
残念だが、私には忘れられない人がいる話
それは、私が大学生だった頃の話。
大学のゼミのOBOG会で、ある先輩と出会った。彼はこう名乗った。
「俺、ショーシャマンなんだ。」
…商社マンが耳慣れなかった当時の私は、響きだけが妙に記憶に残った。
その後、好きな小説家が同じという、うっかり発動した運命の赤い糸(仮)で意気投合。
スーツを着た大人の男性との、洗練されたデートを何度か体験したことで、周りの男子学生がみんな鼻垂れ小僧に見えるマジックにかかった私は、軽率に彼と付き合い始めた。
でも、30歳を過ぎた今だから思う。
商社マンか何か知らないけれど、女子大生相手にいい気になっている時点で、大した器の男ではないのだ。
案の定、付き合い始めてすぐに、彼の本性は明らかになっていく。
一言で言えば、彼は「束縛」と「モラハラ」のハイブリッド型ヤバ男だった。
当時の私にはまだ、そうした危険を検知するセンサーが発達していなかったので、「なんか鼻につく人だな」くらいにしか思っていなかった。
だが、行動は次第にエスカレートしていく。
彼は、私のすべてを把握しなければ気が済まないタイプ。
私に関するあらゆる情報を集め尽くした上で、信じられない要求をしてくるようになる。
「つむの高校は俺のより偏差値が低いから、高校の友人とは縁を切りなよ」
「そのバイト先のビジネスモデルが気に入らないから、もう辞めて?」
「つむの親はレベルが低いから、そんな人たちには逆らっても良い」
仕舞いには、「そんな友人を持ち、そんなアルバイトをして、そんな家族と暮らしているつむは、不幸でダメなやつだ」という人格否定が始まる。
それを彼は、さも「君のためを思って正してあげている」という態度で言ってくるのだった。
他にも、彼の鼻につくエピソードは、枚挙にいとまがない。
友人と旅行に行き、感動して綺麗な海の写真を送れば、
「岩が多くて泳ぎにくそう。俺がこの前行った沖縄の海の方がずっと綺麗」と返してくる。
私は海の綺麗さ比べがしたくて写真を送ったわけではない。
お気に入りの服を着ていれば、
「何それ?おばあちゃんのお下がり?前の彼女は服のセンスが良かったのに。もっと女らしい格好してよ」と言う。
あなたの隣を歩くためだけに、服を選んでるわけではない。
私のすべてを否定し、自分のすべてを自慢する。
「俺の考えはいつも正しくて、俺は間違いなく成功する。でもつむは何事も詰めが甘いから永遠に凡人だよ(笑)」
自分は全く変わろうとしないのに、私のことは「その方が幸せになれるから」と、思いきり変えようとしてくる人だった。
当然、そんな彼には心底嫌気が差し、交際はすぐに終わりを迎える。
ただ、別れ際に彼が残した言葉だけは、妙に印象に残っているのだ。
しっかり爪痕を残すタイプだった。
「俺はいつも意見をオープンにしていたのに、つむの本心は最後まで分からなかった。」
「俺が間違っていると言うなら、俺を説得して欲しかった。俺はいつでも擦り合わせをしたいと思っていたのに。」
なるほど、人を言葉の鈍器で殴り倒す行為を、彼は「オープンな意見交換」と呼んでいるらしい。
彼の口癖は、「論破できればその意見は正しい」と、「他人の価値観はコントロールできる」だった。
確かに私は、彼に否定されるたび「悲しい」とは言ったけれど、「あなたのここが論理的に破綻している」という反論はしなかった。
彼のルールに当てはめるなら、「私が彼を論破する努力を怠ったから、彼の価値観を変えることができず、結果としてこの関係が破綻した。」ということになるらしい。
……知らんわ。
そもそも、すべてを否定から入る人間と、誰が命を削ってまでディベートしたいというのか。
最初から反論する気もなければ、迎合する気もない。言葉のキャッチボールではなくドッジボール(球種:全否定)をするのは疲れる。
「もうあなたに心をすり減らされるのは懲り懲りです。」
そう告げて終わりにした。
しかしそれは、彼にとっては完全に寝耳に水だったようだった。
「話し合ってもいないのに、一方的に別れられるはずがないだろう!」
次の瞬間、彼は目の前で泣き出した。
スーツを着た大柄な大男が、夜の丸の内のど真ん中で、ワンワン泣いていた。
ここに、私と彼の決定的な考え方の違いが表れていたように思う。
私は、「他人の根本的な価値観はそう簡単に変わらない」という前提で生きている。
だからこそ、最初から価値観が近い人にしか心を開かないし、土足で踏み込んでくる人とは話し合う前にそっとシャッターを下ろす。
対して彼は、「論理的に正しければ、他人の価値観なんていくらでも改造できる」と信じて疑わなかった。
人生で初めて出会う、圧倒的なサイコパスだった。当時20歳そこそこだった私は、そのあまりの衝撃に、10年以上経った今でも鮮明に覚えている。
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昨日、小説『ナイルパーチの女子会』を読み、「良かれと思って」という大義名分を盾にした支配欲の暴走について、読書感想文を書いた。
痛ましすぎて、リアルで、そして恐ろしい。
それを書きながら、ふと脳裏をよぎったのが、あの夜の丸の内で泣き崩れた「ショーシャマン」の姿だった。
あの時の彼もまた、他人を思い通りに変えたいという傲慢な怪物の一人だったのかもしれない。
そんな風に、今では少しだけ冷静に眺められるようになったので、10年越しの胸のつっかえは、今日でめでたく成仏させてもらおうと思います!
▼人間の依存と支配のリアルを描いた『ナイルパーチの女子会』の感想文はこちら。
▼20代の「他人に振り回されていた時期」を経て、現在の働き方やマインドに至るまでのストーリーはこちら。