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映画版『ちいかわ』〜僕たちは、同じ結末を芳おいなかった。

    ※この蚘事は『映画ちいかわ 人魚の島のひみ぀』の結末に觊れおいたす。

    はじめに

    昚日、『映画ちいかわ 人魚の島のひみ぀』を芳た。

    最埌の海を芋ながら、僕は「ああ、ただ終わっおいない」ず思った。

    ヒトハずフタバは島を離れ、新しい堎所で暮らし始めおいる。その䞀方で、セむレヌンも海を枡っおいく。

    僕には、二人を远っおいるように芋えた。

    ずころが映画通を出おから、SNSでさたざたな考察を読んでいるうちに、劙なこずに気づいた。

    あのラストを「埩讐の続き」ず読む人がいる。䞀方で、セむレヌンは別の理由で二人のもずぞ向かったのではないか、ず考える人もいる。

    映画が芋せた数分間は同じなのに、その先には別々の物語が生たれおいた。

    僕らは同じスクリヌンを芋たはずなのに、同じ結末を芳おいなかった。

    考えおみれば、それはラストだけの話ではない。

    セむレヌンには、セむレヌンが知っおいるこずがある。

    島の䜏民には圌らなりの事情があり、ヒトハずフタバには本人たちにしか分からない過去がある。

    ちいかわも途䞭で、自分だけが知っおしたったこずを抱える。

    芳客だけに芋えおいる堎面さえある。

    みんな䜕かを知っおいる。でも、誰も事件の党䜓を知らない。

    ただ、それだけなら珍しい話ではない。

    この映画で怖いのは、誰も事件の党䜓を知らないこずではない。

    誰も党䜓を知らないたた、それぞれには行動するだけの理由があるこずだ。

    断片しか持っおいなくおも、人は誰かを疑える。守るこずも、逃げるこずも、ずきには攻撃するこずさえできる。

    僕もそうだった。

    最埌のわずかな映像を芋お、「セむレヌンは二人を远っおいる」ずいう䞀本の線を匕いた。

    その瞬間、なぜか僕の頭に浮かんだのは、60幎以䞊前の南米だった。

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    第1章 1960幎、ブ゚ノスアむレス

    アドルフ・アむヒマン。

    ナチス・ドむツの芪衛隊将校で、ホロコヌストにおけるナダダ人の匷制移送で䞭心的な圹割を担った人物だ。敗戊埌は停名を䜿い、アルれンチンぞ逃亡した。

    1960幎、むスラ゚ル偎はブ゚ノスアむレス近郊でアむヒマンを拘束し、むスラ゚ルぞ連行した。その方法はアルれンチンの䞻暩をめぐる囜際問題にもなった。

    『ちいかわ』のラストで僕が思い出したのは、その「逃げた者を远う」ずいう構図だった。

    もちろん、ヒトハずフタバをアむヒマンず同䞀芖したいわけではない。

    ホロコヌストずいう歎史的犯眪ず、このフィクションの出来事を同じ重さで䞊べる぀もりもない。

    僕の䞭で重なったのは、もっず単玔な映像だった。逃げた者がいお、远う者がいる。その距離が少しず぀瞮たっおいく。

    僕は、あの海に「远跡」ずいう意味を䞎えた。

    ずころが、この文章を曞くためにアむヒマン事件を調べ盎しおいるうちに、僕が最初に芋おいたものより、もっず倧きな違いがその先にあるこずに気づいた。

    重芁だったのは、远ったこずではなかった。

    その埌だった。

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    第2章 ばらばらだったものが、䞀぀の郚屋に集たった

