後編

雪女が止める間もなく、鳴海は雪女の涙を舌で受けた。
続けて、雪女の唇に残った唾液を舐めた。
さらに、雪女の陰部から溢れ出たバルトリン腺液を自ら口に含み、舐め、啜った。
舌が凍り付き、貼りつき、壊死するのも構わずに
鳴海は舌を雪女に這わせ、彼女の体液を味わった。
「どうして…どうして…」
「どうしてだろうね」
狼狽える雪女に向かって鳴海は微笑んだ。
のちに、雪女は記録者に語っている。
彼女にとっての「もっとしてほしい」とは、
もっと言葉で触れてほしい。
もっとお互いの感覚を共有しあいたい。
このまま、安全なまま、鳴海に愛され続けたい。
というものであった。
しかし、鳴海は雪女の「もっとしてほしい」を
もっと直接触れたい。
もっと雪女そのものに踏み込んで感じ取りたい。
彼女からこぼれた愛された証を全て受け取りたい。
というふうに拡大解釈してしまったのではないかと。
鳴海は、摂取直後には異常を訴えなかった。
むしろ彼は、幸福そうですらあった。
雪女が愛されたしるし。それを余すことなく舐めとるという、男としての至福の時間であったであろう。鳴海が記録装置に向かって笑っている様子が記録されている。
「甘い。冷たい。君は毒なんかじゃない」
雪女を安心させるためだろうか。しばらく鳴海は陽気ですらあった。
鳴海は雪女の体液が毒性のあるエチレングリコールを含んでいることを知っていた。
それがゆえに、彼は毒という表現を用いた。
雪女は、その言葉に答えることができなかった。
ただ、震えながら、涙目で彼をじっと見ていた。
異変は38分後に始まった。
鳴海は、最初に軽いめまいを訴えた。
次いで、吐き気。
視界の焦点が合わない、とも述べている。
それでも彼は雪女との会話を続けた。
雪女を安心させようとしたのか、あるいは自らの勝利を信じたかったのかは判然としない。
「大丈夫。少し酔ったみたいなものさ」
だが、1時間20分後、鳴海の呼吸は明らかに変化した。
浅い息ではなかった。
むしろ、深く、速い。
身体の内側に生じた異常を、肺だけでどうにか補おうとしているような異様な呼吸だった。
雪女は彼の名を呼んだ。
「透さん」
鳴海は返事をしようとした。
しかし、言葉はすぐに途切れた。
彼は胸を押さえ、次いで膝をついた。
「寒いんじゃない」
記録装置には、かすれた声が残っている。
「寒いんじゃないんだ。血が?重い…のかな?」
2時間後、鳴海は嘔吐し、強い呼吸困難を訴えた。
皮膚色は蒼白。
発汗を認め、意識はやや混濁していた。

雪女は鳴海を介抱しようとして、差し出そうとした手を途中で止めた。
触れれば、彼は凍りついてしまう。
涙を落とせば、それは毒だ。彼を蝕んでしまう。
彼女にできることは、言葉だけ。ただただ、鳴海の名前を呼ぶことだけだった。
「透さん。透さん」
鳴海は笑おうとした。
「泣かないでくれ。君のせいじゃない。俺は幸せものさ」
鳴海の顔は、本当に幸せそうだった。
しかし、彼の呼吸はさらに乱れていった。
3時間40分後、鳴海は初めて雪女から聞いた彼女の名前を正確に呼べなくなった。
4時間後には意識混濁。
雪女が語り掛けても反応しないときが増えていった。
最終的に鳴海は、雪女の前で息絶えた。
死因は、雪女由来の生体不凍液摂取による急性中毒と推定。
血液検査相当の記録では、重度の代謝性異常を示唆する所見が認められた。
また、解剖所見では腎組織内に白色結晶の沈着が確認された。
報告書には、医学的な記述に混じって、記録者による一文が残されている。
男の腎臓には、白い花が咲いていた。

雪女が初めて鳴海の身体に触れることができたのは、彼の魂が、肉体から抜けていった後だった。愛おしそうに、悲しそうに、鳴海の顔を撫でながら涙を流し続ける雪女の嗚咽が記録には残されている。

雪女はこの事例以降、男性との会話すら避けるようになった。
雪女は、彼女が愛された証が鳴海を殺してしまったこと以上に、
彼女自身の願いが鳴海の死を招いてしまったと考えている可能性がある。
考察:雪女の心理状態
雪女は、人間との邂逅、接触による経験から、自身を人間に害をなす存在と認識している。だが、雪女は加害意図を一切持っていない。
雪女は、男を拒む。 しかし、それは嫌悪から来るものではない。 それは、恐怖である。
雪女はかつて、彼女にインタビューをした調査員に次のように語った。
「私は、男のひとの温もりを知りません」
沈黙ののち、雪女は続けた。
「知ると、殺してしまうのです」
この発言は、雪女の根本的苦痛を示しているといえよう。
雪女は愛されないために、温もりを知らないのではない。
むしろ、愛されてきたといってよいだろう。
しかし、愛されれば、相手を殺してしまうのである。
雪女の冷たさは命を奪う。
雪女の愛されたしるしもまた、命を奪う。
雪女は怪物ではない。
むしろ、その精神は人間のそれに限りなく近い。
しかし、雪女は人間を壊してしまう。
彼女が拒絶しても、人間は近づいてきて、愛そうとし、そして壊れていく。
ならば、人間を避けるしかないではないか。
この矛盾こそが、雪女を長く孤独に留めてきた。
つづく
雪女接触事例報告「−28℃の恋」第五話
事例④:低温適応改造体との生身の触れ合い