【雲間月怪異譚】 第44話
【雲間月怪異譚】第44話 黒髪
※注意※
本作『雲間月怪異譚』には、
怪異・都市伝説・因習・和風ホラー表現が含まれます。
薄暗い話や、
“じわりと嫌な感じ”のする話が苦手な方は、
どうか無理をなさらず回れ右でお願いします。
それでも覗いてくださる方は――
どうぞ、雲間の怪異譚へ。
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今日は、古典的な話を思い出した。
男は、新婚だった。
だが、野心が抑えきれなかった。
若い妻と年老いた母親を残して、都へと旅立った。
最初は、頻繁に届いていた手紙が、長く空くようになり、
やがて便りも滞ったままに数年が過ぎた。
とある年に、男は戻ってきた。
都で出世をして、贅沢な土産と新しい女。
長旅で疲れた身体を労る妻と母親。
だが、夜寝る時に妻に告げる。
「今まで母と共に苦労をかけた。だが、私の都での苦労も慮って欲しい。連れてきた女を新しい妻としたい」と、
妻は、悲しげな顔をしたが、男を責めることもなく部屋を後にした。
次の日、母も妻も消えて、屋敷は荒れ果てた廃墟となっていた。
屋敷を覆う、長い黒髪に男は、恐怖して逃げ出した。
「ふむ。『黒髪』という話だな。懐かしい、古典的な話だ」
蔵のなかで雲外鏡爺が言った。
「珍しいね、何故そんな話を?」
「東北に呼ばれて行ったのだけど、止まったホテルでね。
部屋のお風呂に入ったんだ。
遅い時間、お風呂場の照明も少し暗く感じた。
流れるシャワーも水質なのか、まとわりつく軟水で
それでも、仕事に疲れた身体は、湯船にうとうととしてしまった。
湯船で、ガタッと身体が動いて、慌てて起きたんだ。
その身体に、明らかに自分のものとは違う
長い黒髪が巻き付いて、貼り付いていたんだ。
具体的に幽霊が出たわけではないけれど、
肌に貼り付く髪の毛の感触って怖いよねぇ」
「ありますねぇ……」
僕は思わず腕を擦った。
「髪の毛一本でも嫌なのに、お風呂場だと余計に気持ち悪いです」
「そうなんだよ」
僕は、苦笑いを浮かべた。
「排水口に落ちている髪は平気なんだ。『誰かの髪だな』って理解できるから。
でも、自分の身体に絡み付いていると話が違う。
しかも長い髪なんて、僕には無いからね」
「それで?」
「慌てて払ったんだけど、一本じゃなかった。
肩にも腕にも、湯船の中にも浮いている。
掃除が甘かったのかなとも思ったけど、それにしては多い。
しかもね……」
夜、寝てからもそのまとわりつく髪以外にも
布団で寝る顔の上を霞める肌感が続いた。
不快感に明かりをつければ、肩先に滑り落ちる長い髪
気のせいと言うには、あからさまに指の間もすり抜ける髪に
寒気を感じた。
そこで少しだけ声を潜めた。
「どれも妙に長いんだよ。
肩くらいじゃない。
腰まで届きそうな黒髪だった」
今時、そこまでの長髪は珍しい。
明らかに自分の髪でないから
「うわぁ……」
「全部流して、念入りに身体を洗って、ようやく布団に横になった。
その日は疲れていたから、そのまま寝ちゃったんだけどね」
「夢でも見ました?」
「いや、夢じゃない。
朝起きたら枕に、再び黒い長い髪が一本落ちていた」
僕は思わず黙り込んだ。
ホテルの部屋で?
そんなはずはない。
僕は短髪だ。
「部屋を見回しても、布団の周りにのみ
気味が悪いからティッシュに包んで捨てたよ」
「それだけですか?」
「うん。
それだけ。
ただね」
僕はコーヒーを一口飲む。
「古典怪談って、案外そういうものなんだよ。
幽霊が襲ってくるわけでもない。
呪われたと断言できる出来事もない。
でも、一つだけ説明できないものが残る」
蔵の奥から雲外鏡爺が頷く。
「昔話というのは、理を崩さぬから怖い。
一つだけ現実に混ざらぬものがある。
それだけで、人は勝手に恐怖を育てる」
「それにね」
僕は、苦笑した。
「帰ってから気付いたんだ」
「何をです?」
「そのホテルですれ違う中居さんは、まとめ髪だし、男性は短髪のおじさんばかりだったんだよ」
しばらく誰も口を開かなかった。
蔵の中を風が吹き抜ける。
カラン――
どこかで風鈴が鳴った。
「……まあ」
僕は肩をすくめる。
「掃除のおばちゃんの髪だったのかもしれないけどね」
そう言って笑った。
けれど、僕は最後まで笑えなかった。
長い黒髪というものは、
見えた時よりも、
肌に触れた記憶の方が、
いつまでも消えてくれないのだから。
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