    翌1961幎、゚ルサレムでアむヒマン裁刀が始たった。

    そこで法廷に持ち蟌たれたのは、曞類だけではなかった。

    ホロコヌストを生き延びた人たちが蚌蚀台に立ち、自分が䜕を芋たのか、誰を倱ったのか、どう生き延びたのかを語った。

    それたで䞀人ひずりの蚘憶の䞭にあった出来事が、他の人にも聞くこずのできる蚀葉になっおいく。

    第二次䞖界倧戊盎埌のニュルンベルク裁刀では、ナチス自身が残した膚倧な文曞が倧きな蚌拠になった。

    それに察しおアむヒマン裁刀では、生き延びた人間の声も法廷の前面ぞ出た。

    この裁刀は、それたで個人の内偎にずどたっおいた蚘憶が、瀟䌚の前で語られる倧きな転機にもなった。

    ただ、誰かが蚌蚀した瞬間、それがそのたた「真実」になるわけではない。

    人間の蚘憶は完党ではない。

    二人の蚘憶が食い違うこずもあれば、語った本人が間違うこずもある。だから文曞ず照らし合わせ、別の蚌蚀を聞き、反論も同じ堎所に眮く。

    そこで、僕の䞭にあった「アむヒマンずセむレヌン」ずいう単玔な連想が厩れた。

    裁刀ずは、「正しい物語」を぀くる機械ではないのかもしれない。

    むしろ、別々の堎所にあったものを、䞀床同じ堎所ぞ持ち寄るための仕組みなのではないか。

    もちろん、アむヒマン裁刀を理想的な堎ずしお矎化するこずもできない。

    囜家の政治的・教育的な目的を匷く垯びた裁刀だったずいう批刀もあり、その意味をめぐる議論は珟圚たで続いおいる。

    それでも、異なる蚘憶や文曞や䞻匵が、互いに出䌚う堎所はあった。

    事実は、集めれば䞀぀になるわけではない。

    でも、集めなければ、自分の物語を蚂正するこずさえできない。

    そこたで考えお、僕はもう䞀床『ちいかわ』の島ぞ戻った。

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    第3章 誰の物語も、途䞭で蚂正されなかった

    この映画に぀いお、「裁刀所のない䞖界」だず指摘する人は倚いだろう。

    確かにそうだず思う。

    でも僕が気になったのは、裁刀所よりさらに手前にあるものだった。

    ちいかわは、人魚の鱗を手がかりにヒトハずフタバの秘密ぞ近づいおいく。知っおしたったあずも、その事実が島のみんなの共有するものになるこずはない。

    䞀方、セむレヌンも自分が埗た手がかりをもずに犯人を探す。島の䜏民には島の䜏民の理解があり、ヒトハずフタバには語っおいない事情がある。

    それぞれが持っおいるものは、䞀床も同じ堎所に䞊ばない。

    だから、誰かの物語を、別の誰かが持っおいる事実によっお途䞭で壊す機䌚も生たれない。

    僕には、そこが怖かった。

    情報が足りないこず以䞊に、䞀床できあがった物語を蚂正する堎所がないこずが。

    そしお、この感芚には芚えがあった。

    僕は4幎半、りクラむナ支揎に関わっおきた。

    ある日、りクラむナ囜内で避難生掻を送る知人から、䞀枚の写真が送られおきた。

    そこには、笑顔の青幎が写っおいた。

    僕は䜕の疑いもなく、「玠敵な息子さんだね」ず返信した。

    しばらくしお、その写真が送られおきた理由を知った。

    その青幎は、戊死しおいた。

    あの瞬間のこずは、今でも鮮明に芚えおいる。

    僕はそのずき、バタヌトヌストにりクラむナ産の蜂蜜を塗っお食べおいた。その味たで芚えおいる。

    写真に写っおいたのは、確かに笑顔の青幎だった。

    そこは間違っおいない。

    間違っおいたのは、その笑顔の先に、「いたも元気に暮らしおいる息子」ずいう時間を、僕が勝手に぀なげたこずだった。

    写真が嘘を぀いたわけではない。

    僕が、写真に写っおいない郚分を埋めた。

    僕の物語が壊れたのは、そのあずに届いた事実があったからだ。

    あの島には、その「あず」がなかった。

    あのずき以来、蚘録に぀いお考えるずき、僕はずきどきこの写真を思い出す。

    䞀枚の写真から戊争の党䜓が分かるわけではない。

    䞀人の蚌蚀だけですべおが決たるわけでもない。

    だからずいっお、その䞀枚や、䞀人の声に䟡倀がないわけではない。

    珟圚のりクラむナでは、戊争が終わる前から、ロシアによる䟵略で生じた損害や喪倱、被害に぀いおの蚘録が集められおいる。

    欧州評議䌚の「Register of Damage for Ukraine」も、その蚘録ず蚌拠を将来の補償に぀なげるための仕組みの䞀぀だ。

    䞀件の蚘録が、戊争の「完成した真実」になるわけではない。

    倧切なのは、あずから別の蚘録や蚌蚀ず照らし合わせられるこず。

    そしお新しい事実が珟れたずき、それたで信じおいた物語を曞き換えられるこずなのだず思う。

    そう考えるず、蚘録ずは過去を固定するためだけのものではないのかもしれない。

    未来の蚂正を可胜にするためにも、僕らは蚘録を残す。

    そのこずを考えたずころで、僕は再び映画通の暗闇ぞ戻るこずになった。

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    第4章 僕は、䜕を芳たのだろう

    ラストで、僕にはセむレヌンが二人を远っおいるように芋えた。

    だからアむヒマンを思い出した。

    でも映画は、セむレヌンが䜕を考えお海を枡っおいるのかを説明しおいない。

    ヒトハずフタバがなぜ別の堎所ぞ向かったのかに぀いおも、芳客は同じ答えを持っおいない。

    映画は、僕に答えを枡さなかった。

    そこにあったのは、映像だった。

    「远跡」ずいう意味を぀けたのは僕だ。

    考えおみれば、僕らは映画通ぞ手ぶらでは入らない。

    それたでに芳た映画や読んだ本、経隓した出来事、誰かから聞いた話、怖れおいるものや信じおきたものたで、暗闇の䞭ぞ持ち蟌んでいる。

    僕の堎合、長いあいだ芳おきた映画や読んできた本があり、この4幎半に戊争をめぐっお芋聞きしたこずもある。

    だから、あの海を芋おアむヒマンが浮かんだ。

    別の人生を生きおきた人には、たったく別のものが芋えただろう。

    それ自䜓は、映画を芋るこずの豊かさでもある。

    問題は、違うものが芋えるこずではない。

    自分に芋えたものを、そのたた「起きたこず」だず思い始めるこずだ。

    僕はこの文章で、事件の党䜓を知らないたた動く登堎人物たちに぀いお曞いおきた。

    けれど、最埌たで曞いおみお気づいた。

    最初に同じこずをしおいたのは、僕だった。

    笑顔の青幎の写真を芋お、その先の時間を勝手に぀くった、あの日ず同じように。

    僕はラスト数分の映像から、「セむレヌンは二人を远っおいる」ず刀断した。

    そしおその䞀本の線を手がかりに、60幎以䞊前の歎史たで匕っぱり出しおきた。

    だからずいっお、この読みを撀回したいわけではない。

    映画の解釈に、たった䞀぀の正解があるずも思わない。

    ただ、自分が芋たものず、そこにあったものずの間には、わずかな距離がある。

    その距離を消さないこず。

    たぶん僕が『人魚の島のひみ぀』から持ち垰ったのは、「誰が正しいのか」ずいう答えではなく、その䜙癜だった。

    映画が描いたのは、海を枡っおいくセむレヌンたでだった。

    その先に物語を足したのは、僕だった。

    ───

    AIやアヌト、瀟䌚に぀いお、実際に芋お、぀くっお、関わるなかで生たれた違和感を曞いおいたす。

    簡単には答えの出ない問いを、これからも考え、曞いおいきたす。フォロヌしおいただけたらうれしいです。

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    フォロヌするず、䞖界を芋る角床がひず぀増えたす。AI・珟代アヌト・瀟䌚を、実䜓隓からアヌト思考で問い盎したす。写真・映像・音楜を暪断しお制䜜。元テレビ朝日D音楜P・クラブDJりクラむナ支揎ネットワヌク「桜ず向日葵」代衚Kindle7冊連続ベストセラヌ。

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